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下村は数分も掛からず戻ってきた。
雪崩に飲み込まれなかった建物は本丸曲輪ではここだけで、皆が避難している広間までは大声を出せば届く程度の距離なのだ。
あまりにも早かったので、まだ父は戻ってきていないが……それほど大きな問題ではないので、先に話を始めておこうかと思う。
勝千代は一朗太がいた時と同じ上座に座り、その背後には弥太郎。下村が入ってきた襖側には南が待機する。
下村は前後を挟まれた形になって落ち着かない表情をしたが、すぐに黙って頭を下げた。
毎回思うのだが、この時代の人間は、四歳児に頭を下げることにまったく躊躇しない。生まれてからずっと、そういう階級社会で生きてきて、何の疑問も持っていないのだろう。
勝千代には違和感しかなかったが、いちいちそれを指摘して回るより馴染んだほうが楽なので、今回も黙って頷きで返した。
一朗太の話は、あまり気持ちの良いものではなかった。
岡部家では代々、嫡男以外の子を駿府に置き、長ずれば官僚あるいは女官として出仕させるのがならいだそうだ。
今代も三人が出仕し、幼い頃から若君たちの遊び相手になっていた。
そのうちの二人が死亡したという知らせが届いたのは半年前。
家族へは流行り病だと伝えられたが、どうやらそうではなかったらしい。
子供たちの死が伝えられた封書と前後して、唯一生き延びた長女からの密書が届いた。
その内容は、弟妹たちは毒殺された可能性が高い、というものだった。
長女からのその知らせを受けて、父岡部二郎は急遽駿府に向かったわけだが……一か月後に戻ってきた時には、すっかり様子がおかしくなっていた。
奥方の詰問にも何も答えず、たびたび怪しげな者たちと密談を交わすようになったのだ。
一朗太もすべてを知っているわけではない。
ただ父が心配で様子をうかがっていたところ、偶然その密談の内容を聞いてしまったそうだ。
それが、福島上総介正成とその嫡子の暗殺計画だった。
岡部はその男に、娘の命を盾に脅されていたというのだ。
いや娘だけではない。奥方や一朗太、今は祖父母のもとにいる末の弟ですら、いつでも殺せると言われていたそうだ。
「そのほうから何か言いたいことはあるか」
思い出して嫌な気持ちになりながらそう言うと、下村は黙ったまま更に頭を低くした。
元来無口なのか、用心して喋らないのか……ずいぶんと頑なだ。
「例えば……姉君の居場所を知っているとか?」
少し揺さぶってみると、ぴくり、とその背中が動いた。
一朗太よりも幼い子供にそんな事を言われ、黙っていられなかったのだろう。まっすぐ身体を起こし、勝千代を見据える。
「わたくしをお疑いでしょうか」
先程も思ったが、低音のいい声だ。
こいつ、けっこういい年なのだと思うが、彫りの深い男前なのだ。
甲斐甲斐しく奥方に寄り添っている姿を見ていると、下世話な噂があるんだろうな……などと、つい余計な想像をしてしまう。
「誰かが内部で岡部殿を見張っていたのは確かだろう。それがそのほうでない理由はない」
「……我が殿には恩義があります」
「そういうのは口でどうとも言える」
「わたくしが内通者だという明確な証拠もないはずです」
まあ、それはそうだ。
「一朗太殿の話は、岡部殿を告発する内容だ。しかるべきところまで話が行ってしまうと罪に問われるかと思うが、それについては?」
「……わたくしにはわかりかねます」
「岡部家がお取りつぶしになる可能性もあるが?」
「……」
「こういう際の沙汰はなんだ? 連座か?」
「っ!」
ぎゅっと太ももの上の手が握り締められた。
感情を抑え込もうとして呼吸が細かくなり、反論を飲み込んでギリリと奥歯をかみしめる。
これでこの男が裏切り者なら、相当な演技派だ。
「……わたしは子供だ」
下村の強い視線を真正面から見返して、勝千代は静かに言った。
「子供ゆえに、聞いた話をつい忘れてしまうやもしれぬ」
はっと息を飲む音がした。
「よいか下村。岡部家を守りたいのであれば、よくよく家中を見て、これ以上の余計な動きをさせぬことだ」
特に奥方な。
「こちらからは特になにもいう事はない。父もわたしも、怪我ひとつないからな。……ただ、父を殺すよう命じた者については興味がある。岡部家の子供たちの横死についても」
子供たちが死んだのが半年前だというのは何かの符丁だろうか。
勝千代は、会ったこともない双子の兄のことを思った。御台さまの書簡によると、兄が流行り病で亡くなったというのも、ちょうどその頃なのだ。
岡部家の子供たちが毒殺されたのなら、兄もやはりそうなのではないか?
疑惑はますます深まるばかりだ。
「……姉君のことは気掛かりだな。ご無事だとよいが」
瞼を伏せてそう言って、少し思案してから顔を上げると、何故かキラキラと潤んだ目とぶつかった。
「こちらでも調べてみるが、何か手掛かりになりそうなものがあるなら教えてほしい。たとえば……そうだな、送られてきた姉君の書簡とか」
え、なに?
見る見るうちに下村の目に涙が盛り上がる。
男前の涙目なんて、誰得だ。
勝千代が思わず仰け反ると、斜め後ろにいた弥太郎の肩に後頭部が当たってしまった。部屋が狭いので、互いの距離が近いのだ。
「ありがとうございます」
いろいろな意味が込められた礼だった。
「雪で埋もれてしまいましたが、油紙で包んでおりますので、見つけることはできると思います」
やたらと低く良い声なので、身を乗り出されると耳元で囁かれた気がして鳥肌が立つ。
本人に全くそんなつもりはないのだろうが、誤解する奴は多そうだ。
「……ああ、うん」
勝千代はもう少し距離を取りたいと切実に思いながら、こくこくと首を上下させた。
「どうか……どうか姪の事をよろしくお願いします」
再び深く下げられた頭が、床にゴツンと当たった。
……姪?
下村が奥方の兄だということを、そこで初めて知った。




