10-5
火のついた松明を片手に立ち尽くす男を、眩しすぎて焦点の合わない目で見つめる。
弥太郎は松明を左手に、もう片方の手には、よく見えないのだが、太刀よりは短いが小太刀よりは長い刀をぶら下げていた。
その足元には、先ほどまで楓を甚振っていた男たちが、無残に血にまみれて転がっている。
強い炎の明るさは、その惨劇の様子を余すことなく伝えていたが、光が強ければその分影も濃くなる。
立ち尽くしている弥太郎の表情は勝千代の位置からは見えず、ただ、その全身が返り血に染まっていることだけはわかった。
過呼吸発作の対処法は、吸い込む息の調整をする事だが、あまりひどくはなかったので、両手で口を塞ぐだけで治まってきた。
しかし問題は、頭から血をかぶったように真っ赤な弥太郎だ。
普段の穏やかな彼と、その血の色とのギャップ。
冗談で血糊を掛けたのかと勘繰りたくなるほどミスマッチだ。
天井裏から降ろされて、真っ先に確認したのは楓の無事だ。
驚いたことに彼女は、乱れた着姿のまま僧兵たちを蹴りつけていた。
すべての僧兵は床に転がり、呻き声すら上げていない。
その傍らに立っているのは弥太郎。
勝千代の目には、どこか放心しているようにも見えた。
前述したように着物を真っ赤に染めていて、向いている角度的にその表情は見えない。
甚振られていた楓よりも気になって注視していると、ふっと何かに気づいたように顔を上げ、こちらを向いた。
「若君」
ほっと息が抜けるような安堵の表情……ただし、全身血まみれだが。
床に足を突いた瞬間、勝千代の膝ががくりと折れる。
手足の長い忍びがさっと支えてくれたので、倒れはしなかったが、弥太郎が慌てて駆け寄ってきた。
「先に返り血をなんとかしろ」
段蔵にそう言われて初めて気づいたようで、こちらに伸ばしかけていた手をはっとしたように引っ込める。
「弥太郎」
とっさに声を掛けていた。
「怪我は?」
視界の端で、楓がぽかんと口をあけたのが分かった。
どう見ても弥太郎が怪我をしたようには思えない……その気持ちはわかる。むしろ顔を殴られた彼女のほうが重傷だろう。
だがしかし、「いいえ」と言いながら小さく笑みを浮かべた弥太郎を見て、そう尋ねたのは間違ってはいなかったのだと察した。
「楓は?」
続いてそう問いかけると、彼女は開いていた口を急いで閉ざして、首を上下に振った。
「……あっ、はい! 急所は外して殴られていたので大丈夫です」
殴られ方にも技術があるのか。
「弥太郎にみてもらって」
女の子なのに、顔に傷でも残ったら大変だ。
最後に、段蔵を見上げる。
「何がどうなっている?」
段蔵は音もなくその場に片膝をついた。
同時に血まみれ弥太郎も、ボロボロの楓も、勝千代を抱えている男までもが膝を折り頭を下げる。
「……問題が起こりました」
「問題」
これ以上また何が、と耳を塞ぎたくなる。
「日向屋が宿泊していた宿が、僧兵どもに襲撃されました」
「それって」
「下男の何名かが腹を下して寝込み、それを口実に疫病が出たと」
もし勝千代が姿を隠していなければ、父の宿も襲われていたかもしれない……という事か?
父とその配下の者たちは武士なので、商人である日向屋ほどは簡単ではなかっただろうが。
「……日向屋は」
「ご無事です。東雲様がご滞在中のお屋敷に匿われています」
ほっと息を吐く。
「ただし、同行していたお内儀が手傷を負って重症です」
それで弥太郎が呼ばれたのか。
ちらりと血まみれの薬師を見ると、普段通りの澄んだ視線とぶつかった。
こちらを気づかわし気に見ているその表情は、やさし気な医療従事者そのものだ。
「奥方の容態は?」
「肩から背中までこう……ばっさりと。傷口は塞ぎましたが、乗り越えられるかどうかはわかりません」
「側についていなくて大丈夫なのか?」
「あとは本人次第です」
そんなわけないだろう。
医者がついていてくれないと、不安なのではないか。
そう言おうとして、隣の段蔵が小さく息を吐いたのに気づいて黙った。
弥太郎は、勝千代の事を心配して戻って来たのだろう。
実際勝千代の体調はそれほど良いとは言えないし、僧兵どもが襲ってきたこともあるから、戻ってきてくれてありがたかったとは思う。
だがしかし、どう考えても、重傷の奥方のほうに付いているべきではないか?
段蔵の表情から、言っても無駄なのだと悟り、話を変えることにする。
「……その者たちは? 死んだのか?」
もはや嗅ぎなれてしまった血の臭いに顔をしかめ、転がっている僧兵たちへと顎をしゃくる。
「いいえ。知っていることを吐かせねば」
人の命を救う手の持ち主が、平然とそんな風に答える。
勝千代は血まみれの弥太郎をしばらく見つめ、「そうか」と短く言った。
弥太郎はきっと、平和な時代であれば、ただ人を救うために生きていただろう。
その手を血で染めなければならなかったのは、この殺伐とした世の習いのせいだ。
この男たちが楓にした事も許せるものではない。
あの分だと他でも同様の事をしているだろうし、その時には止める者が誰もいなくて、被害者はきっと泣き寝入りをしている。
「殺すより生かして悔いさせよ」
勝千代は感情を殺してそう告げた。
今は何を言っても繰り言にしかならない。
すべてを「時代」と一言で片づけてしまえることが、悲しかったし、悔しかった。




