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勝千代はそっぽを向いて、万事の肩先から後ろを眺めている。
二人は足早に歩きながら言葉を交わしており、それがもっぱら勝千代の事なのだ。
さすがの万事も氏素性までは明言しなかったが、冬の強行軍で体調を崩し、意識を失ったのだと説明していた。
もともと病弱だとか、よく寝込んでいたらしいとか、そんな事まで話さなくてもいいのに。
知恵付きが早いとか、小賢しいとか、うるさいよ。
もはや悪口じゃないか。
勝千代も聞かされていなかったが、朝比奈の当主には話を通しているのだそうだ。
滞在が長くなる可能性があるので、掛川? にお伺いの書簡を出し、丁度そこにご当主が居合わせたのだと言う。
普段は駿府でしか会わないが、同じ武将系なのでそりが合わないわけではないとかで、勝千代が回復したら一度本城まで足を運ぶ約束までしているらしい。
勝千代が覚えているのは、熱を出して父に抱きかかえられ、ひたすら雪の山道を下っているところまで。いつの間に雪がない平地に降りてきたのか、いつの間に大きな街に到着したのか、そのあたりの記憶がまるでない。
号泣していた父の姿を思い出し、ほんの少し……いや、かなり申し訳ない気持ちになった。
自由気ままに好きなところを見て回れるのが楽しくて、すっかり父のことを忘れてしまっていたのだ。
大人としてありえない行動だった。目先の楽しみよりも、周囲への気配りのほうを先に考えるべきなのに。
やはり最近、精神が幼い身体に引っ張られている感じがする。
ぴたり、と二人が足を止めた。
勝千代は万事に前からしがみつくような恰好でいたので、すぐにはそれに気づかなかった。
「……なんだぁありゃ。見世物か」
万事の戸惑うような声色に、顔を上げる。
振り返り、二人が見ている方向に視線をやって、勝千代もあ然と目を見開いた。
「人売りでっしゃろう。それにしてもひどい」
ザンバラ髪に薄汚いボロ着の少年少女たちが、縄で腰を縛られとぼとぼと歩いている。
その縄の先を持っているのは、人間ではなく赤い服を着た猿だった。
ひょうきんな声でお題目を唱え、パシンパシンと土の道を鞭のようなもので叩いているのは、一応は人間の男のようだが……猿とお揃いの、その低身長を強調するかのような衣装に身を包み、こっけいな赤ら顔の化粧をほどこしている。
「いらんかえ、いらんかえ、鬼の子はいらんかえ」
男はひょっこひょっこと歩き、鞭の音にまるで踊っているかのような身振り手振りを加える。
「生きのいい鬼の子だよぅ!」
人権もなにもない、あまりにもひどい光景に、猛烈に腹が立った。
なにが鬼の子だ。どう見てもまだ年端もいかない子供たちじゃないか!
身体の大きい子も混じっているが、ほとんどが勝千代より少し年上程度だ。
鞭の先が、最後尾の子の尻に当たり、哀れな悲鳴が上がる。
それでも足を止めないのは、更に打たれて痛い思いをしたくないからだろう。
勝千代は怒りの声を上げようとして、今それができない状況だということを思い出した。
万事なり東雲なりが代弁してくれるかと期待したが、彼らが見ているのは猿と小男で、その表情に浮かんでいるのは怒りよりも呆れだった。
勝千代は、人売りなど珍しくもなんともないという事を知らなかった。
万事たちが顔をしかめたのは、鞭を振り回してこっけいな踊りを披露している小男に対してで、それは人売りという行為にではなく、シリアスな町の状況を顧みない男の態度にだ。
怒りを覚えているのが勝千代だけだという事実に、ものすごい衝撃を受けた。
言われてみれば、貧しい百姓が口減らしに子供を殺したり、娘を女衒に売ったりしていたと聞いた事があるが、実際にこの状況を目の当たりにするまで、それがどういう意味を持つのか、本当の意味で分かってはいなかった。
怒りはあっというまに萎んでしまった。
代わりに込み上げてきたのは、悲しみだ。
今目の前にいる子供たちを救えても、それはただの偽善だ。
今のこの世のシステムそのものを変えなければ、彼らを救うことはできない。
すべての人の人権が取りざたされるようになるのは、近代になってから。江戸時代でもまだ人身売買は盛んに行われていただろう。
戦国時代はまだまだ続く。
多くの血と涙を流してそれを終わらせ、300年の泰平の世が訪れたとしても、不幸な子供は救われないのだ。
一瞬、子供の一人がこちらを向いた。
下を向いて歩いている子供たちの中で、ただ一人そういう動きをすればそれは目立つ。
最後尾近くにいたその子の近くで、鞭がぴしりと鳴る。
目が合ったわけではない。その少女が見たのはきっと万事か東雲だ。
だがしかし、助けを求められたのだと感じた。
彼女を救わなければと、強烈な衝動に駆られた。
そう思って熱心に見つめているうちに、気が付いてしまった。
その子が身にまとっている服が、ひとりだけ鮮やかな色合いの小袖だったという事に。
埃と煤に汚れ、もともとの緑色がくすんでしまっているが、あの着物の柄は職人が手間暇かけたものだ。
「どうしはりました?」
勝千代のそんな様子に気づき、東雲がこちらを見る。
すがるような目の少女の方へ、すっと指を向けると、東雲も万事もそろってその方向に首を巡らせた。




