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「藤波さま」
なんとか離してもらい、しばらく並んで歩いていると、ねっとりと嫌な声色で呼び止められた。
自分の名ではないのに振り返ったのは、東雲が「チッ」と舌打ちしたからだ。
この男、見かけによらず性格がキツイ。
そんな勝千代の内心の声を察したかのように、東雲は「ものすっごい」微笑みを顔に浮かべた。笑顔の形容詞に「ものすっごい」なんてつく人、なかなかいないぞ。
「如章どの」
返す東雲の妙に高音な声色に、三度背筋に悪寒が走った。
例えるなら……そう、電話に出た母親が、相手が教師だと知った瞬間に急に声のトーンを上げたような、取り繕っていることが丸わかりの声だ。
「えらい物々しいですなぁ」
急に京風イントネーションが強くなった。
それが公家としての喋り方なのだろうが、違和感がすごい。
勝千代は、できるだけ彼の方は見ないようにしようと顔を背け、必然的に、声を掛けてきた僧侶たちに視線を向けることになった。
寺の方向から歩いてきたのは、十人ほどの僧兵たち。
実際に声を掛けてきたのは、屈強な彼らに守られた、ひとりだけ福々しい身体つきの僧侶だ。
法衣や袈裟がひと目を引く華やかさで、はち切れんばかりの腹回りも相まって、派手な達磨のような見た目をしている。
「疫病退散のお焚き上げをするのです」
「……お焚き上げ」
「藤波さまもご一緒にいかがかな」
神社とお寺……そういえば、深く考えたこともなかったが、仲が悪いとは聞いた事がない。どちらかというと、仏教徒間の宗派違いでの揉め事が多いイメージがある。
「麿に仏事に参加せよと?」
「いやいや、大変失礼なことを! 明日にでもお詫びに一席いかがでしょう」
たいして悪いとも思っていない口調だったが、大げさに坊主頭をするりと撫で、謝罪する。
最初にこの男を見た瞬間から嫌な感じがしたのだが、その理由がわかった。
東雲を見る目が、舐めるようなのだ。
顔全体で笑っていて、一見大黒様のような好々爺なのに、目の表情だけがどろりと昏い。
坊主と神主の関係が、歴史的に見ればそう悪くないものであったとしても、少なくとも如章とかいう僧侶が抱えているのは悪意……いや憎悪だ。
東雲は扇子を上手に使って返答を避けた。
もしかしたら彼の地位は相当に高くて、勢力があるという本願寺派にも手が出せないのかもしれない。
如章は、目だけを見なければ人当たりの良い、大黒様のような福々しい笑顔を振りまきながら、やけにねっとりとした口調で話し続けた。
東雲も東雲で、例の「ものすっごい」笑顔のまま、じっとその話を傾聴している雰囲気なので、傍目にはふたりは親戚か、ごく親しい間柄であるかのように見える。
「そういえば」
東雲が、ふと思い立ったように扇子を閉じた。
「先ほど川べりを歩いとりましたら、火事やと子供が叫ぶ声がきこえまして」
「燃え方は想定内だと報告をうけましたよ。きっと疫病もこれ以上広がることはないでしょう」
何度も言うが、よくよく見なければすごく優しそうなお坊さんなのだ。
対する東雲も、善良さしか感じない「ものすっごい」笑顔を、今度は少し悲し気にゆがめる。そうすれば、今度は胸が痛くなるほど「ものすっごく」悲哀に満ちて見える。
「その子の母親が怪我をしたと言わはるから、麿もつい気になりまして」
「……よもや火事場に近づいたというようなことは」
「そのような恐ろしい事はようしません。……ただ、怪我人は出さぬとの事でしたのに、なにやら人が燃えるような臭いが」
「まさか!」
如章は気づいただろう。
東雲もわかるように言ったのだ。
「その子も腕に火傷をした風でしたなぁ。可哀そうに」
「強請りたかりの部類やもしれませんな。いやはや、今どきの子供はおそろしい」
「……そのようなことが!?」
東雲が大げさに驚いた表情を作り、如章はますます好々爺な顔で頷く。
双方とも、何が行われたかわかっているのに、表面上はさも善良な常識人のようにふるまう。
見ているだけでストレスがたまる会話だ。
やがて立ち話も終わり、如章がにこやかに一礼して去っていく。
その背中を顔をしかめながら見送っていると、不意に視界が塞がれた。
東雲が扇子を勝千代の顔面前に広げたのだ。
「目が穢れますよ」
言い得て妙だ。
あの男が本願寺派の僧侶で、疫病が出たと言い出したのだろう?……そう問い詰めたかったが、いかんせん口がない。
どうにかして意思を伝えたい。やはり早急に身体に戻るべきだろう。
そんな事を考えていると、遠くから大声がした。
「……おいっ」
聞き覚えのある声だった。
万事だ!
ぱっと表情を明るくすると、東雲は向かってくる男と勝千代とを交互に見て首を傾けた。
「そのガキをどこに連れていくつもりだ!」
二木の指導がはいっているから身なりはキチンとしたものだし、髪や髭にも野卑さはない。しかし、その口調だけはどうしても元の身分を隠しきれるものではなかった。
「お知り合いですか?」
こくりこくりと頷くと、東雲は更に不可解そうな表情になって、扇子を持っていないほうの手を勝千代の頭に乗せようとした。
「触んじゃねぇ!」
火事の方に関心が集まっていて人気もまばらだが、ここは大通り、無人というわけではない。
周囲の視線が一斉にこちらを向いた。
いや、そんなことよりも。
……見えてるの? あいつ。




