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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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58/308

10-5

 火のついた松明を片手に立ち尽くす男を、眩しすぎて焦点の合わない目で見つめる。

 弥太郎は松明を左手に、もう片方の手には、よく見えないのだが、太刀よりは短いが小太刀よりは長い刀をぶら下げていた。

 その足元には、先ほどまで楓を甚振っていた男たちが、無残に血にまみれて転がっている。

 強い炎の明るさは、その惨劇の様子を余すことなく伝えていたが、光が強ければその分影も濃くなる。

 立ち尽くしている弥太郎の表情は勝千代の位置からは見えず、ただ、その全身が返り血に染まっていることだけはわかった。


 過呼吸発作の対処法は、吸い込む息の調整をする事だが、あまりひどくはなかったので、両手で口を塞ぐだけで治まってきた。

 しかし問題は、頭から血をかぶったように真っ赤な弥太郎だ。

 普段の穏やかな彼と、その血の色とのギャップ。

 冗談で血糊を掛けたのかと勘繰りたくなるほどミスマッチだ。


 天井裏から降ろされて、真っ先に確認したのは楓の無事だ。

 驚いたことに彼女は、乱れた着姿のまま僧兵たちを蹴りつけていた。

 すべての僧兵は床に転がり、呻き声すら上げていない。

 その傍らに立っているのは弥太郎。

 勝千代の目には、どこか放心しているようにも見えた。

 前述したように着物を真っ赤に染めていて、向いている角度的にその表情は見えない。

 甚振られていた楓よりも気になって注視していると、ふっと何かに気づいたように顔を上げ、こちらを向いた。

「若君」

 ほっと息が抜けるような安堵の表情……ただし、全身血まみれだが。


 床に足を突いた瞬間、勝千代の膝ががくりと折れる。

 手足の長い忍びがさっと支えてくれたので、倒れはしなかったが、弥太郎が慌てて駆け寄ってきた。

「先に返り血をなんとかしろ」

 段蔵にそう言われて初めて気づいたようで、こちらに伸ばしかけていた手をはっとしたように引っ込める。

「弥太郎」

 とっさに声を掛けていた。

「怪我は?」

 視界の端で、楓がぽかんと口をあけたのが分かった。

 どう見ても弥太郎が怪我をしたようには思えない……その気持ちはわかる。むしろ顔を殴られた彼女のほうが重傷だろう。

 だがしかし、「いいえ」と言いながら小さく笑みを浮かべた弥太郎を見て、そう尋ねたのは間違ってはいなかったのだと察した。


「楓は?」

 続いてそう問いかけると、彼女は開いていた口を急いで閉ざして、首を上下に振った。

「……あっ、はい! 急所は外して殴られていたので大丈夫です」

 殴られ方にも技術があるのか。

「弥太郎にみてもらって」

 女の子なのに、顔に傷でも残ったら大変だ。

 最後に、段蔵を見上げる。

「何がどうなっている?」


 段蔵は音もなくその場に片膝をついた。

 同時に血まみれ弥太郎も、ボロボロの楓も、勝千代を抱えている男までもが膝を折り頭を下げる。

「……問題が起こりました」

「問題」

 これ以上また何が、と耳を塞ぎたくなる。

「日向屋が宿泊していた宿が、僧兵どもに襲撃されました」

「それって」

「下男の何名かが腹を下して寝込み、それを口実に疫病が出たと」

 もし勝千代が姿を隠していなければ、父の宿も襲われていたかもしれない……という事か?

 父とその配下の者たちは武士なので、商人である日向屋ほどは簡単ではなかっただろうが。

「……日向屋は」

「ご無事です。東雲様がご滞在中のお屋敷に匿われています」

 ほっと息を吐く。

「ただし、同行していたお内儀が手傷を負って重症です」

 それで弥太郎が呼ばれたのか。

 ちらりと血まみれの薬師を見ると、普段通りの澄んだ視線とぶつかった。

 こちらを気づかわし気に見ているその表情は、やさし気な医療従事者そのものだ。

「奥方の容態は?」

「肩から背中までこう……ばっさりと。傷口は塞ぎましたが、乗り越えられるかどうかはわかりません」

「側についていなくて大丈夫なのか?」

「あとは本人次第です」

 そんなわけないだろう。

 医者がついていてくれないと、不安なのではないか。

 そう言おうとして、隣の段蔵が小さく息を吐いたのに気づいて黙った。

 弥太郎は、勝千代の事を心配して戻って来たのだろう。

 実際勝千代の体調はそれほど良いとは言えないし、僧兵どもが襲ってきたこともあるから、戻ってきてくれてありがたかったとは思う。

 だがしかし、どう考えても、重傷の奥方のほうに付いているべきではないか?


 段蔵の表情から、言っても無駄なのだと悟り、話を変えることにする。

「……その者たちは? 死んだのか?」

 もはや嗅ぎなれてしまった血の臭いに顔をしかめ、転がっている僧兵たちへと顎をしゃくる。

「いいえ。知っていることを吐かせねば」

 人の命を救う手の持ち主が、平然とそんな風に答える。

 勝千代は血まみれの弥太郎をしばらく見つめ、「そうか」と短く言った。

 弥太郎はきっと、平和な時代であれば、ただ人を救うために生きていただろう。

 その手を血で染めなければならなかったのは、この殺伐とした世の習いのせいだ。


 この男たちが楓にした事も許せるものではない。

 あの分だと他でも同様の事をしているだろうし、その時には止める者が誰もいなくて、被害者はきっと泣き寝入りをしている。

「殺すより生かして悔いさせよ」

 勝千代は感情を殺してそう告げた。

 今は何を言っても繰り言にしかならない。

 すべてを「時代」と一言で片づけてしまえることが、悲しかったし、悔しかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >学術書ではなく、娯楽のための小説なので、楽しく読めるようでないと。 その辺のさじ加減は難しいところですよね あくまでエンタメなので、大事なのは正確さではなくあくまで雰囲気だと思いますが…
[良い点] 「情報」はこの時代には無い熟語なんじゃないでしょうか? あまり細かい事を気にするのもアレですが、比較的硬い作りで物語が書かれて居るので、語句の選定もそれなりに"らしさ"があった方が読む側と…
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