遠江 朝比奈領 囮の餌1
雨がやみ、日が高くなってきたころ、一朗太は横田を連れて町を歩いていた。
暢気に散歩をしているわけではない。
「……いますね」
道すがら、露天の出店をのぞいていた一朗太は、さりげなくささやかれて小さく頷き返した。
あの火事で無傷だと知れば、また襲ってくるかもしれないと囮になった。案の定、ぶらぶら歩いている後ろに尾行者がいる。
そいつらを処理するだけでも良かったのだが、銭で雇われた者は始末したとしても次が来る。そうならないためにはやはり雇い主をなんとかするしかない。
ただ追求するだけではしらを切られるだろうから、まずは手足をもぎ取り不安をあおる。要は、次を雇う気にならないようにすればいいのだ。そのうえで……御前様がいらっしゃらなければ処分一択なのだが、一度ご意向をお聞きした方がいいな。
田所は朝比奈軍の足軽組頭と引き合わせてくれた。逆恨みされ、忍びに狙われていると告げると胡散臭げな顔をされたが、そいつらが火付けをしたと知ると険しい顔になった。
その際、連中は京訛りの商人だと告げると急に乗り気になって、「どこの何という名だ」と食い気味に詰問された。
やはり誰かを探しているのは確かなようだ。おそらく轟介は違うと思うが、あえてそれは教えなかった。
朝比奈軍の一部と、田所たちと岡部勢、手助けを申し出てくれた天野勢とで、総勢五十を越えた。
これだけいれば、轟介が雇った忍びを排除することはできるだろう。
あとは、囮に食いつくのを待つだけだ。
一朗太は露天のひとつの前で足を止めた。
筵の上に組まれた木の台に、細かな細工の根付がいくつかぶら下がっている。骨か角かで作られた、真っ白なかわいらしい意匠のものだ。
そのうちのひとつが姉上の好きな百合の花だった。つるりと光沢がある表面で、なかなか出来がいい。
「店主。これはいくらだ?」
「へぇ、百文でさ」
奈津が持つには安物だが、露天の売り物なので相応だろう。
今は持ち合わせがないので、あとで買いに来るから取り置きしてと頼むと、店主は愛想よく笑って頷いた。
ぐっと顔が近寄ってきて、むき出しの黄色い前歯が一本折れているのがやけに目につく。
「……ところで旦那、お連れ様のことはよろしいんで」
ビクリ、と反応したのは横田だ。
慌てて店主との間に分け入ろうとしてきたが、一朗太は手を上げて制した。
「わかるのか」
「そりゃあまあ」
店主は「いひひ」とひっくり返った声で笑い、さっと口元を手で覆った。
「追加で二百文。追い払って差し上げますよ」
囮なのだから、追い払われるのは困る。
「根付もあわせて五百文。連れの人数を把握したい」
しばらく考えてからそう言うと、げじげじのような店主の眉がひょいッと上がった。驚いたような表情をして一朗太を見て、意外と長いまつげが数回上下する。
「若、このようなものを信じるのは」
それはそうだ。横田のいうことはもっともだが、それで敵の数がはっきりするらな儲けものだ。
「銭は用意しておく。わかったら教えてくれ」
一朗太はそう言い置いて、店主から身を引いた。
それから半刻もしないうち。まだ囮として町中を歩いていた一朗太は、店主の姿を物陰に見つけた。
露店にいた時は曲がっていた背筋が、まっすぐ伸びている。意外と背が高そうだ。
近づこうとしたが、横田に止められた。そうだな、敵に見られることを考えなくてはならない。
ぶらりとよった体で茶屋に入り、餅田楽を注文した。出てきたのは雑穀餅と草餅を串に刺したものだ。炭火であぶられた小餅が膨らみ、味噌の香ばしい匂いを立てている。うまそうだ。
一口ほおばり、まだ芯が熱くてハフハフとしていると、横田が不意に身構えた。
落ち着け。相手はひとりだ。
だが背後に座ったのは、予想していた露店の店主ではなかった。
一朗太より少し年上に見える女だ。
「お連れさんは五人。そいつらのひとりが向かった先にいたのは十人ぐらい」
振り返りたいのをこらえて、熱い焼き餅を飲み込む。
現時点で十五人というなら、倍を見ておけば多すぎはしないだろう。いやそもそも現状で三十人も集めると目立ちすぎてしまうから、それ以下と思っていい。
なんにせよ、うまく囮に食らいついてくれそうだ。餌になって歩き回った甲斐がある。
「父ちゃんが、銭はあとでもいいって」
少女はそう囁いてから、持ち帰り用に包んでもらった焼き餅を受け取り、席を立った。
「根付はあとであたいが届けるから」
パタパタと遠ざかっていく足音を聞きながら、一朗太は長く息を吐いた。
あの店主に期待をしていたわけではないが、信じてもいい気がする。
「……どう思う」
「あとでもいいというのは、生き残ったらでいいということでしょうな」
一朗太の問いかけに、横田が唸るような声で言う。
そこまでうがった見方をしなくても、と隣を見ると、横田は険しい表情で少女の去った方向を睨んでいた。
「あれはサンカ衆です」
はっと息を飲んだ。己の表情が硬くこわばるのがわかる。
サンカ衆と言えば、長年岡部家を苦しめてきた野盗らだ。季節を問わずに城にちょっかいを掛けてきて、散々な目にあわされた。
手に持ったままの串から、ぽたりと味噌が落ちる。
一朗太はそれをじっと見降ろして、父らとともに雪の中から掘り出された、大勢のサンカ衆の男たちを思い出していた。
「信じてはなりませぬ」
念を押すように言われて、皿の上に串を戻した。
少し前なら、横田の意見に同意していただろう。いや、用心するべき奴らだとは思う。
だが、すべての武士が信じるに足るわけではないように、サンカ衆にも色々いるはずだ。
「……だからこそ後払いでよいと言ったのだろう」
「若!」
「今の我らに、味方を選んでいる余裕はない」
長年サンカ衆に悩まされてきた横田には、到底受け入れがたいのはわかる。
それならそれでいい。
嫌い合っていても、信頼がおけずとも、必ずしも殺し合う必要はない。
サンカ衆がこちらを利用しようというのなら、こちらも奴らを利用してやればよいのだ。
 





 
  
 