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冬嵐記  作者: 槐
第二章

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37/308

7-1

 これって仕返しか?

 井戸端でふと見上げた先に人影を見て、とっさに考えたのは蛇男の事だ。

 どこかで高笑いの幻聴が聞こえた気がした。

 

「だれ?」

 己はあどけない四歳児。無邪気で可愛らしい幼児。

 自身にそう言い聞かせながら、こてり、と首を傾げる。

「どうして屋根の上にいるの?」


 羽織っている獣の皮が暖かそうだ、というのが第一印象。

 この時代、武士階級はああいう防寒着は着ないのか?

 寒さに諦観の念を持ち始めていたところに、毛皮のベストは光明だった。

 何の毛皮だろう。クマか? 鹿か?


 勝千代の羨望の視線をどう受け取ったのか、屋根の上にいた男は表情のわかりにくい顔で顎を引いた。

 父ほどではないが大柄な、父のように顔の半分がひげで覆われた男だ。

 髭のせいで年齢はよくわからないが、中年という感じはしないから、まだ若いのかもしれない。

「危ないから、降りてきたら?」

 背後に怖い鬼がいるよ。

 ごく普通の下級武士の服装をした段蔵が、当たり前のように男の真後ろにいた。


 夕刻の薄い日差しを照り返す、刃の輝きは鈍い。

 勝千代の目には、切り結ぶ瞬間すらわからなかった。

 交錯したようにも見えない数秒後、段蔵が屋根の上に仁王立ちし、毛皮の男は背中を破風に押し当て右肩を押さえていた。

 カンカンカン! と、終了のゴングが聞こえたのは勝千代だけだろう。

 ほんの瞬き数回分の出来事だった。


 こちら側に立つ土井と南は、腰を低くして身構え、太刀に手をかけている。

 しかし弥太郎は何事もなかったかのように柄杓で水をすくい、いつものように勝千代が手を出すのを待っていた。


 しばらくその柄杓を見下ろし、考える。

 見るからに武士ではない、マタギか山賊のような身なりのあの男は、サンカ衆だろう。

 二木が彼らと交渉するべくここを発ってから一日半。そろそろ何らかの反応があるかとは思っていたが……まさか直接来るとは。

 蛇男が父に不利益になるようなことをするとは思えないが、余計なことを言ったのは確実だ。


 素直に両手を突き出し、水を流してもらいながら、「段蔵」と静かに声を掛ける。

 奇妙な重さで続く沈黙の中、その声は若干舌足らずであどけなく、本人の耳にもかなり場違いに聞こえた。

「話がしたいから、連れてきて」

 段蔵からの返答はない。

 勝千代は気にせず、弥太郎が流してくれる水で丁寧に手を洗った。


 ガタリと上の方で音がしたので、指の間を拭ってもらいながら顔を上げる。 

 通常の幼子よりさらに目線が低い勝千代には、いつもの段蔵と、そんな彼が掴んでいる太い腕しか見えなかった。

 その毛皮の手甲がついた腕が、本来向くべきではない方向に捻られているのは気のせいか。


 獣のような苦痛のうめき声が聞こえた。

「段蔵」

 勝千代はため息をつき、容赦なく毛皮男の肩関節を外しにかかっている男の名をもう一度呼んだ。

 この時代では、「敵には容赦なく」が常識なのだろう。

 しかし、力加減がわからないのではないか、そんな疑いすら感じさせるほどの躊躇のなさに、何故子供の自分が……と、あきれた表情で止めに入る。

「話がしたいんだよ」

 つまり、普通に交渉できる状態で連れて来いってこと!



 サンカ衆は敵だ。それは間違いない。

 しかし交渉に選んだ相手でもある。

 同じテーブルに座って条件を出し合うまで、敵対行動は無意味どころか下策だ。


 屋根の上から、大きな塊が降ってきた。

 それは少し離れた、雪が積みあがった部分に落ちた。

 放り投げられた瞬間に身体をねじり、落下面を背中にしたようだが、距離が近すぎて間に合わなかったのだろう、見ているほうが顔をしかめたくなる重い音がした。

 「ボキリ」というか「ゴキリ」というか……絶対に痛いだろうと想像ができてしまう音だ。

 勝千代は、奥歯を食いしばって苦痛を堪えた毛皮男に、同情半分、感心半分の眼差しを向けた。

 

 硬い泥混じりの雪に肩から落ちた毛皮男は、自重で若干雪に埋もれている。

 しかし何故、その真横に立っている段蔵の足元では雪が沈まないのだろう。

 体術か? 忍びの技か? いつかその技、教えてくれないかな……

 雪の中では四六時中足を取られてしまう勝千代は、苦痛に耐えている毛皮男を連れてくるようにと目だけで指示してから、ぬかるんだ道を戻り始めた。


 今の時間、父は医師と岡部の状態について話している。

 三の丸まで出向いているが、じき戻るはずだ。

 それまでに、二木を捕まえることができるだろうか。

 報告! 連絡! 相談!!

 基本的なそれらのことを理解してもらわなければ、ああいう策士を身近に置いておくことなど怖くてできない。


 外回廊を昇り、今回は袴の裾を汚さなかったぞ! と達成感に浸りながら顔をあげると、遠くからこちらを見ている二木と目が合った。

 丁度いいところにいたな。

 悪戯の反応をうかがうという、策士というには小物な態度に失笑してやると、二木はさすがに気まずげな顔をして逃げようとした。


「二木」

 子供の声は高いから小さくても遠くまで届くのだ。

 くるりと踵を返した二木だが、主君の嫡男に呼び止められて、さすがに無視はできなかったらしい。

 にっこり笑って手招くと、あからさまに引きつった顔をした。

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