7-2
そっぽを向いている二木を前に、土井も南も居心地悪そうにそわそわしている。
普通に腹を立ててもいい状況だったが、勝千代は小さなため息をつくにとどめた。
こいつはいわゆる、誤解を受けやすいタイプだ。
いや、誤解ではない。実際に人が嫌がる事をして、その反応を楽しむ底意地の悪い奴に違いない。
しかしそれは悪意があってやっているわけでは……ないのか?
どう見ても悪意はありそうだが、それでも、この男の中ではそうすることに何の躊躇もなく、おそらくは罪悪感すらない。
ここまで極端なのは少ないが、こういう気質の奴はどこにでもいる。
息を吸うように悪意をばらまき、周囲を引っ掻き回して楽しむタイプだ。
普通こういう性格は隠そうとするものだし、えてして取り繕うのがものすごく上手かったりするから、それに比べればわかりやすくてまだマシな部類だとは言える。
だがしかし、その分付き合いにくいし、周囲には倦厭されてしまうだろう。
……父はまったく気にしなさそうだが。
もしかしなくとも、こいつが父の側に常にくっついて回っているのは、代々の家臣だとか仕官先だとかいう以前に、父のそういうところが気に入っているからかもしれない。
「……あまり過ぎるようならお仕置きするからね」
勝千代のお子様らしい叱責に、二木はますます不貞腐れた表情になり、その他の大人たちはぽかんと口を開けた。
「ほかの人に迷惑かけたら駄目なんだよ。お尻ぺんぺんされたくなかったらやめようね」
「……お尻ぺんぺん」
ぐっと口を手で押さえたのは土井だ。
「それともお尻叩かれたいの? みんなの前で?」
二木がいくらか慌てたようにこちらを見た。
そうとも、次にやらかしたら全員の前で「お尻ぺんぺん」してやる。
こういうプライドが高そうな男には、何より耐えがたい罰だろう。
「父上に危険なものを近づけないで」
糸のように細い目が、極限まで見開かれて勝千代を見た。
そうとも、父は強い。
普通の状況下だと、その身に傷をつけるのは簡単ではないだろう。
本人ですらそう思っているから、父は護衛も連れず単身で動こうとするし、周囲の誰もがそれに疑問を感じていない。
だが、父だって人間なのだ。些細な油断ひとつでその肌に傷がつく。
もしそれが毒刃だったら?
眠り薬も効くのだから、毒だって効くはずだ。
どうしても父を排除する必要があるなら、真っ先に狙ってくるのはその辺りだろう。
勝千代は立ち上がり、土間に転がっている男が見える位置まで移動した。
五十センチ以上もの段差があるのに、男を押さえている段蔵のほうが目線が高いとはどういう事だ。
自身のチビ坊主ぶりに忸怩たる思いをしただけなのに、段蔵は即座にその場で膝をつき頭を下げた。
二木のように癖の強いタイプは苦手だが、こういう先走って行動するタイプにも困ったものだ。
まるで、頭下げられて当然だと思っているガキみたいじゃないか。
「……うちのがごめんね」
二木の事もそうだが、手加減という言葉を知らない段蔵もそうだ。
軽く毛皮男の首に手を当てているが、あれは急所を押えている、ってやつなんだろう。
毛皮の男はぎょろり、と表現できそうな目つきでこちらを見たが、勝千代を見上げた瞬間何故か怯んだ。
あ、段蔵が指を首に食い込ませたのか。
手を離して飛び掛かられても困るが、喋れないのも困るのだ。
「段蔵」
子供らしくない口調だったと思う。
「お、は、な、し、したいんだよ」
毛皮男はぐっと首を押さえられて頭を低くしつつ、横目で勝千代を見上げた。
まるで、奇妙な生き物を見るかのような視線だった。
しばらくして、段蔵が少し力を緩めたのだろう、毛皮男が上半身を起こした。
起坐の姿勢で土間に膝を揃えて座らされているが、その態度はふてぶてしく、諾々と他者に頭を下げるタイプには見えない。
例えるならライオンのような、オオカミの群れのリーダーのような……草食動物だと自認する勝千代には、かなり近寄りがたい雰囲気だ。
改めて視線が合って感じるのは、段蔵が押さえてくれていてよかったと思えるほどの威圧感だ。
肉食獣を前にしたウサギの気分だが、ここで視線を逸らせてはいけない。
とはいえ、生理的な恐怖心はいかんともしがたく、自然に見えるように男の毛皮に視線を移した。
やはり暖かそうでうらやましい。
襟巻程度のサイズでいいから、くれないだろうか。
「それ、熊?」
いけない。無意識のうちに思っていることを尋ねてしまった。
毛皮男を含め、その場にいる少なくとも半分の大人が「?」の表情を浮かべた。
勝千代は咳払いし、改めてその場に腰を落として座った。
「わざわざ来てもらって申し訳ないけれど、こちらからは二木が話した事以上に言う事はない」
おそらく毛皮男は、勝千代がそんな風に話し始めるとは思ってもいなかったのだろう。
実年齢よりも幼く見えると定評の四歳児だ。親の庇護下で甘やかされ愛でられる年頃なのだ。いくら武家の嫡男といえども、厳しく教育を受けるには早い。
「条件について不満があるなら聞こう。いくらかは譲歩しても良い。……だが代わりに、そちらは何をしてくれる?」
あっけにとられた表情で、毛皮男は勝千代を見上げた。
小さく首を傾け、返事を促してみるが、思考が停止でもしているのか動かない。
どれぐらい経っただろうか。沈黙が気づまりになるほどの長さではなく、ただその間をどうしようかと思案しているうちに、毛皮男のぎょろりとした目が次の間の奥のほうを向いた。
大きく突き出た喉ぼとけが上下し、食い入るように勝千代の背後を見ている。
さながら獣がテリトリー内に敵を発見したかのような、そんな雰囲気だった。
だが段蔵が動かない。
ということは、危険はないという事だ。
ぬっと太い腕が視界を横切り、勝千代は胡坐をかいたままひょいと真上に持ち上げられた。
「あ、父上。お帰りなさいませ」
「……うむ」
父が、三の丸から戻ってきたのだ。