9-1
8-1に加筆しました。一章丸々足したわけではありませんが、不自然なくつながったと思います。
「これってどういうこと?」
額に青筋を立てているのは、二木だ。
東雲は扇子で顔の半分を隠し、少し離れた場所で気配薄く立っている。
叱られている万事の足元には薄汚れた少女。
あの人売りの男から買ったのだ。
東雲は金なら出すが、幼いとはいえ女子を預かることはできないと、言った。
そうなれば必然的に、引き取るのは万事になる。
少女は奈津と言い、やはり武家の子女だということだった。東雲が小男に金を払った直後から、ぴったりと万事の袴にしがみついて離れない。
「それに、こんなときにフラフラ出歩いて!」
「出かけるって言ったはず……すまん」
ひと目で頬がこけ、やつれたとわかる二木の姿に、万事はちらりとこちらを見てから、素直に頭を下げた。
「説明しなさい。女童の事もそうだが、そちらの」
「東雲さまだ」
万事の、説明にもなっていない説明に、二木のこめかみがさらにピクリと動いた。
「詳しく!」
あの、お客様の前なんだから、取り繕うぐらい……
だが実際のところ、二木に勝千代は見えていないのだ。
つまり、幽霊のような勝千代を見つけたとか、そのあたりの説明ができない。
必然的に説明はしどろもどろになり、結果二木をおおいに怪しませただけだ。
「……はようお帰り」
扇子の影から、東雲が囁いた。唇自体あまり動かしていないし、扇子で顔の半分以上を覆い隠しているので、二木がこの言葉に気づいた様子はない。
勝千代は傍らに立つ東雲を見上げ、頷いた。
ちゃんと戻れるかの不安はあったが、まだ身体との結びつきは強く感じられる。
もちろん幽体離脱状態からの復帰などやったこともないが、もしうまくいかなくても東雲の助けがあればなんとかなりそうな気がする。
ここまで連れ戻してくれた礼を込めて、ぎゅっとその袖を握った。
東雲が勝千代の実体に近づくことができないのは明白なので、それはつまり、身体への帰還はまずは自力でやってみなければならない、ということだ。
見上げたのは二階。
そちらへ強く引っ張られる感覚に、ふわりと体が浮いた。
階段などは使わず、そのまままっすぐ天井を突き抜けて二階にあがる。
すぐに、もはや聞き慣れてしまった父の号泣が聞こえた。
少し前に聞いた時よりもくぐもった、言っちゃあなんだがあれだ、泣き疲れた? そんな雰囲気で声がかすれている。
覚えている部屋の場所まで漂っていく途中、廊下の曲がり角のところに見知らぬ商人らしき男が立っているのが見えた。
ひと棟借り上げたと言っていたから、同宿の客ではないだろう。
この宿の従業員だろうか。
大男の大号泣など、もし他のお客が居たらクレームの嵐だっただろう。いや、ここで働いている彼らもやりにくかったに違いない。「ご迷惑をおかけしています」と頭を下げて謝罪して回りたい。
それぐらい、漏れ聞こえる父の声は大きかった。
南たちが控える前を横切り、部屋に入る。
数時間前に抜け出した時と何も状況は変わっておらず、違うのは父の頭の位置が更に低くなってることぐらいだ。
勝千代は再び、父の肩越しに自身の身体を見下ろした。
ものすごく小さい。そしてやせ細っている。
人買いに連れまわされていた子供たちと、あまり大差ないようにすら見える。
今は呼吸も苦しくなく、寒くもなく、身体が重く感じられるというようなこともない。
しかし戻れば、一気に反動が来るだろう。
憂鬱だ。
ひとつ、ため息をついて。
それからすうっと、自身の身体へと降りて行った。
肉体に折り重なっていく。少しづつ熱を押し込んでいく。
表現が難しいが、そんな感じだ。
時間はそれほど必要ではなかった。
視点がすぐには切り変わらず、この状況を上の方から見守っているのが不思議だった。
だがある一定を超えた時、おおよそ三分の二ほどだろうと思うが、急に実体のないはずの身体に重みを感じた。
いや違う、感じているのは寒さ、そして馴染みのある空腹感だ。
ゆっくりと瞬きをする。
「……若君?!」
即座に弥太郎が気づいた。
「お、お勝?」
分厚い手で、恐る恐る頬を撫でるのは父だ。
視点が床の上からに切り替わっていて、しかもものすごくぼやけていた。
「…………ちちうえ」
なんてたよりない声だ。
「おなかがすきました」
第一声がこれってどうなの?
言ってしまってすぐにそう思ったが、「うわあああああっ」という鼓膜が破れそうなほどの大声を浴びて、何もかもどうでもよくなった。
心配をかけてしまった。
床に水たまりができるほど嘆いていた父は、さらに水分を大量放出して勝千代にしがみついてくる。
干からびてしまうから、もう泣かないでほしい。
その大きな身体に手を伸ばし宥めようとするが、動いたのは指先だけだった。
ああ、身体が重い。
その不自由さは覚悟していたよりも酷く、戻ったことに後悔しそうになったが、父だけではなく弥太郎まで涙ぐんでいることに気づき、呑気に散歩と洒落込んでいたことに後ろめたさを覚えた。
あとで万事と東雲にも口止めしておこう。
し、叱られるからじゃないぞ。
荒唐無稽すぎて誰も信じないだろうから……だ!




