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冬嵐記  作者: 槐
第一章
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1-4

 浅い眠りの中でまどろんでいた意識が、ふと何かに気づいて覚醒した。

 夢の内容はよく覚えていない。

 ただ、ひどく懐かしい、やさしい夢だった気がする。


 うっすらと開けた目には、もう慣れてしまった暗闇。

 この時代の夜は本当に真っ暗で、その闇の色はどこまでも深く漆黒なのだ。

 その代わり、月の光が冴え冴えと強い。

 闇の中に何かを感じたのは、襖の隙間から漏れる月明かりが、暗闇にほんのわずかな濃淡を作って見えたからだ。


「……だれ」

 舌足らずに問いかける。

 半分寝ぼけたような、たどたどしくもつたない口調。

 本気で答えがあると思ったわけではない。

 ただ、身体を起こす元気もない勝千代が、無意識に発した自衛心だった。


 ゆらり、と闇の深い部分が動いた気がした。

 それは、夢の続きではなく、化け物を錯視したわけでもなく。

 息がかかるほどの近距離にいる、真っ黒な装束をきたひとりの男だった。

 勝千代の目には、それ以上のことはわからない。男の顔はもちろん、輪郭を視認することすら難しい。かろうじて男性だろうとわかるのは、勝千代の腕を握っている手がごつごつと大きかったからだ。


「ご無礼をお許しください」

 ひそかな声が耳朶に届いた。

 それは、木の葉を揺らす風よりもささやかで、聞き逃しそうなほどに小さかった。


 リアル忍者?! とテンションが上がったのは中の人。

 勝千代は表情を変えずじっと闇に目を凝らし、こてり、と首を傾ける。

 男はペラペラな小袖をめくり、腕の火傷の跡を確かめるように撫でた。

 たしかに醜くでこぼこした傷跡になっているが、果たしてこんな暗闇の中、何をしようというのだろう。

「……なに?」

 異母兄の年がおそらくだが六、七歳。勝千代はそれより二つ三つ下だ。

 ヨネ以外と喋ることがないので、知恵遅れよと言われているが、そんなことはない。特に今は四十路の中の人がいることもあり、ただの幼子とは言えない。

 果たしてそれを暴露してまで声をかけていいものかわからなかったが、少なくとも、丁寧に触れてくる男の態度に不快感はなかった。

 

「はなして」

 相手を刺激しないように、じっとしたまま言葉を紡ぐ。

「わたしは人に触れられるのが得意ではない」

 舌足らずだが、はっきりと理知的なその物言いに、黒装束の男はさっと手を離した。

「なにようか?」

 すぐに返事はなかった。男は黙ってこちらの様子を伺い見ている。


 どれぐらいそうしていただろう。

 勝千代が更に問いを重ねようとした矢先、ガタリ、と襖が開く音がした。

 月明かりを背景に、何かがものすごい勢いでとびかかってきた。……彼にではなく、黒装束の男に向かって。

「ヨネ!」

 なぜそれが世話役の老女だと思ったのかわからない。

 しかし、普段の緩慢な動きからは想像もできない速さで何かを振りかぶる。

 それは抜き身の刀身だった。……え? 何故? と疑問に思うより先に、男の首筋に吸い込まれるかのような切っ先の動きに血の気が引いた。

「ヨネ!!」

 再び老女の名を叫ぶ。

 こんな大きな声を出したのは生まれて初めてかもしれない。

 黒装束の男は、ヨネの小太刀を手の甲で退けたものの、それ以外は微動だにしていなかった。 

 差し込む月明かりに、背の高い男の姿がくっきりと浮かび上がっている。

 片膝をつき、右手は太ももの上。ヨネの小太刀を喉元に突き付けられたまま、左手はその切っ先がギリギリ当たらない程度に遠ざけている。

「ヨネ、だいじない」

 老女が指のある左手で逆手に握っているのは小太刀。夜目にも、枯れ枝のような手が握るには武骨すぎる武器で。

「だいじない」

 もう一度言うと、その指の力が緩むのがわかった。

「ヨネ、ヨネ」

 老女は侵入者から目を逸らさない。

 黒装束の男は、こちらに視線を据えたまま、ヨネには目もくれない。


 ……どうしろと?


 勝千代は深々とため息をついた。

 身体を起こそうとすると、ヨネは即座に小太刀を引いた。少しオロオロとしてから、やせ細った幼子の背後に回り、介助する。

「もう一度問う、このような時刻に何用か?」


 黒装束の男は静かに左手を下げ、立てていた膝を下ろした。

 枕もとにきちんと正座で座り、両手は太もも。ぴっしり伸びた姿勢に既視感がある。

 もしかして、坊主頭の医師と一緒に部屋に入ってきた、礼儀正しいほうの男じゃないか?


 とはいえ、名乗られた記憶はなく、男がどういう立ち位置で、どういう理由があってここにいるのかわからない。

 こてり、と首を傾けると、何を思ったか、男は深く頭を下げた。


 近くに座っていたので、上半身を傾けるとなお一層顔が近くなる。

 ふわりと漂ってくるのは、夜のにおいだ。

 それは嗅覚に訴えるものではなく、例えるなら冬の冷気に似た気配だった。

 

 城の外から来たのか? だとすれば、すでに出陣したであろう父の手の者だろうか。


「昨日おそばに上がりました際に、腕の火傷の跡が気になり申した」

 夜の闇ににじむような、低い声だった。

「それから、あの無礼な助手の態度にも」

 改めて脇腹をつねられたことを思い出し、顔をしかめる。

 いや、あれはつねるだなんて可愛らしいものではなかった。きっと痣になっているだろう。

「たいしたことはない」

 痣が出来ていたとしても、血を吐くほど苦痛だったわけではない。庭先に放り投げられ、全身を打ち付けた時のほうが何倍もきつかった。


 勝千代は無意識のうちに胸に手を当て、撫でさすった。あれだけ血を吐いたのだ、肺を傷つけたのではと今さらながらに心配になった。外科的治療が望めない状況下での吐血など、恐ろしすぎる。

「父上の手の者か?」

「若君のことをご心配なさっておられます」

「……そうか」

 まだわからない。たとえ勝千代の置かれた状況を知らなかったのだとしても、それが桂殿と異母兄、さらには実弟側に立たない理由にはならない。

「若君」

 ひどく静かな声で呼ばれ、小さな笑みを浮かべる。

 そこには、父を信じていないことを窘めるような響きがあった。

 だが仕方がないではないか。中の人にとっては、父とは言え年下の、これまで勝千代の苦境を放置してきた男なのだから。


「状況はわかっているか?」

 幼い唇からこぼれる、たどたどしい言葉。

 あどけない子供のものなのに、そこには隠し切れない疲弊があった。

「……はい」

 男は一時顔を俯け、呼気を整えてから頷いた。

 父と面会したときには、上等な着物を着せられ、嫡子にふさわしい部屋を与えられ、何人もの女中たちから行き届いた世話を受けていた。

 それがたった一日後、今彼がいるのは城の離れ、端や下人が住むような薄汚れた一角の、下手をしたら敵に一番に狙われるであろう場所なのだ。

 勝千代にとっては、城全体が敵地だった。

 男の目にも、同様に映っているだろう。


「父上にとって安全だと思うか?」

 勝千代の静かな問いかけに、男は再び口を閉ざす。

 思い出すのは、叔父のあの嫌な目つき。桂殿に迎合して城中を掌握しているが、そこに一片の野心もないと言えるだろうか。

「わかりません」

「……そうだな」

 父にとっては妻と子、血を分けた兄弟だ。

 本来であれば、裏切られるなどありえない相手なのだ。

 これが、ただの後継争いならばまだいい。勝千代が消えれば何もかも解決する。

 しかし、謀反をくわだてようとしているのであれば……話はまったく変わってくる。

「慎重に……父上の身を第一に考えてほしい」

 この身体の命の灯は、すでに消えかかっている。

 このままなら、そう長くはもたないだろう。

「わたしのことは、気にせずともよい」

 真意を問うようにじっと見つめられ、苦笑する。

 だからといって、そう易々と死んでやるつもりはないが。


「信じる道をお進みくださいと、伝えてほしい」

 何か騒ぎが起こるのであれば、それに乗じて身を隠そうと考えていた。

 ただひとつ、望むものがあるとするなら……

 

 人型の影がくっきり見えているのに、なおもそこに居るのかあやふやな男。

 人間ではなく置物のようにも見えるその姿をまじまじと見上げて。

 

 ……何か食べるものを持っていないだろうか。

 頭をひねり、どう切り出すべきかと熟考した。

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