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冬嵐記  作者: 槐
第一章
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2-1 忍びの村

 吐く息が熱い。

 ぼんやりとそんなことを思ったとき、額に置かれていた手がピクリと動いた。

 冷たい手のひらが離れ、代わりに濡れた布が置かれる。


「……ヨネ?」

 焦点が合わない目で、周囲を見回す。

 いつものような暗闇ではなかった。ぼんやりと柔らかく人影が揺れている。


 次第にはっきりしてくる目で、枕もとに座る黒装束をじっと見上げた。

 

 知らない男だった。

 乾飯をくれた男ではない。もう少し背が低く、彼よりも年かさに見える。


「ご気分はいかがですか」

 やさしい口調だ。

 厳しい育ちをした勝千代なら、おびえたウサギのように警戒したかもしれないが、平和な時代を生きていた中の人は、単純に相手を信じた。


「だいじない」

 たどたどしく応えて、あまりにも失礼だったかと丁寧に言いなおそうとしたが、黒装束はにっこりと笑顔を浮かべてから居住まいを正し、丁寧に頭を下げた。


「私のようなものが許可もなく御身に触れて申し訳ございません」

「……」

 とっさに、何を言われたのかわからなかった。

「しかしながら、今治療にあたれる者が私しかおりません。ご容赦を」

 いや、まったくもって問題ないどころか、ありがたくて涙が出そうなんだが。


 身分の違いを実感することなく育った現代人にとっては、男の謝罪は理解しがたいものだった。

 後々嫌というほどわかることなのだが、この時代の氏素性というものは絶対で、素破や乱破と呼ばれる所謂忍びの者たちは、その最下層に位置する存在なのだ。

 同じ部屋にいることすら拒まれることが多く、このように近い距離で対面するなどもってのほか、身体に触れた手を切り落とせと命じられてもおかしくない。


 ぼうっと下げられた頭を見つめていると、男はそのままじりじりと遠ざかろうとした。頭を下げたまま、つまりは土下座の姿勢のままだ。


 とっさに手を伸ばし、まだ届く距離にあった黒装束の袖を掴んだ。

 男ははっと息を飲み、顔を上げたが、目が合って慌てて視線を低くする。


 いや、逃がさないからね。

 袖を握る手にぎゅうっと力を籠めた。


「……ここはどこ」

 知らない部屋だった。狭いが隙間風も吹きこまず、小綺麗に整えられている。

 それに横になっている布団は分厚く、気のせいでなければ一畳分だけ畳じゃなかろうか。

 

 男が困った様子で眦を下げた。

 言えないのなら別にいい。また再び寝たきり生活になりそうな身としては、大した問題ではない。

 聞きたいのは、安全かどうか。

 ヨネはどうしているのだろう。


「申し訳ございません」

 ああ、やはり言えないのか。

 それならそれで、適当なことを言っておけばいいのに。どうせ相手は子供なのだから、嘘を言っても解りはしないのに。

「……よい」

 勝千代はあっさりそう言って、次の質問を考えた。

 機密のような何かを聞き出したいわけではない。今の状況を知りたいだけだ。


「ここは、城の中か?」

 実のところ、ずっと住んでいた山城の名称は知らない。

 勝千代という自身の名はわかっても、姓のほうは記憶にかすりもしない。

 もっと言えば、父の名前すら憶えていないのだ。

 わかっているのは、父の側室の桂殿と、異母兄千代丸、名前も知らない叔父がいるということ。それから……世話役のヨネ。


「いいえ」

 しばらくの逡巡の末、男はためらいがちに首を振った。

 ならば多少は安全だろうか。

 勝千代がほっと息を吐くと、男は泣き笑いのような表情をした。

「ここには若君に危害を加える者はおりませぬ。ご養生ください」

「……そうか」


 袖を離してほしいのだろう、困ったようにちらちら勝千代の手を見ているが、もう少し付き合ってほしい。

 しかし、尋ねることを熟考しているうちに、次第に瞼が重くなってくる。

 そろそろと袖を抜こうとされて、反射的にぎゅっと指に力を込めた。


「若君」

 相手を捕まえておくために眠気と戦っていた勝千代は、まったく別方向から聞き覚えのある声で呼びかけられてはっとした。

 襖が開く音もしなかったし風の動きもなかったのに、いつのまにか狭い室内にもう一人、黒装束が増えている。

「そなたか」

 襖の前で膝をそろえて座っているのは、乾飯をくれた男だ。

 あいかわらず背中に定規でも入っているかのように姿勢が良い。


 乾飯の男に気を取られているうちに、捕まえていた男は袖を取り返して後方に下がった。

 情報源としては彼のほうが聞き出しやすそうだったのだが、やむを得ない。

「面倒を掛けた」

「いえ、こちらも後手後手に回り申した。若君にこれ以上の危害が及ぶ前に動くつもりでしたのに」

「わたしのことはよい」

 いや、本当は良くないが、今生きていて、身の危険がないのであれば文句はない。


 見るからに忍者! な彼らは、おそらくはこの時代だと乱破、素破と呼ばれる特殊技能職集団だろう。

 父に仕えているのか、期限付きで雇われているのかはわからない。しかし、一族総出で召し抱えられているのでない限り、職種としては傭兵と言える。

 だとすれば、金さえあれば雇えるだろうか。何かのついででもいいので、大きな街まで連れて行ってくれないだろうか。


 勝千代は父の嫡男なので、本来であれば自身の立場を取り戻そうと思うべきなのだが、中の人は安全第一、あの城から遠く離れるのが最も良いと考えていた。

 しかし今すぐは無理だ。

 この体調での長旅は、自殺行為としか言えない。


「どうなっている?」

 主語も述語もなく、子供らしいつたない口調でそう問いかけると、男は「はい」と一つ頷いて居住まいをただした。

 あれだけ姿勢が良かったのに、さらにきゅっと背筋を伸ばし、両手を行儀よく太ももの付け根あたりに置く。

「ヨネが若君をさらったと大騒ぎです」

「……足腰の悪い老婆にそんなことができるわけなかろう」

「実際はどうであれ、若君は消え、ヨネの姿もありません」

 実際は小太刀をふりまわして躊躇なく敵を屠れる老婆なのだが、その辺のところは二人ともスルーする。

「情報統制され、かどわかされたという噂が外部に漏れないようにされています。端の童が身支度を整えられ、部屋を与えられたようです。身代わりにしようというのでしょう」

「……なるほど?」

 勝千代を排除したら、長男である千代丸を継嗣に、と言い出さないのが不思議だった。そのあたりにやはり何かあるのだろう。

「父上は?」

「若君のご無事はお伝えしております。すぐにも城に乗り込もうとなさっておられました」

「まだ早いな」

 無意識のうちにこぼれた言葉に、内心しまったと口をつぐむ。

 どう考えても幼児の台詞ではなかったからだ。

「はい」

 中の人はいい年した大人なので、続けて墓穴を掘る失態は避けたが、相手はまったく気にしていない様子で同意した。

「いまだ情報が出そろっておりませぬ。動機はともかくとして、何を目的としているのか。この先どうするつもりなのか。決定的な証拠もつかめておりませぬ」

 男のその淡々とした口調に、用心深く目を伏せる。

 まさか中の人の存在に気づいたわけではないだろう。いや、気づかれたからと言って、どうできることでもないが


「戻ったほうが良いのだろうが、死ぬ気しかせぬ」

 気を取り直して顔を上げると、二対の黒い眼がまじまじとこちらを見ていた。

 乾飯の男は無表情に。薬師か医師らしき男は目を見開いて。

「もちろんです。これ以上若君を危険な目に遭わせるわけに参りませぬ」

 だったらこのまま安全圏まで連れて行ってくれないだろうか。大きな街まで送ってくれるなら、一生感謝するのだが。

「父上はなんと?」

 とはいえ実質無一文の幼児に、仕事を依頼する権利はない。

「今は身体を休めるようにと」

「そうか」

 ならば、その言葉に従おう。

 いずれ城を離れるにしても、今の勝千代は三つ四つの子供。まともに身体を起こすこともできない病床の身なのだ。


 男たちから目をそらし、古い天井の梁をじっと見上げる。

 考えてもなにもできないのだから、今は言われた通り体力回復に努めるべきだろう。

 そっと瞼を閉ざすと、たちまち周囲は闇に覆われる。

 室内は灯し油のあかりでほのかに照らされているが、目を閉じてしまえばそこにあるのは暗い闇だ。

 

 近づいてくる気配はなかったが、身体に布の重みを感じて、肩まで布団をかけなおしてくれたのだと察する。

 布団と言っても、この時代には分厚い綿の入ったものはまだなく、冬生地の着物を何枚も重ねただけだ。今の季節だとどうしても芯まで暖かいとは言えない。

 それでも精いっぱいの心づくしをしてくれたのがわかり、ほっと気持ちがほぐれていく。

 なんだかんだいって、この身体に入り込んでしまって以来、一度として気が休まるときはなかったのだ。


「すまぬ」

 小さくつぶやくと、寝具を整えてくれていた手が止まった。

「……ありがとう」

 前者は武家の嫡男である勝千代として、最後口の中でこぼしたのは、中の人の心からの謝意だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 実に不気味な書き出し。 転生物としては異形の始まりで、期待しています。
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