6-1 災禍
恥ずかしくて死ねる。
目を覚ました瞬間に夕べの事を思い出し、両手で顔を覆った。
急に四十路男の意識が浮上してきて、羞恥心に悶える。
父の膝の上で満腹になって寝落ちだなんて……お子様か。
じたばたと床で身もだえているうちに、視界を塞ぐ小さな手に意識が向く。
しばらくその手を眺めてから、「いや、お子様だった」と思い至った。
今の自分は、大人が抱き上げて運びたいサイズの小柄な幼児だ。
時折こうやって、急に大人の分別が浮上してきて、統合性に問題が発生する。
しかし最近は、真新しい靴に慣れてきたかのように、徐々にそれを意識しない時間が増えているような気がする。
「起きられましたか」
のろのろと上半身を起こした勝千代に声を掛けたのは段蔵だ。
ちなみにこの時代、万能コミュニケーションツールである「おはよう」という挨拶の言葉は存在しない。
「……うん。起きた」
じたばたしているの、見られたんだろうな……。
相手がそのことについて触れてこなかったので、こちらも何事もなかったように答える。
日中は暖房の関係もあって、大勢が広間に集まっているが、就寝するときは適度に分散して休む。
特に女性陣は、男どもとの雑魚寝は嫌だろう。
勝千代は父とその配下の者たち五人程度との同部屋だった。
この時代の人々は早寝早起きがデフォルトで、暗いうちから活動を開始する者も珍しくはない。
今日も、すでに周りは起床していて、部屋で寝ていたのは勝千代だけだった。
起こしてくれればいいのに……と、いつも思うが、弥太郎がいうには、勝千代が起床する時刻も遅すぎるというわけではないらしい。
だがしかし、勝千代が寝床を出る前に父たちはすでに出かけているし、厨で働く人たちなど一仕事終えた雰囲気だ。
時計がないので、目安となる時間がわからず、どうしても寝坊した気になってしまう。
「なんだか騒がしいね。なにかあった?」
「岡部様が見つかりました」
部屋の外がなんとなくざわざわしていたので聞いてみると、予想外の返答があった。
勝千代はぱっと段蔵を見上げ、じっとその表情を見つめる。
「手足と耳の凍傷がひどく、全身の複数個所を骨折。四肢切断の可能性があります」
それって、もはや瀕死というのでは。
「着替える」
「はい」
このような状況だから寝巻のようなものはなく、膝丈ぐらいの小袖で就寝していた。もう一枚上に重ね着して、下に袴をつければ身支度は済む。
最初の頃は自分でもできるようにならねばと頑張っていたが、弥太郎が着せてくれるようになってからあまりにも快適で身を任せっきりだ。
こうやって何もできないおぼっちゃまが作られていくのだろう。
段蔵は弥太郎ほど親切ではなく、適度に自分でやらせてくれるので、着付けの練習には彼のほうが助かる。
今回も前で紐を結ぶのに短い指で悪戦苦闘し、なんとか袴をはき終えた。
多少結び目がぐちゃっとしていても気にしない。
「どこ」
「三の丸です。動かせるような状態ではないようで。今弥太郎が診ています」
「弥太郎が?」
「医師は楽にしてやったほうが良いと。奥方がそれを拒んでおられます」
そんなにひどいのか。
勝千代の脳裏に、一朗太少年の顔が浮かぶ。
「段蔵はどう思う?」
「五分五分、いや六分四分でしょうか」
助かる見込みは半分以下か。厳しいな。
部屋の外に出ると、すでに南と土井が履物を用意して待っていた。
「見つかったのは岡部殿だけ?」
「いいえ、サンカ衆が三名と、城の兵士が五名ほど。半数はすでに死亡しており、残りは岡部様と同じく骨折と凍傷で危険な状態です」
雪が一気に落ちてきた場所にいて、団子のようにひとかたまりになって建物と壁との隙間に閉じ込められたらしい。
「お互いの体温があって、命をつなげたようです。外側にいた者たちは凍死しています」
状況を想像してしまい、ぶるりと全身が震えた。
三の丸は、二の丸とは逆方向、雪でふさがれた本丸を横断してさらにその向こう側にある。
雪崩の進行方向からずれていたので、ほぼすべての建物が残っている区域だ。
さらにその先、麓に続く西の丸は完全に雪に埋もれていて、もともと下級武士の詰め所だった三の丸は、負傷者たちの救護所になっていた。
急な斜面に作られた石階段を下りて、三の丸にたどり着く。
度々足を取られるのを見かねて、途中からは土井が抱き上げて運んでくれた。
あまりにも恐々抱えられたので酔ってしまい、到着して地面に降ろされた時にはほっとした。
岡部殿がいる場所は、すぐにわかった。
心配した兵士たちが集まってきていて、その建物の周囲が人だかりになっていたからだ。
その隙間を縫って中に入ると、奥方と一朗太殿が寄り添って座っている姿が見えた。
奥方は両手で顔を覆い号泣していて、一朗太少年も真っ赤な目をして唇をへの字に引き結んでいる。
「父上」
隅の方で腕組みをしている父に近づき、小声で声を掛ける。
父が閉じていた目を開け、勝千代を見下ろす。
「ここにはおらぬほうが良い」
「何故ですか」
「死者が増えてきておる」
負傷者が感染症にかかり、それにより命を落としていっているのかもしれない。
広間には、酸っぱいような甘いような、独特の臭いが充満していた。
それは勝千代がこれまで嗅いだことのない、本能的に不快と感じるものだった。
感染症なら換気と清潔を保つことが大切だが、凍傷患者がいるなら部屋の温度を下げるわけにいかないのだろう。
山ほどの火鉢が持ち込まれ、室温を上げるために湯が沸かされている。
それでも室内はひんやりしていて、暖房技術の発達していないこの時代の限界を感じさせた。
凍傷の初期治療はたしか、身体を温めることだ。温めすぎても良くないと聞いた事もある。必要なのは確か……人肌程度の保温。
「若君?!」
南が驚いて声を上げた。
勝千代が、近くで横たわっていた若い男の側に座り込み、その手をぎゅっと握ったからだ。
冷たい手だった。
まるで凍りかけたゴムのような触感。
雑兵なのだろうその若者は、粗末な茣蓙の上に掛け布もなく転がされていた。
着物からのぞく痩せたその手足は、異様なほど真っ白だ。
もはや、回復を諦められているのかもしれない。
「お勝?」
父がそっと肩に触れてくる。
勝千代は顔を上げ、きっぱりと首を振った。
「すごく寒そうです」
周囲の大人たちの、何とも言えない表情に言葉が詰まり、続きが出てこない。
「……そうだな」
父は一言そう言って、勝千代の頭をそっと撫でた。




