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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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12-1

すいません、予約投稿ミスりました><

 低く頭を下げているのは日向屋だ。

 頭髪はまだらに白く、日焼けした顔は浅黒い。

 髪の白さに比べて若々しいダンディな男だが、ここ数日の心労が祟ったのだろう、ひどくやつれた面差しをしていた。

「この度は誠にありがとうございました。おかげさまで家内は持ち直しそうです」

「……そうか」

 重々しく頷いているのは、父だ。

 その目がちらちらこちらを見ているが、気にしない。


 父の心境は、何をしたわけでもないのに礼を言われても困る、といったところだろう。

 だが、骨ばった手をついて頭を下げている日向屋からしてみると、本来助からなかった命を掬い上げてくれた大恩人なのだ。


 それはそうだ。四歳児が諸々の差配をしたなどと、普通は考えない。

 勝千代も、その思い込みを否定しようとも思わなかった。

 むしろ、そのほうがありがたいぐらいだ。


「あとは日にち薬でしょう。お若いですし、回復も早いと思います」

 盥で手を洗いながら、弥太郎が言う。

 一瞬その柔らかな微笑みに、血まみれで立ち尽くすあの時の表情が重なって見えた。

 いや、違う。彼の本質は今の穏やかな表情だ。

 誰かを助けることのほうが、彼には似合っている。



 女性が臥せっている近くに長々といるのも憚られ、軽く様子を見ただけで父は立ち上がった。

「ワシらは、東雲どのにあいさつだけして、宿の方に戻る」

「はい。夜分にわざわざお見舞いくださいまして……」

「そなたも休め」

 頭を下げ続ける商人に向かって、父はぶっきらぼうに告げる。

 聞きようによっては突き放すような、冷たい台詞にも聞こえたが、日向屋を見下ろす表情は柔い。

「事の片はついた。もう難儀なことは起こらぬだろう」

「……はい、はい」

 床に突っ伏す日向屋の肩が震えている。

 百戦錬磨の堺の商人でも、実際に命の危険にさらされ肝が冷えたのだろう。


 そのままひとつ頷き踵を返そうとした父に向かって、こほん、と空咳をする。

 ここに来る前に頼んだことを、ようやく思い出してくれたのだろう、立ち上がった父が、高い位置から日向屋を見下ろして動きを止める。

 頭を下げ続けている日向屋は気づかなかっただろうが、露骨に「しまった」という表情になって、再びちらりと勝千代に目を向けた。

「……本願寺の宗主殿から何か言うてくるやもしれぬ。その際にはワシのほうに知らせをよこせ」

 そうそう。大事な事だから、絶対にそう言っておいてとお願いしたのだ。


 武家と仏門のとの関係性が今どうなのか、把握できてはいない。

 しかし、あと何年か何十年か後にはこの辺りで一向一揆が起こり、対立が顕在化するのだ

 そうなる前に、少しでもパイプを作っておけば、最悪なことが起こらず済むかもしれない。

 争いとは、互いの不理解から起こることが多い。

 話し合って済むことであれば、それに越したことはない。 

 まあ要するに、仲良くなって矛先をこちらに向けないようにしたいわけだ。

 そういう観点からいえば、今回の一件で相手に負い目がある分、こちらが優位に立てる。

 ……父はこういうことにはあまり興味がないようだが。



 日向屋に重ね重ね礼を言われ、部屋を後にする。

 廊下に出た瞬間、急に吐く息が真っ白になった。

 吹き付ける乾燥した風に、ぶるりと大きく身を震わせる。


「福島どの」

 外回廊の廊下をしばらく歩いていると、待っていたらしい東雲に声を掛けられた。

 東雲は縁側に優雅に腰を下ろし、手に盃を持っていた。

「今日の月はまんまるや……一献いかがやろか」

 この寒い中何をしているのかと思えば、酒か。

 かつて好んで飲んでいた、辛めの日本酒の味が口の中によみがえる。

 しかしこの時代、まだ清酒はない。

 東雲のお猪口に注がれているのは、少しとろみがある濁り酒だ。


 どんな味だろうと興味がわいた。

 もちろん、お子様なので飲まないよ。……でもちょっとだけ、味見ぐらいなら。

「申し訳ないが」

「ああ、まだ熱が?」

 父は即座に断り、理由を察しこちらを見た東雲が、空いている方の手でちょいちょいと手招いた。

 酒につられてフラフラと近寄りかけて、父に引き止められる。

「もうだいぶ更けてきたし、泊っていきはったらええ」

「……いや、そこまで面倒を掛けるわけには」

「家主もな、大急ぎで寝間の準備しよったよ」


ここは、わりと有名どころの公家の別宅なのだそうだ。

 聞いた話によると、今川家と公家との関係は深く、諸事情によりこの辺りに居を構えている方も珍しくはないという。

 東雲の口ぶりから言うと、家主も公家だろうか。

 そちらともきちんと挨拶をしておかなければ……

「勝千代どのも、もう眠そうや」

「……む」

 父が、東雲のお猪口を凝視しながら思案している勝千代に目を向けた。

 い、いや! 酒の味のことなど考えていないからね!


「それにな、ちょっと話ときたい事があって」

 東雲は、勝手に焦っている勝千代を尻目に、ほっそりとした指でお猪口を脇に置いた。

「うちのやっこが、あまり良うない話を拾ってきよって」

 落とした声は、風にも紛れそうなほど小さなものだった。

「駿府のお方が、どうやらかなり悪いらしいと」

 ひゅっと父が息を飲んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 待ってました! 勝千代さんお酒好きなんですね 呑み過ぎは早死でっせ(笑) 今川家がごたつきそうですね これは勝千代さんが巻き込まれて暗躍(?)する展開?
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