表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬嵐記  作者: 槐
第二章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/308

6-2

 結局のところ、自己満足なのだ。

 医学の知識などなく、簡単な処置方法さえうろ覚えなのに、四肢が真っ白になっている男の片方の手だけを、小さな子供が握り締めたとて何になるだろう。

 しかし、その様子を見ていた他の大人たちも、それぞれが凍傷患者の手を握り足を握り、温め始めた。

 特にその患者と親しいものは、全身に抱き着くようにして温めている。


「お勝」

 朝から何も食べていなくて、昼過ぎにはフラフラしてきた。

 父はそれを見極めていたようで、即座にストップが掛かる。

 渋々離した手は、青年と同じぐらい冷たくなっていた。

 しかし、モミジのような手にはしっかりと血が通い、白くも赤くもなっていない。

 対する青年の手は変わらず青白く、やはり死体のようで……

 ほんとうに役立たずだ。

「そろそろ戻ろう」

「……はい」

 視線が勝手に一朗太のほうに向く。

 嘆く奥方の隣でずっと、岡部殿の手を握り締めている。

 抱き上げられて広間を出ながら、ひとりでも多くが助かることを、心から祈った。



 父の襟元に顔をうずめていると、いつものように、後頭部を大きな手が覆った。

 無言のまま何度も撫でさすられ、少しだけ身体から力を抜く。

 一朗太少年は、二度とこうやって撫でてもらう事はないのかもしれない。

 そう思うだけで、勝手に視界が潤んでくる。

 

「お勝」

 急な階段をのぼりながら、父が何かに迷うように言葉を紡いだ。

「戦場ではもっと多くの血が流れる。さらに無残な死もある」

「……はい」

「人は誰もがいずれ死ぬ。ワシも、そなたも」

 頼むから、そんなフラグを立てるようなことは言わないでほしい。

「だが、その死にざまを選ぶことはできる」

 父が岡部殿のようになることを想像して、肝が冷えた。

 首を横に振りたいのを我慢して唇をかむと、父の大きな手が再び勝千代の頭を撫でる。

「納得した生を生き、納得して死ぬ。……己も周囲もそうあれるよう、真摯に努めるのだ」

 それは、戦国を生きる父なりの死生観であり、アドバイスだったのだろう。

 しかし平和な時代を知っている勝千代には、覚悟の死など到底受け入れる事はできない。

 

 人の命はそんなに軽いものではない。

 生きて、生きて、意地汚くても生にしがみついて。

 周りの者たちを誰も死なせない。手の届く範囲すべてを守りきる。

 そう望む生き方は、間違っているか?

 きれいごとだとわかっている。不可能に近いともわかっている。

 それでも、生を望み生きあがくことは、納得できる死に方を選ぶよりずっと正しい道のはずだ。


 己の倍もありそうな太い首にぎゅっとしがみつく。

 どんなに逞しく、人外レベルに強そうに見えても、常に死ぬ覚悟をしている父は危うい。

「父上」

 綺麗な死に方など考えなくていい。とにかく生きる事のみに集中してほしい。

「どうしてサンカ衆は、今のような季節に夜襲をかけてきたのでしょう」

「……そうだな」

 わざと話を逸らせてそう尋ねると、父の方もセンシティブな話題が苦手だったのだろう、あっさりその流れに乗ってくれた。

「春から秋は山からの恵みで糊口をしのぐことができるが、冬になると途端に食料が減る。飢えを凌ぐために、村や商隊の荷を狙うのだ」

「ですが、ここは村でも商隊でもありません」

 そもそも、定住地すらない流浪の民が、こんな大きなものを標的にするだろうか。

 田舎の村や少数の護衛しか連れていない商隊であれば、餌食にすることも可能だろう。

 しかしここは、一国の防御拠点としてしっかり機能していた山城なのだ。

 そもそも武士ですらない者たちが狙うような獲物か?

「物見櫓が何本も立っていたのを覚えているか?」

 近くに沢山あるなぁと不審に感じていたあれの事か。 

「おそらく以前からサンカ衆に目をつけられ、たびたび小規模に襲撃されていたのだろう」


 土井が一段づつ降りて行った階段を、父は軽々と一段飛びに昇っていく。

 それなのに抜群の安定感で揺れが少ない。

 父の肩越しに、次第に遠くなっていく三の丸を見下ろして、そういえばこの辺りからでも見えるはずの物見櫓が、一つもなくなっていることに気づいた。

 城などより基礎が軽いため、雪崩で押し流されてしまったのだろう。


「おかしな話です。今川の城を、流浪の民が襲うのですか?」

 ただの弱小国人領主ではない。

 広大な平野部と大きな港を持ち、農業も漁業も貿易も盛んな豊かな国だ。

 その大国の出城のひとつを襲う?

 何も知らない素人でも、さくっと討伐されて終わりだとしか思わないだろう。

 それが、長年弱者として生きてきた彼らにわからないはずがない。

 例えどこからか援助を受けていたのだとしても、それは命を対価にした大きな賭けだ。



 勝千代は黙り、父も無言で歩き続ける。

 言わずとも、これが周到に仕組まれた罠なのだとわかっていた。

 雪崩のことまで定かではない。

 しかし少なくとも、サンカ衆の夜襲の最中に、父も勝千代も命を落とす……そう目論まれていたのは確かだ。

 そして万が一、雪崩までも仕組まれたものであったら……すべての証拠をそれで隠滅してしまおうと考えたに違いない。


「……まだ終わった気がしません」

 勝千代は、真っ白に染まった雪景色から目を逸らせた。

 あの美しい白い雪野原の下に、どれだけの人間が埋まっているのだろう……そう考えただけで、ギリギリと胸が痛む。

「父上の本隊と合流するか、直接駿府へ向かうというのはどうでしょう」

 火の粉を振り払うのではなく、火元を断ったほうがよさそうだ。

 速やかに消火……それができる相手ならいいのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
[良い点] まだまだ厳しい状況が続くようですし、状況がどうなっているのかも分かりませんが、それが期待となって続きが待ち遠しいです。
[一言] 凄く面白いです!主人公が平凡な思考て共感が持てるし、身体も貧弱なのにそれでも足掻きたいと思う姿が好きです! 回りの人々も強いだけじゃなくて弱い部分もあってとても魅力的に見えます! 歴史と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ