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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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54/308

10-1

話のつながり的に昨日更新した部分を9-6に変更しました。内容的には変わっていません。

 「やらかした!」と、テスト当日に寝坊した生徒の気分で跳ね起き……ようとして、頭をぐっと押さえられてプチパニックを起こした。

 振り上げようとした手は、布でぐるぐる巻きにされているので動かせない。

 視界も全く利かず、見えているのは渋草色の着物の布だけだった。


 ここはどこだ。

 自問した答えは、自身の理性から即座に帰ってきた。

 弥太郎に抱きかかえられて、運ばれているのだ。

 嗅ぎなれた薬草の臭いに少し心を落ち着けて、ではどうしてこんなことになっているのかと、記憶を振り返ってみる。


 覚えている最後は、父と話したあの時だ。眠るように言われて、そのままぐっすり寝込んでしまった。

 もともとそれほど眠りが深いほうではないのに、こんなことになるまで起きないのはおかしい。

 眠らされたな。

 大人たちの判断だろうか。その思惑を確実に言い当て、顔をしかめる。


 父たちは心配したのだ。

 熱があろうが、生死の境をさ迷おうが、無理をして動こうとする勝千代の身を案じたのだ。

 理解はするし、もし自分がその立場だったら同じようにするかもしれない。

 しかし、たらればを語るより先に、今はそんな状況ではないだろう! と言いたい。


 こうやって運ばれているところを見ると、いい状況ではない。

 宿に踏み込まれ、病人を探そうとされたのだろう。

 布の隙間から見える外は明るいが、まさか一日経っているとか言わないよな?

 それだけ時間が経過してもまだ朝比奈殿が介入してこないのなら、彼らもまた結託している可能性を考慮しなければならない。


 しばらくして、勝千代の動きを封じていた腕が解かれた。

「……若君?」

 怒ってるんだぞ! との意思を込めて顔をしかめていたが、視界に入った弥太郎の真っ赤に染まった右肩を見て表情を硬くした。

「怪我をしたのか?」

「ああいいえ、私の血ではありません。未熟者で申し訳ありません」

 勢い込んで問い詰めると、あっさりと否定された。

 これほどの血液を浴びているのに、今もまだ血の臭いを感じない。

 忍びご用達の血臭消しでもあるのかもしれない。


「何があった」

「僧兵が宿場通りを封鎖しました。宿から一歩も出るなと言い、木戸などを立てて物々しく出入りを禁じています」

 改めて尋ねると、勝千代を見知らぬ部屋の床の上に降ろしながら、弥太郎が答えた。

 思っていた以上に状況は悪い。

「父上は」

「朝比奈さまと折衝中です」

 折衝?

「あちら側は、事態が収まるまで町を閉ざすと」

 勝千代は顔をしかめた。

 疫病が発生したかもしれない。そう言われたほうの立場からすると、理解できない行動ではない。

 いくら本願寺派の専横を苦々しく思っていたとしても、それとこれとは話が別だ。

 領内に感染を広げるわけにはいかないからだ。


「段蔵」

 どうせ天井裏にいるのであろう男に向けて、声を掛けてみる。

 すぐに返答がなく、どうしたのかと思えば、一分ほどして普通に襖を開けて入ってきた。

 その背後には、十歳ぐらいのほっそりとした体躯の少女がひとり。

 彼女は静かに膝を折り、丁寧に両手を床に着いた。


かえでには子供の取りまとめを任せています。報告を」

「はい」

 額を床につけるほどに頭を低くしているのは、ヨネのためにツバキの花を手向けてくれたあの少女だった。

 岡部の城でも、ここでも、おそらく彼女の仕事は諜報だ。

 まだこんなに年若いのに……いや、だからこそ、誰にも警戒されずに相手の懐に入り込めるのかもしれない。


「寺を見張っていたところ、ひと目を避けて子ザルが入っていきました」

「子ザル?」

「子ザルを連れた人買いの小男です」

 パッと脳裏によみがえったのは、パシパシと鞭をふるって滑稽な踊りをしていたあの男の事だ。

「万事が世話をしているナツという子供について調べさせていました」

 補足を入れたのは段蔵だ。

「楓と、その者との話が妙なところでつながりましたので、念のためにご報告を」


 勝千代はぎゅっと眉間にしわを寄せ、押し寄せてくる不快感に耐えた。

 詳しく話を聞く前から、そのつながりが見えてしまった。

「人買いは寺から子供を買っていたようです。おそらくは、貧しくて寺に預けられた子供を横流ししてもらい、上がりのいくらかを寺に渡していたのでしょう」

 嫌悪のあまり鳥肌が立った。

 人買いという行為そのものに忌避感があるが、それにもまして、仏の道を説いているはずの僧侶がそのような事に手を染めているとは……


「寺で妙な話を聞きました」

 楓が言葉を続ける。

「娼館に売りはらうつもりだった女童が、武家の男に買われてしまった。もしかするとそこから姉の方にも足がつくかもしれない……と」

「足がつく?」

「早めに奥の女の口封じをしたほうが良いと」

 奥の女? 嫌なフレーズだ。

 勝千代のまっとうな部分は耳を塞ぎたいと思ったが、それは許されない事だった。

 ぴったりと額を床につけている楓が、危険を顧みず仕入れてきた情報だ。

 無駄にするわけにはいかない。


「寺の奥に女が捕らわれていると?」

「肉食も妻帯も是とされているご宗派ですが、軽々しく女を買うことなどは禁じられています。たいていの僧侶は見目の良い男子を小坊主として囲い込みますが、やはり女のほうが良いと寺ぐるみで隠していることも多いです」

 珍しい事ではない、と段蔵は言う。

 そういう場合、女は寺の僧侶たち全員の囲い者となり、要するに専属の娼婦のような扱いを受けるのだと言う。

「……僧侶だよね?」

 彼らは仏の教えを説く聖職者ではないのか? 小坊主と云々は自由恋愛かもしれないからさておき、女性を共有物として囲い込むのは倫理的にアウトだろう。

「俗物どもです」

 段蔵はばっさり切って捨てた。


 勝千代の中の人もいい年をした大人だったから、男の欲望についてはわからなくもない。宗派にはよるが、お坊さんの結婚についても珍しくない時代だった。

 肉食や女犯についてはそれぞれの教義なのだろうから特に何も感じはしないが、段蔵が言っていることはそういうものとは全く意味が違う。

「気になりましたので、奥の女性を見てまいりました。夢路ゆめじと呼ばれておりました。成人して間もないぐらいの年頃の、武家のお嬢様のようにお見受けしました」

 彼女はひとり、薄暗い座敷牢に閉じ込められているのだと楓は言う。


 相変わらず額を床につけたままの少女を見下ろしながら、彼女が見てきたという女性の事を思った。

 家族を養うために身を売る娼婦について偏見はない。こういう時代だし、特に女性が生きていくのは困難な時代なのだろうと思う。

 ただ、弱い立場の者を良いように扱う者がいる事が、しかもそれが人々に救いを説く僧侶であることが、やるせなく、許しがたかった。 


「このような話を若君のお耳に入れてもいいものか悩みましたが……これを」

 段蔵が手ぬぐいの間に挟んでいたものを差し出した。

 それは、柘植の櫛だった。

 丸みを帯びた形状で、櫛の部分も均等で美しい仕上がりの、ひと目で高級品とわかるものだ。

「夢路さまの所持品です」

 勝千代は、そこに小さく刻まれている家紋にはっと息を飲んだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] もしかしてあの手紙の...。益々気になる展開。
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