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冬嵐記  作者: 槐
第三章

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50/308

9-3

 改めて重湯が用意された。

 今度は安心安全の弥太郎製だ。

 普段であれば重湯など腹の足しにもならないが、ひと匙ひと匙が重い。

 白粥まではとてもたどり着けそうにない。


「もう少し」

 スパルタな弥太郎が唇に匙を近づけてくる。

 塩気のある重湯が唇から少し入って来るが、これ以上は無理だ。

「あと一口がんばってください」

 さっきもそれ、言ったじゃないか。


 小さな茶碗に少量の重湯。

 あれだけ腹が減っていたのに、実際喉を通ったのはこれだけだった。

 せめて白粥、固形物を食べておきたかったが、重湯のとろみですら飲み込むのに時間がかかる。体力回復までの道のりは遠そうだ。


 食事ともいえないような食事を済ませ、更に薬湯を飲まされて、腹の中がタプタプになった。

 これ以上は無理。逆流する。

 顔色で言いたいことが分かったのだろう、父の大きな手が勝千代の頭をそっと撫でる。



 客が来ていることはすでに告げられていた。

 公家の、身分ありげな客だ。本来であれば待たせるなどとんでもない。

 しかし父は、勝千代の食事が終わるまで頑として側を離れようとしなかったし、東雲は長時間待たされても良いと答えたそうだ。


 東雲は雅号だ。

 本名は答えてくれなかった、と二木は報告していた。

 言ってもいいのかな、藤波さんだって。隠しているのなら言わないほうがいいのだろうか。

 しかし、たとえばその名前がものすごく有名なもので、誰もが知っている身分なのだとしたら、知らないことがマイナスに働くかもしれない。


 いや待て。肝心なことを忘れていた。

 勝千代がそれを知っているのはおかしいじゃないか。

 つい先ほどまで生死の境をさまよっていた幼子から、その間に知り合ったのだと男を紹介されても、理解に苦しむだけだろう。


「それから……」

 二木はちらりと勝千代を見て、言葉を濁した。

「万事が女を買ってきやがりました」

 言い方! しかも全然濁せてないし。

「……なんだと?」

 女じゃなくて女の子。しかもまだ10歳にもなっていない女童だ。ちゃんとそのことは伝えなければいけないはずなのに、二木は華麗にスルーした。

 当然父はいい気持ちにはならないだろうし、もちろん二木は、その感情を引き出したくて言ったのだ。

 あいかわらずのトラブルメーカーだ。


「女の子?」

 仕方がないのでフォローする。

「どこの子? 武家?」

「い、いやな、お勝、その……」

 気の毒な父がしどろもどろになって言葉を探す傍らで、二木は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「本当かどうか怪しいものですが、ナツとかいう名前で武家の出だそうです」

「ナツ」

「そうだお勝、父は客人に会いに行かねばならん」

 父が露骨に話を逸らしてきた。

 わかりやすいその態度に、口角を上げずにいるのに苦労する。

「はい」

「いい子で待っておれ」

「はい、父上」

 もちろんいい子なので、ちゃんと待っているとも。

 


 ところで二木。ニヤついているところ悪いが、頼みたい事がある。

 父と一緒に部屋を出ていこうとしたところを、視線を向けて引き留めた。

「そのナツという子にきちんとした身なりをさせてあげて」

 なんで俺が、と言いたげな二木に、にっこりと笑みを投げかける。

 わかってるよね、と言外に圧を掛けると、その爬虫類顔が露骨に嫌そうなものになった。

「費えは立て替えておいてね」

「はぁっ?!」

 わざと万事が不利益になるような言い方をしたのだ。本人にもその自覚があるはずだ。

 ただ、勝千代が気づくとは思ってもいなかったのだろう。

「万事もわたしも銭などもってないし」

「いや、何で」

「頼んだよ」

 あどけない女の子を花売りのように言ってのけたのだから、ちょっとばかり懐が痛もうと自業自得というものだ。

 持ち合わせがないと泣きついてくる可能性もあるが……そうなったら代わりに何をしてもらおうか。

 ちょっとばかり黒いことを考えながら、表面上はあどけなくにこにこと微笑む。


「古着でいいけれども、適当なことはしないように。武家の女の子だよ」

 この男の場合、具体的に指示しておかないと好き勝手に動くのだ。

「身支度が終わったら、父上に顔を通しておいて」

 ちゃんとした預け先が決まるまでは、勝千代らと行動を共にすることになるだろう。いつまでも花売りの少女だと思われるのは可哀そうじゃないか。

「……まさか、お側にあげるおつもりですか?」

 細い目を糸のように眇めながらそんなことを言われて、小首をかしげる。

 側に? 誰の?

 本気できょとんと目を瞬かせていると、「ごほん」と弥太郎が咳払いした。

「若君はまだ数え六つです。一度も対面したことのない女子おなご相手にそのような事は」

「わからぬではないか。殿への献上をお考えかもしれぬ」

 まさか勝千代自身、あるいは父の側女にしようとしていると思われているのか?


 失笑しそうになったのを、手で口をふさいで堪えた。

 気の毒な女童の様子を知っているので、そんな疑いを抱かれるなど想像もしていなかったのだ。

 直接彼女を見ていてそんな妄言を吐くとは……むしろこの男のほうが、実は幼い子が好みだとか?

「万事が連れてきた子なんだろう? そんなことはしないよ」

 笑われている意味はわからなくとも、笑われるのは不愉快なようだ。

 ものすごく渋い表情になった二木にもう一度、「頼んだよ」と駄目押しをする。


 渋々と去っていくその背中が襖の向こうに消えるまで見送って、勝千代はもう一度、二木の表情を思い出して含み笑った。

「ご気分が良いようですね」

「……まあね」

 勝千代が笑うと、見上げた弥太郎の顔も嬉しそうにほころぶ。

「少し横になって休みましょう」

「身体がべたついて気持ち悪い」

「清拭はもう少し体調が戻ってからですよ」

 そう言われるのはわかっていたので、長い溜息で答える。

 横にしてもらいながら、近くにある弥太郎の顔をじっと見上げた。


「……段蔵」

 弥太郎の表情は笑顔のままピクリとも動かなかったが、瞬き数回分の間の後、コツンと天井で音がした。

「報告を」

 いい子だからちゃんと部屋でおとなしくしているとも。

 ただし……何もするなとは言われていない。

 

 弥太郎が布団代わりの着物を襟もとまで掛け、丁寧に袖などのしわを整える。

 今の時代はまだ綿がないから、普段着てる小袖などを重ねて掛布にするのだが、十分な暖を取るためには何枚も重ねなければならず、その分ものすごく重い。

 弥太郎がせっせとその重量を増やしていく間に、いつの間にか、枕元には段蔵がいた。

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福島勝千代一代記
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