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冷たい風が頬を打っている。
頭から被った小袖は薄桃色の小紋柄……あのときたまたま掴んだ一枚だが、女性ものだ。なんでこれを選んだんだろう自分。
ばたばたとはためく小袖を横目に眺め、ほんの少し後悔する。
いや、あるだけマシなのだ。
一枚多めに被っていても、ものすごく寒い。
熱? ……下がっている感じはする。
あまりにも寒くて、自身の体温など全く分からないと言ったほうがいいだろうか。
「御自ら出られずとも……」
ここまできても説得を諦めない弥太郎が、ぼそぼそと呟く。
「お身体の具合が優れませんのに」
勝千代は強いて後ろを振り返らず、黙って遠くの篝火を見つめた。
待っているだけでは駄目だと悟ったのだ。
楓のような子供でも、生きていくために必要な仕事をしっかりこなしている。
勝千代が今するべきなのは、この一件を即座に収めることだった。
体調の善し悪しなど、人死にを前にすれば言い訳にもならない。
これまでは自分の事を、ただの病弱な四歳児に過ぎないと考えていた。
己の手では何もできず、周囲に守られているだけの哀れな幼児なのだと。
だから表立っては動かなかったし、むしろ熱を出すばかりの迷惑な身体を引け目に感じていた。
だが、必要であれば殴られることも厭わず、しかしチャンスが来れば逞しくやり返す楓を見て、このままではいけないと思ったのだ。
彼自身が生き残るために、皆がこの困難を乗り切るために、何ができるのか。何をするべきなのか。
答えはすでにわかっていた。
わかっていたのに、すぐに動かなかった。
その結果が、日向屋の奥方の負傷であり、楓の顔の青あざだ。
すっと傍らに段蔵が立つ。彼の長身が風を遮り、少し楽になる。
「……無事届けたな?」
「はい」
配下としてはいささか不遜な立ち位置だが、風よけのためにわざとそうしているのだろう。
勝千代は首が痛くなるほど長身の忍びを仰ぎ見て、その表情から不測の事態はないと判断した。
……では時間だ。
一歩踏み出すと、草履越しに尖った石が足裏を刺す。
そんな痛みにすら怯みそうになるのを、無理をして受け流す。
段蔵も、弥太郎も、じっと勝千代を見ている。少しでも弱さを見せたら、安全圏まで引かされるだろう。
彼らは「勝千代の護衛」ではなく、「勝千代を護衛」しているのだ。
「何者っ!!」
歩き始めてそう経たないうちに、誰何された。
まだ目的地まで距離があるのに、物々しく武装した僧兵たちが松明を片手にこちらを見ている。
「……名乗る必要は感じぬ」
勝千代は毅然と答えた。
いつものどこか細い、弱々しい声ではない。腹に力を入れると、自然と声が張る。
「如章とやらに会いに参った。案内いたせ」
農民や商家の出が多い僧兵たちは、勝千代の虚勢に明らかに怯んだ。
「どうした? 私を探せと言われているのだろう?」
手本は東雲だ。
あいにくと扇子の持ち合わせはないが、ツンと顎をあげるとそれらしく見えるだろう。
目で相談しあう僧兵たちの反応を、待ちはしなかった。
勝千代が足を踏み出すと、自然と僧兵たちは後ずさる。
それは幼い子供に引いたというよりも、やけに偉そうなその雰囲気と、背後に控える段蔵たちの存在があっての事だろう。
ただ、ひとりが引いてしまえば、集団心理として皆が同調する。
そしてどうなったかというと、ぞろぞろと大勢いた僧兵たちが、まるでモーゼが海を割ったワンシーンのように、左右に分かれて行ったのだ。
正直、内心ではびくついていた。僧兵たちは勝千代の目にはものすごく屈強に見え、順に左右に割れていく様子は異様な情景だった。
もしこのまま押し寄せられたらどうなる? 囲まれて殺されてしまうのではないか?
しかし必死でその恐怖を押し込め、表面上は平静を装う。
やがて、見覚えのある寺の門前までやってきた。
立派な造りの門の左右には、いくつもの篝火が焚かれている。
さすがに現代日本の明るさとまでは言えないが、この時代の人々には目を見張るほどに派手で眩く映るのだろう。
それもおそらく、如章の演出なのだ。
人々を畏れさせるには、火はわかりやすく重要な要因だ。
下町の通りを焼いたのも、畏怖を煽り、行動を制御しようとしての事なのだと思う。
しかし、もっと派手な……それこそネオンのギラギラしい世界を知っている勝千代には、感じるものはあまりなかった。
ボーイスカウトのキャンプファイヤーよりも小さな火勢なのだ。
むしろ炎の揺らぎを見ると、ふつふつと怒りがこみあげてくる。
あの下町の惨劇は、勝千代の脳裏に強烈な記憶として焼き付けられていた。
怒りに背中を押されるようにして、数段の階段を上がる。
その先に堂々たる佇まいで待っていたのは、丸々とした体格の僧侶だった。
周囲の僧兵たちが墨色の法衣なのに対し、びっくりするほど派手な装束である。
オレンジ色の袖のある着物に、炎を照り返してぎらついている袈裟。
思わず目をつぶりたくなるほど……なんというか、テカテカしている。
見る人が見れば、有難いと拝みたくなるのかもしれないが、勝千代の目には、やけに空々しく……要するに、嘘っぽい張りぼて感満載に見えた。




