遠江 朝比奈領 宿場通り1-2
「……忍び?」
横田の報告に顔をしかめた。
一朗太にとって、噂に聞いたことがあるだけで実感のない者たちだ。
だが、宿の前にいた男たちをつけた横田らは、そう間を置かずに撒かれたそうだ。その動きは武士のものでも、その辺の破落戸のものでもなく、忍びと考えるのが妥当だとの事。
所詮は商人の子飼い、すぐにも片を付けられると思っていた。
一朗太は、刀を握ったまままじまじと横田を見上げる。
つまり奴らは、轟介の配下ではないということか? いや、商人なら銭を持っている。忍びを雇うこともあるのかもしれない。
「轟介とやらは、ただの番頭ではなく、日向屋の後継ぎかもしれませぬな」
下村のその言葉に、一朗太は首を横に振った。
「だとしても。やられっぱなしでいるつもりはない」
「それはもちろんです」
下村だけではなく、横田も他の皆も笑っている。
この状況で何故笑うと顔をしかめても、少し強めに頷き返されるだけだ。
「いやぁ、若もご立派になられて」
横田のしみじみとした呟きに、一朗太は急いで咳ばらいをした。
天野勢が見ている前でやめてくれ。恥ずかしい。
「考えたのですが、ここは朝比奈家の領地です。領内に破落戸のような真似をする忍びがいるのなら、対処するべきなのは彼らでしょう」
下村は口元に手を置き、まだ笑みのにじんだ声色でそう言った。
「奴らが何人いるのかはわかりませぬが、朝比奈軍よりも多いとは思えませぬ。有象無象の対処は任せて、こちらは日向屋轟介に集中するべきです」
朝比奈と聞いて思い出した。
「そういえば、書付にあった者たちの所在はわかったのか。まさか轟介ではなく、そいつらが忍びを寄越したということはないか」
下村がはっとしたように息を飲んだ。そことは考えていなかったようだ。
あの簀巻き男が奈津の命を狙っていたとしたら、その一味が一朗太に目をつける可能性はないだろうか。
下村は少し考え込んでから、首を左右に振った。
「……いえ、そもそもこちらを狙ってくる理由がありませぬ。姫様は、何かを知っていると思われているのでしょう。若が姫様から伝え聞きしたとて、証人になれるわけではありませぬ」
一朗太の脳裏に、奈津の青白い顔が浮かんだ。
御前様はもちろん、あの子のことも守らなければならない。
「忍びならなおのこと、早急に対処せねばらなぬ。姉上の墓に参るときに邪魔をされたくない」
静かに口を開き、そう言うと、周囲の大人たちは揃って頷いた。
朝日が昇るころになって、朝比奈軍が宿場通りにやってきた。火元の宿屋を調べに来たのだ。
相変わらずピリピリと気が立っている様子で、しきりに周囲の宿に聞き込みに行っている。
さりげなく聞き出したところによると、誰かを探しているようだとか。
「誰か? 男か女か」
下村が首を傾げてそう問うが、横田もよくわからない様子だ。
「なんでも京訛りの、身分ありげな者たちだそうで」
京訛りか。そこで連想するのはやはり日向屋轟介だが、京商人であるあの男が朝比奈家と係わっているだろうか。轟介はあの通りの破落戸風なので、身分ありげでは当然ないし。
半刻ほどして、周囲がすっかりと明るくなったころ、通りすべての建屋を改めると通達があった。燃えなかった宿も、小間物屋ら宿場通りに面している店もすべてだそうだ。
残念ながら日向屋の商隊が宿を取っているのは隣町なので、京訛りだと教えてやっても何もならないだろう。
その時、唐突に思い浮かんだのは、鶸の顔だ。
京訛り。身分ありげに見えなくもない。……まさかな。
いや、お屋敷にいる侍従らともなると、全員それに当てはまる。
だがそんなはずはない。朝比奈家がこれほど大掛かりに、御前様にかかわる何者かを探すなど。
むずむずと、もどかしさが込み上げてくる。
手が届きそうなところに、重要ななにかがあるのにわからない。そんな感じだ。
一朗太は、通りを闊歩する大勢の雑兵の様子をじっと見つめて、この先どうするべきかと思案した。
まずは肝心の轟介がどこにいるかだ。商隊の宿にいるのか、別の場所か。
ようやく夜が明けたところなので、これまでは調べようがなかったのだ。
「……若」
一朗太と同じように、しばらく黙って考え込んでいた下村が、不意に声を上げた。
「朝比奈のご正室は御台様の姪御で、公家の姫君でした。今は兄君たちが補佐をしていると聞きます」
「朝比奈の兵が主家の正室を探すのか?」
そんなまさか。一笑に付して否定しようとしたのだが、笑いにならなかった。
もしかしなくても、事は想像している以上に大ごとなのかもしれない。
何が起こっている?
「間抜けめ」
かなり日が高くなって、朝比奈軍の宿改めがあらかた済んだ頃、小間物屋の軒先に現れたのは田所だ。
開口一番、渋い表情でそう吐き捨てられて、首をすくめる。
忠告されていたのに、用心を怠ったこちらに非がある。不寝番に宿全体を警戒させておけば、火付けに気づけたはずなのだ。
だが幸いにも、この火災で死者は出なかった。怪我をしたものは何名かいるが、すぐ命に係わるほどの重傷ではない。冬の雨風にさらされて、高熱を出す者は他にもいそうだが。
「朝比奈軍は誰を探している?」
「さあな」
一朗太がそう問うと、田所はもはや行儀よくする気もないようで、ガシガシと首の後ろを掻いた。チッチと何度も舌打ちまでしている。
「日向屋轟介が忍びをやとって火をつけた。この認識で間違いないか?」
「だから気をつけろと言っただろう」
忍びの話は聞いていない。だが、すべての情報を交換するような仲でもない。
一朗太は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「排除したい」
端的にそう言うと、田所はギロリとこちらを睨み据え、ことさらにゆっくりと、噛んで含めるように言葉を紡いだ。
「日向屋は、お屋敷出入りの商人だ。排除するのは御前様の意に添わぬ」
だが、門兵は轟介を出入り禁止にしていた。……ああそうか。田所が手を回したのか。
一朗太は改めて、浅黒い田所の顔をまじまじと見た。
横柄で油断ならない男という印象だったが、福島家とのかかわりを思えば当然だ。状況をわざわざ説明しにきてくれるあたり、存外面倒見の良い奴なのかもしれない。
もちろん、ただ単に利害が一致しただけというのもあるのだろうが。
「忍びがうろついているのは目障りだ。そうだろう?」
一朗太がそう言うと、田所は目つきを厳しくしながら睨んできた。
怯みそうになる気持ちを堪え、その場に踏ん張ることが出来たのは、家臣の多くが黙って後ろに控えていてくれたからだ。
そうだ。引くわけにはいかない。
火の粉を払うぐらいできずにどうする。
複雑なことが進行しているわけではないのです。
ですが、まったく情報がない一朗太にとっては、断片的なことだけがテーブルの上に乱雑に置かれている状況で、どれがどれと関連づいているのか全く分かっていません。
①岡部姉妹をさらった人買いと、それにかかわっている者たち
②日向屋轟介の逆恨み
③朝比奈家を専横しいた者たち
④福島家関係
とりあえず今はこんな感じ
それぞれが微妙に重なっていることもあり、より状況は複雑に見えます
一朗太が対処するべきなのは上ふたつで、今は②をなんとかしようとしていますが、他の要素も絡んできています
 





 
  
 