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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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56/308

10-3

 パチリと目をあける。気配で察するに夜だ。

 締め切られた室内は暗く、灯明のあかりがひとつ、ぼんやりと部屋の一角を照らしている。


 誰もいない。

 ……ような気がしても、常に側に弥太郎か、近くには段蔵が控えているのだが、ゆっくりと体を起こし、しばらく待ってみても、誰かが近づいてくる様子はなかった。

 とはいえ勝千代に、他者の気配を察知するようなスキルはない。

 息を殺されていれば、相手が子供であっても気が付かない自信がある。

 いつもは意図的にわかりやすく振舞ってくれている弥太郎が近くにいない。

 ただそれだけで、急に肌寒さが増した気がした。


 部屋に置かれた火鉢の炭はまだ赤い。

 しかし、五徳の上の鉄瓶から水蒸気は出ておらず、空焚き状態のようだ。

 

 漠然としていた不安が、現実味を帯びてきた。

 弥太郎がこういう失敗をするのを見たことがない。

 つまり、すぐに戻ってくるつもりで、戻れないでいるのだ。


 勝千代はぶるりと身震いし、冷えた身体を両手で摩った。

 ひとつ、深呼吸する。

 掛布にしていた小袖を肩に羽織り、暗い部屋を見回した。


 勝千代の、ごくごく平凡な子供の耳には、遠くの木枯らしの鳴る音と、ガタゴトと雨戸を揺らす音しか聞こえない。

 灯明の芯がじりじりと燃え、揺れる炎が一段と小さくなった。

 今この状態で明かりが消えるのは避けたかったので、四つん這い状態で近づいて皿を覗き込んでみる。

 油がずいぶん少なくなり、灯芯の端が皿を焦がして黒くなっていた。

 火傷をしないように注意しながら、灯心の位置を少しずらす。

 皿からはみ出た分、炎は大きくなり、はっきりと見えなかった室内が少しだけ判別できるようになった。


 やはり人の気配がない。

 弥太郎が灯明をつけっぱなしで席を離れるなど、よほどの事があったのだろう。

 厠か? 食事でも取りに行ったのか? それとも……

 嫌な想像が頭を巡った。


 もう一度室内を見回して、今まで勝千代が寝床にしていた近くに子供用の着替えが一式、丁寧にたたまれて置かれていることに気づいた。

 大ぶりな模様の入った、青い直垂だ。

 何か急なことが起こった時のために用意してくれたのだろう。


 少し迷ったが、身支度をしておくことにした。

 このまま油が尽きてしまって、そのあとに何かが起こったら、今の恰好のまま動かなければならなくなる。

 小袖一枚でこの寒空の下に出て行くなど、今の勝千代には自殺行為だ。


 相変わらず複雑な、この時代の着物には慣れない。

 防寒着同様、簡単に被って済むトレーナーやセーターやジーンズが恋しい。

 寒くてうまく動かない手で悪戦苦闘しながら、たたまれている一式を上から順に身に着けていった。


 まず小袖を着て、衣紋襞に苦心しながら直垂の上を着て、同色の袴をはく。

 今回は直垂の帯に苦戦して、途中で上手に始末をつけるのを諦め、袴を被せて誤魔化した。

 急いでいるからね。仕方がないよね。

 胸紐も適当だ。本結びになっているような、縦結びになっているような。


 どう見てもちぐはぐな、子供が自分で着ましたが何か? という雰囲気だったが気にしない。実際子供だし。

 寒いのでさらにその上から布団にしていた小袖を羽織り、そろそろ弥太郎が戻ってきてはくれないかと様子を伺う。



 ガタリ、と少し離れた場所で木戸が動く音がした。

 勝千代はハッとして耳を済ませ、どすどすと遠慮なく響く足音から、やってきたのが忍びではない、つまり弥太郎や段蔵ではないとすぐに察した。


 父かもしれない。二木や土井かもしれない。

 そんな淡い期待は、遠くから漏れ伝わってくる会話を聞いて霧散した。

「えらく冷えるなぁ」

「早く済ませちまおう」

「こんな辺鄙なところに誰もいねぇって」

「仕方ねぇだろう。中僧正さまのお計らいだ」

「……それってさぁ」

 二人は声を潜めたので、それ以上のことは聞き取れなかった。だがしかし、「僧正」というのは僧侶の階級だろう。如章のことではないか?


 勝千代は足音を立てないように、まず火鉢の炭に灰を被せた。

 それから寝床にしていた小袖類をひとまとめにし、部屋の隅に寄せて置く。

 できれば雨戸をあけて温められた空気を外に出してしまいたかったが、そうしなくとも、隣室に続く襖を半開きにするだけで一気に室温が下がった。


 ここに居た事実を消しきれてはいないが、これ以上できることはない。

 二人が近づいてくる前に身を隠さなければ。


 ひとりでうまく逃げ切れるだろうかと、自問してみる。

 すぐにも弥太郎が戻ってくるはずだから、少しの間身を隠すだけでいい。

 子供がひとり隠れることができる程度の隙間なり見つけて、じっとしているべきだろう。

 この場所を遠く離れるのは悪手だ。

 迷子は、その場から動いてはいけないのだ。

 最後に、灯明の火を消しておこうと近づいたところで、背後ですすっと襖が閉まる音がした。


 見つかってしまったのかと、肝を冷やして振り返ると、そこにいたのは大小二つの人影。

 ひとりは子供。もう一人はひょろりと妙に手足が長い男だった。

「若君」

 影だけで、顔は見えない。

 しかし聞こえてきた声は、楓のものだった。

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