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まあ、言ってみるものだよな。
小さな椀に入っている、とろりと柔らかく茶色いものは玄米だ。
正確には、乾飯をじっくりと煮込んだだけなのだが、多少の甘味と塩味もあって、飢えて干からびかけていた口にはおいしいと感じられるものだった。
塩味はヨネがこっそり厨からくすねてきた岩塩。甘味は米の糖質によるものだろう。
量は少ない。カレースプーンを使えば五口で食べきってしまえそうな分量。
分けてもらえたのが少量だったわけではなく、餓死寸前の子供には、一気に食べるほうが負担になるのだ。
それを十分な時間をかけて胃に収め、ずっと氷のようだった指先が、ほんのりと熱を持っていることに幸せを感じた。
やはりこの子は、生きようとしている。
たった数回の食事で劇的に体調が良くなりはしないが、消えそうだった命の灯は健気に燃え続けている。
少なくとも、今日明日ということはないだろう。
三日も経つ頃には、自力で身体を起こせるようになっていた。まだ床上げするにはほど遠いが、このまま放っておいてくれれば、徐々にだが体力も戻ってくるだろう。
だが、そんなにうまく話が進むはずはない。
勝千代は今、木枯らしの吹き付ける庭先で、半裸の状態で座らされていた。
冷たい土の上に膝をつき、起坐の姿勢で長時間いる。
意識が朦朧としてぐらつくと、すかさず近寄ってきた若い武士に引き起こされる。
持っていた太刀の鞘で容赦なく小さな背中を打擲し、その体が吹き飛ばないよう髪を掴んでいるのだ。
いやマジでお前、覚えてろよ。
引き起こされるたびに、髪がぶちぶちと千切れる音がする。
千切れるだけならまだいい。絶対に何本も抜けている。
……許さん。
かすむ目の先で談笑しているのは、桂殿と異母兄、叔父のトリプルコンボ。
一人ずつでもひどい目に遭わせられるが、三人そろうと非常にまずい。
過去の経験上、無事に部屋に戻れたためしがないのだ。
寝込んでいる時間が長く、他にすることもないので、どうすればこの状況から脱することができるか考えていた。
そもそもの原因は、勝千代が嫡男だからだと思っていたが、それならさっくり暗殺してしまえば済む話なのだ。
痛めつけるのも死なない程度、毒も致死量ではない。
つまり、だらだらと生きながらえさせている。
いや、生きながらえさせている、というのは語弊がある。死んでも構わない、むしろ死んでほしい、と思っているのは確かなのだ。
父の目を気にしてか?
できるだけ苦しめたい?
……わからない。
何か、勝千代が知らない事情があるのかもしれない。
哀れな幼子を肴に、午後の一服を楽しんでいた三人は、これ見よがしに楽し気な表情で笑いながら去っていった。
その頃には勝千代の背中は血まみれで、まるで罪人の死体のような有様だった。髪にまでべっとりと血が付き、頬は土気色だ。
氷のように冷たい土が、体温を奪っていく。
おまけにみぞれまで降り始めた。
日が落ち、なおもその場に打ち捨てられたままでいた勝千代を回収したのは、容赦なく背中を打擲してくれた若い武士だった。
親切心ではなく、目障りだから片せと命じられたようだ。
勝千代の部屋は奥の曲輪の隅にある。丁度境の木戸のそばで、炭小屋や井戸の並びだ。
かつては下人たちが住んでいた区画のようだが、今は城主の家族が住む奥になっているため無人で、ずっと物置として使われていたという。
若い武士は、汚物を運んでいるかのような態度で勝千代を担ぎ、木戸からポイと放り投げた。もんどりうって転がって死体のように動かなくても、まったく負い目すら感じていないようだ。
彼が勝千代を城主の嫡男だと認識しているかどうかはわからない。
側室の桂殿と留守居の叔父、城主の子である異母兄の不興を買っている子供だとしか思っていないのかもしれない。
今の時代、味方でないなら子供でも情など掛けない、ということなのか。
木戸が閉まって、男が去った。
即座に駆け寄ってきたのはヨネだ。
舌がないので喋れない彼女が、獣のように呻きながら勝千代を掻き抱く。
湿った土の匂いと、血の匂い、降り注ぐみぞれがやがて雨になり、冷気が氷のように肌を刺す。
勝千代は震える手で、宥めるように老女の背中を撫でた。
大丈夫、まだ死なない。
この頃エネルギー源を摂取して、少しずつ体力がもどってきていた。
厨からの食事に手を付けなくなってから、腹痛もおさまっている。
見るからに酷い状態だろうが、数日前よりはマシなはずだ。
「……ヨネ」
愛すべき老女の名前を呼ぶと、彼女ははっとしたように身体を離した。
片方だけ正常な目が、薄闇の中で鈍く光る。
その視線は勝千代のほうではなく、どこか別な場所を見ていた。
雨を弾いて、ギラリと光るのは長めの小太刀。ヨネの細腕には大きすぎるその刃が、いつの間にか抜き放たれている。
勝千代は彼女を宥めようと手を伸ばし、逆手に小太刀を構える枯れ枝のような腕の先に、複数名の黒装束が立っているのに気づいた。
待てなくなった桂殿が刺客を送り込んできたのか?
とっさにそう考えたのは、その男たちが見るからに殺気立っていたからだ。
しかし数呼吸の後、足音もなく近づいてきたのは一人だけで、ぬかるんだ土の上に膝をつき勝千代の顔を覗き込んでくる。
姿勢のいい男だ。
すっと伸びたその輪郭だけで、数日前に乾飯をくれた男だとわかった。
その節はどうも。
あいさつ代わりに、微笑んでみる。
しかしそれは笑顔にはならず、唇がわずかに震えただけだった。
相手はただ手持ちの非常食を譲ってくれただけかもしれないが、餓死しそうになっていた勝千代にとっては命の恩人なのだ。
そんな相手に、まともに感謝も伝えられないのが情けない。
残っていた力を振り絞り、ヨネの袖を引く。
恩人に刀を向けてはいけません。
その意思が伝わったのか、ぱしゃりと音を立てて小太刀が水たまりに落ちた。
うーうーとこもった声でヨネが唸る。
両手で狂ったように勝千代を抱き込み、必死に何かを言っている。
ぼんやりと、そんな彼女を見上げてから。
パツンと電気が切れたように、意識を手放した。