表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬嵐記  作者: 槐
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/308

9-4

 なかなか表には出てこない男なので、こうも至近距離で向き合うのは久々だ。

 勝千代の意識がない間、彼にも気をもませていたようで、普段は表情筋の動きが少ない頬が若干こけて見える。

「お戻りくだされてようございました」

 その言葉に一瞬どきりとしたが、段蔵が言っているのはおそらく、意識が戻ってよかったという意味だろう。

「心配をかけた」

 周囲にこんなにも気にかけてくれる人たちがいるのに、どうしてふわふわと身体を離れようと思ったのだろう。


 確かに、体調の事を気にせず自由に好きなところに行けるのは楽しかった。

 見たくもないものも見せられたが、それでも、息切れもせず遠くまで行けるあの解放感は忘れられない。

 いつかきっと、自由に歩こう。

 春の野原を気ままに散策したり、そうだ、海を見に行くのもいいかもしれない。

 それにはまず、この虚弱な体を何とかすることだ。

 いちいちそれに水を差す、押し寄せてくる厄介ごとを早く解決してしまいたい。



「……報告いたします」

 相変わらずの姿勢の良さで一礼して、居住まいを正す。

 勝千代は段蔵のその几帳面な所作をじっと見上げて、さてどんな話が出てくるのだろうと頷き返した。


「混ぜられていたものは下剤でした」

 勝千代の眉間にしわが寄る。

「効果は強いですが、持続時間は短く、毒物というよりも便秘薬のくくりで、ご婦人方によく処方されるものです」

 下剤? そんなものを勝千代にのませてどうしようと言うのだ。

いや、あれ以上の脱水症状が進めば命の危険もあった。完全に無意味というわけではない。

 しかし、本気で命を狙うのなら、下剤などという回りくどい手段を取るだろうか?

 どうせ混ぜ物をするのなら、致死毒を入れても良かったはずだ。

「……殺すつもりはなかった、ということ?」

「標的はおそらく無作為です。たまたま若君の膳にあがりましたが、複数ある水瓶のうちのひとつだけに混入していましたので、誰の口に入っていてもおかしくありません」

 なんだそれは。愉快犯か?

「気になったので、手の者に他の宿も調べさせました。おおよその所で似た薬が混ぜられていました」

「始末は」

「もちろん即座に」

 だがしかし、よくある便秘薬なら簡単に新しいものを入手できるだろう。

 水瓶の水が処分され、誰も引っかからなかったとわかれば、犯人はまた同じことをしようと試みるのではないか。


 もしかして……と、如章のあの福々しい笑顔を思い出す。

 同時に、残忍極まりない殺され方をした町人たちの事も。

 ぞわり、と背筋に悪寒が走った。

 それは、唐突にたどり着いてしまった憶測によるものだった。

「急いで雨戸をあけ、襖戸もあけ……床も上げよ」

「若君?」

 弥太郎が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 勝千代は身体に掛かっている布をめくり除けようとして、あまりにも重くて撃沈した。

「なりませぬ、まだ養生せねば」

 着物ごときに負けて起き上がることもできないなんて!

 不甲斐なさに唇を噛み、ゆるく肩を押さえようとしている弥太郎をキッと見上げる。


 予想通りなら、一気に宿場通りに病人が増えるだろう。

「弥太郎」

「はい」

「身支度を。父上と、こられている客人に話がある」

 東雲が言っていた。「疫病が出たと騒ぎ立てる」と。

 人々が一斉に腹を下して寝込めば、何も知らない者は疑いもなくそう信じてしまうだろう。

 通常の大人であれば半日で症状は和らぐとしても、勝千代のような幼い子供や年老いた者、日ごろから寝込みがちな体の弱い者ならどうなる?

 重篤な疫病患者に見えるのではないか?


「せめてご説明ください」

「時間がない」

「若君、じき戌の刻になります。外はもう暗い。今から雨戸をあけ放つのですか?」

 そうか、万事たちと戻って来た時にはすでに周囲は薄暗かった。

 ならば雨戸も寝床もまだ片さなくてもいいか。だが、差し迫った状況だという事に変わりはない。

「わかった。ならば身支度を。東雲様はまだいらっしゃるか?」

「はい」

 答えたのは段蔵だ。

「お話したいことがあるから、少しお時間を頂きたいと伝えて」


 勝千代は弥太郎の反対を押し切って、一朗太殿のお下がりの直垂を着せてもらった。

 顔色を少しでも小マシに見せるため、選んだのは明るい若草色の直垂で、それに合わせて手際よく小物の色も揃えられる。

 乱れていた髪を整え、濡れ布巾で顔だけはきれいに拭いてもらうと、なんとか見れる程度には身なりが整った。


 まともに立ち上がることすらできなかったので、自力で歩いていくのは諦めた。

 そもそも、着せ替えの短い時間身体を立たせているのも難しく、支度が整う頃には熱が上がり始め呼吸が乱れてきた。

 弥太郎にへばりつくようにして抱きかかえられ、なんとか部屋を出たものの、呼吸は荒く、吐く息が熱っぽい。

 やはりやめておきましょうと何度も言われたが、黙って首を振った。


 このままだと、あの恐ろしい焼き討ちと同じことが起こってしまうかもしれない。

 寝込んでいる間に、勝千代自身が疫病患者だと難癖をつけられ、この宿場通りや父に災禍が及ぶようなことがあったら……

 事が起こって後悔する前に、手を尽くしておきたい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
[良い点] 展開が意外過ぎて、面白いけどスリリング。 [気になる点] 幽体離脱、面白そうって思ってました。疫病騒ぎ、怖いね。内容は違うけど、日本でも群集心理による殺戮はあった、記憶力は悪いから確かめて…
[良い点] とても深い作品で年寄りのわたしでもじっくり読めます。 ご都合主義のチートとかがほぼないのもいいです。 あの時代を生きていくのはかなり厳しいのでこの先が楽しみなような怖いような。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ