6-3
下村は苦労して奥御殿の荷を掘り返し、一日かけて探し物を見つけてきた。
誰の手も借りず、ひとりでだ。
半倒壊した建物の中に入るのは危険なことだから、他の誰かに命じることもできなかったという。
万が一、本当に建物が崩れたらどうするつもりだったのだろう。
今この城で満足に統括業務ができるのは、父を除けば彼だけなのに。
しかも、勝千代に書簡を届けに来た時、その両手は尋常じゃない色になっていた。凍傷になりかけていたのだと思う。
弥太郎は何も言わずに木桶に雪を詰めて持ってきて、まずはその雪を手にこすりつけた。
凍傷なのに雪? 初めはそう思ったが、今の下村の手は、雪よりも冷えているのだそうだ。
その次に桶に少しずつ水を足していき、ゆっくりと温度を上げる。湯気もたたない温めの湯をこしらえてから、しばらくそのままでいるようにと指示した。
勝千代は、茶色い油紙の包みを丁寧に開け、中を開いた。
弥太郎が下村の手を診ている間に、二通ある封書を文机の上に丁寧に並べて置く。
まずはその油紙を裏表確認し、隣に控える段蔵に渡した。
一通目の、明らかに男性の手とわかる書簡を広げて流し読みし、それもまた裏表確認してから手渡す。
実際のところ、段蔵のほうがこの手の事に詳しいだろう。勝千代にはわからない、たとえば書式の違和感とか、紙の折り方の違いとか、そういうものがあるかもしれない。
勝千代ができるのは、書かれている内容の精査のほうだ。
二通目の書簡は、岡部殿の長女からのものだというが、本文を読む前からその乱れた筆遣いに胸が痛んだ。弟妹の死に心乱れながらも、気丈に筆を取ったのだろう、揺れる書体と、ところどころの書き損じが、辛い心情を物語っている。
下村の言う通り、最初の書簡には二人の子供の病死と、長女が重篤であるという知らせ。二通目の長女からの密書には、毒殺という直接的な表現はないものの、そうとしか取れない内容で両親に注意を呼び掛けている。
そう、離れて暮らす岡部たちにも、身辺にくれぐれも注意するように、と忠告しているのだ。
「……ご兄弟はどなたにお仕えしていたの?」
おそらく、相当高い身分の子として育てられていた兄は、岡部姉弟らとも面識があっただろう。もしかしたら……
「御台さまの宮で、二の姫さまにお仕えしていたと聞いております」
木桶に両手を突っ込んだまま、下村が答える。
勝千代は内心ほっと安堵の息を吐いた。
万が一兄に仕えていた、なんて言われてしまえば、あまり考えたくない状況が想像できてしまう。
いや、幼い兄弟を毒殺する理由などそうそうあるはずもない。もし兄もまた同じ死因なら、どちらかがどちらかの事情に巻き込まれたと考えるのは妥当だ。
「これ以外で何か知っていることは? 想像でも噂でもかまわない」
「……わかりません。ここは駿府から遠く、噂もほとんど届きません」
「岡部殿が姉君に会いに行かれたとき、供をした者がいたはずだが」
「お戻りになられた際、殿はおひとりでした。供は駿府に残してきたと」
勝千代は、相変わらずの姿勢の良さで傍らに控えている段蔵に目を向けた。
こちらの意図は伝わったと思うが、軽い目礼を返されて不安になる。
有能な男だ。頼りにもなる。
しかし、良識派の弥太郎に比べると、そこはかとなく過激なのだ。
あとできちんと釘を刺しておかなくては。
「父上」
下村が去ってから、隣室にいた父に声を掛けた。
土井が襖を開けると、南向きの明るい室内に父が胡坐をかいて座っているのが見える。
父は二通の書簡に目を通し、それを勝千代がしていたように細目の男にも読ませた。
あ、ちなみに細目の男の姓は二木というらしい。南がそう呼んでいた。
……今頃知ったのかって? 誰も教えてくれないんだから仕方ないだろう。
父は一通り文面を追っただけだが、二木は紙の方に興味を持ったようだった。日に透かせ、裏表確認して、「どちらも御祐筆が使う紙に似ていますね」と言って考え込む。
紙はとても貴重なので、その質を見ればどこから出されたものかおおよそわかるのだそうだ。
男性の手による一通目は公式な文書なので、見覚えのある紙なのは当然だ。しかし二通目は、岡部殿の屋敷か、どこかひと目を避けて書かれたもののはずだ。
つまり姉君の手紙は偽装されたもの?
あるいは、彼女がそういう紙を入手できる立場にいたか、そういう場所にいたか。
「姉君はご無事でしょうか」
あまりいい想像に至らず、勝千代は沈んだ口調で言った。
「……厳しいだろうな」
「ですが、岡部殿を動かすために、一度はご無事をその目に確認させたはずです」
「そうかもしれんが、以降はむしろ、事情を知っている分邪魔になる」
「逆に始末された可能性が高いですねぇ」
父に続き、相変わらずのつかみどころのない口調で、二木は言う。
「確か十四、五でしたか? 女官ながら薙刀の名手と聞いた事があります。自力で逃げ出し身を隠しているかもしれません」
それなら、父岡部殿になんとしても連絡を取ろうとしただろう。
書簡が届いてから、すでにもう半年だ。望みが薄いのは素人でもわかる。
「……駿府か」
しばらくして、父が低い声で言った。
下村のように深く響きの良い低音というわけではなく、どちらかというと掠れた、恫喝じみた声だ。
「どのみち、御屋形様に一度お会いせねばならん」
御屋形様というと、当代の今川家当主だろう。
勝千代は、自身がその御屋形様の名前も、そもそも駿府というのが現代で言うどのあたりかもわかっていないことに気づいた。
漠然と静岡県だとはわかるが、生前一度も訪れたことのない地なので、駿府って駿府城? 家康の隠居所の? 程度の認識しかない。
改めて、すうっと足元が消えてなくなるような不安感に見舞われた。
本当に何も知らないことに気づいたのだ。
四歳児にとっては当たり前のことかもしれないが、それでは何も守れない。
難しい顔をして書簡を見ている父を見上げる。
駿府に行く提案をしたのは勝千代のほうだが、放っておいたら死に急ぎそうなこの人を、無防備な状態で敵の前に連れて行ってもいいものか。
純粋な襲撃だけならまだしも、謀略を仕掛けられたら? 防ぐことはできるのか?
勝千代は、父の斜め前に座っている二木に視線を移した。
その糸のように細い目が、じっとこちらを見ている。
やはり蛇のような視線だ。
父の隣ではよく笑い、快活な言動をする男だが、勝千代に向ける視線は常に厳しい。
見定められている。
害になる存在ではないかと、危ぶまれている。
もう一度父に目を戻し、ガシガシと頭を掻いている姿をじっと見る。
一連の出来事のすべてが、兄、あるいは勝千代が起因したものである可能性は非常に高い。
他ならぬ自分のせいで父が死ぬかもしれない。
想像するだけで、恐ろしかった。




