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結局のところ、自己満足なのだ。
医学の知識などなく、簡単な処置方法さえうろ覚えなのに、四肢が真っ白になっている男の片方の手だけを、小さな子供が握り締めたとて何になるだろう。
しかし、その様子を見ていた他の大人たちも、それぞれが凍傷患者の手を握り足を握り、温め始めた。
特にその患者と親しいものは、全身に抱き着くようにして温めている。
「お勝」
朝から何も食べていなくて、昼過ぎにはフラフラしてきた。
父はそれを見極めていたようで、即座にストップが掛かる。
渋々離した手は、青年と同じぐらい冷たくなっていた。
しかし、モミジのような手にはしっかりと血が通い、白くも赤くもなっていない。
対する青年の手は変わらず青白く、やはり死体のようで……
ほんとうに役立たずだ。
「そろそろ戻ろう」
「……はい」
視線が勝手に一朗太のほうに向く。
嘆く奥方の隣でずっと、岡部殿の手を握り締めている。
抱き上げられて広間を出ながら、ひとりでも多くが助かることを、心から祈った。
父の襟元に顔をうずめていると、いつものように、後頭部を大きな手が覆った。
無言のまま何度も撫でさすられ、少しだけ身体から力を抜く。
一朗太少年は、二度とこうやって撫でてもらう事はないのかもしれない。
そう思うだけで、勝手に視界が潤んでくる。
「お勝」
急な階段をのぼりながら、父が何かに迷うように言葉を紡いだ。
「戦場ではもっと多くの血が流れる。さらに無残な死もある」
「……はい」
「人は誰もがいずれ死ぬ。ワシも、そなたも」
頼むから、そんなフラグを立てるようなことは言わないでほしい。
「だが、その死にざまを選ぶことはできる」
父が岡部殿のようになることを想像して、肝が冷えた。
首を横に振りたいのを我慢して唇をかむと、父の大きな手が再び勝千代の頭を撫でる。
「納得した生を生き、納得して死ぬ。……己も周囲もそうあれるよう、真摯に努めるのだ」
それは、戦国を生きる父なりの死生観であり、アドバイスだったのだろう。
しかし平和な時代を知っている勝千代には、覚悟の死など到底受け入れる事はできない。
人の命はそんなに軽いものではない。
生きて、生きて、意地汚くても生にしがみついて。
周りの者たちを誰も死なせない。手の届く範囲すべてを守りきる。
そう望む生き方は、間違っているか?
きれいごとだとわかっている。不可能に近いともわかっている。
それでも、生を望み生きあがくことは、納得できる死に方を選ぶよりずっと正しい道のはずだ。
己の倍もありそうな太い首にぎゅっとしがみつく。
どんなに逞しく、人外レベルに強そうに見えても、常に死ぬ覚悟をしている父は危うい。
「父上」
綺麗な死に方など考えなくていい。とにかく生きる事のみに集中してほしい。
「どうしてサンカ衆は、今のような季節に夜襲をかけてきたのでしょう」
「……そうだな」
わざと話を逸らせてそう尋ねると、父の方もセンシティブな話題が苦手だったのだろう、あっさりその流れに乗ってくれた。
「春から秋は山からの恵みで糊口をしのぐことができるが、冬になると途端に食料が減る。飢えを凌ぐために、村や商隊の荷を狙うのだ」
「ですが、ここは村でも商隊でもありません」
そもそも、定住地すらない流浪の民が、こんな大きなものを標的にするだろうか。
田舎の村や少数の護衛しか連れていない商隊であれば、餌食にすることも可能だろう。
しかしここは、一国の防御拠点としてしっかり機能していた山城なのだ。
そもそも武士ですらない者たちが狙うような獲物か?
「物見櫓が何本も立っていたのを覚えているか?」
近くに沢山あるなぁと不審に感じていたあれの事か。
「おそらく以前からサンカ衆に目をつけられ、たびたび小規模に襲撃されていたのだろう」
土井が一段づつ降りて行った階段を、父は軽々と一段飛びに昇っていく。
それなのに抜群の安定感で揺れが少ない。
父の肩越しに、次第に遠くなっていく三の丸を見下ろして、そういえばこの辺りからでも見えるはずの物見櫓が、一つもなくなっていることに気づいた。
城などより基礎が軽いため、雪崩で押し流されてしまったのだろう。
「おかしな話です。今川の城を、流浪の民が襲うのですか?」
ただの弱小国人領主ではない。
広大な平野部と大きな港を持ち、農業も漁業も貿易も盛んな豊かな国だ。
その大国の出城のひとつを襲う?
何も知らない素人でも、さくっと討伐されて終わりだとしか思わないだろう。
それが、長年弱者として生きてきた彼らにわからないはずがない。
例えどこからか援助を受けていたのだとしても、それは命を対価にした大きな賭けだ。
勝千代は黙り、父も無言で歩き続ける。
言わずとも、これが周到に仕組まれた罠なのだとわかっていた。
雪崩のことまで定かではない。
しかし少なくとも、サンカ衆の夜襲の最中に、父も勝千代も命を落とす……そう目論まれていたのは確かだ。
そして万が一、雪崩までも仕組まれたものであったら……すべての証拠をそれで隠滅してしまおうと考えたに違いない。
「……まだ終わった気がしません」
勝千代は、真っ白に染まった雪景色から目を逸らせた。
あの美しい白い雪野原の下に、どれだけの人間が埋まっているのだろう……そう考えただけで、ギリギリと胸が痛む。
「父上の本隊と合流するか、直接駿府へ向かうというのはどうでしょう」
火の粉を振り払うのではなく、火元を断ったほうがよさそうだ。
速やかに消火……それができる相手ならいいのだが。




