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冬嵐記  作者: 槐
外伝 一朗太記

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遠江 朝比奈領 宿場通り1

 火勢が弱まってくると、今度は冷気が洒落にならないものになった。

 雨が着物を濡らし、風も吹きつけてくるので、真冬の川に飛び込んだかのように凍え始める。

 荷物は部屋に置いたままだ。武器などは各自持ち出せたようだが、ほぼ着の身着のまま。

 これからどうすればいいかわからず呆然としているのは、一朗太だけではないだろう。

 どこかで、子供が泣く声がした。子供だけではない、女のすすり泣きも聞こえてくる。

「取り急ぎ、焼け出された者たちが雨を凌げる場所を探そう」

 気を取り直してそう言うと、「はい」と下村と横田の返事が揃った。

「部屋とは言わぬ。雨と風を防げる場所ならよい」

 岡部家の家臣たちが、わかったという風に大きく首を上下させる。

 それにしても……と、降り続く冷たい雨を見上げる。

 火にまかれて死なずにすんでよかったのは確かだが、肌を刺すような雨の冷たさに「助かった」とは思えなかった。

 消火の確認や、焼け出された者たちの今夜の行く先の手配は、皆で一斉に掛かればすぐに済んだ。

 雨の勢いが増してきて、これ以上の延焼はなさそうだと判断し、建屋にそれほど被害が出なかった宿屋に宿泊客が戻れたのが大きい。

「ざっと見て回りましたが、やはり火元は我らの宿のようです」

 全身濡れネズミの横田がそう言うと、一朗太の周囲で複数の溜息がこぼれた。

 田所の忠告を思い出して肩を落としたのは岡部勢、天野ほうは……。

 さほどからくしゃみをしている小四郎殿が、再びブルリと身震いしながら息を吐いた。

「すまぬ。狙われたのはワシかもしれぬ」

「小四郎様!」

 制止しようとする側付きたちに首を振り、小四郎殿はもう一度溜息をついた。

「天野家にも色々とあってな」

 不意にその唇が真っ青なことに気づいた。ぐらりと身体が揺れ、一朗太は声を上げる間もなく手を伸ばし、小四郎殿の腕を掴んだ。

 顔色は真っ青だったが、至近距離になると吐く息の熱さがわかる。

「熱があるじゃないか!」

 一朗太の大声に、小四郎殿の側付きたちも初めて異常に気づいたようだった。

 普段元気者だとしても、慣れない環境下で疲労も溜まっていただろうし、薄着で冬の雨に打たれて身体に言い訳がない。

 そうだ、一朗太よりふたつも年下なのだ。それなのに、頼りすぎたのもよくなかった。

「急ぎ休める場所を探そう。この雨だ、近場がいい」

「いや、これぐらい……」

「火は消えた。我らにできることはない。だから休め」

 こんな体調でも気丈に立っていようとする小四郎殿をその場に座らせた。

 熱は高そうなのに、真っ青で震えている。これはまだまだ熱が上がりそうだ。

「そうだ、例の桶屋の小屋はどうなった? 使えるのではないか?」

「いや、それより少し遠いが、囲炉裏がある穀物問屋の納屋のほうが」

 大人たちが焦り気味に話し合っている。

 ここは宿屋の向かいの小間物屋で、一時的に雨を凌がせてもらっているだけだ。

 だが、小四郎殿だけなら頼み込めば休ませてもらえるのでは。

 一朗太は無言で立ち上がり、交渉しようと小間物屋の主人を目で探した。先ほどまでそこにいたはずだが……。

「……横田?」

 不意に目の前に立ちふさがった男を訝しむと同時に、その背後にちらりと見えたものに「はっ」と息を飲んだ。

 ぐい、と濡れた身体を脇に避けようとしたが、横田はきっぱりと首を左右に振った。

「今はなりませぬ」

 そう言ったのは、横田ではなく下村だ。

 その目は横田を通り越して、その背後。一階部分が燃え尽きて壁がなく、二階も半分ほどしかのこっていない宿屋を見ている。

 静かな視線だ。いや、この目をかつて見たことがある。

 不意に、闇の中で吹きすさぶ雪と、その中で繰り広げられた攻防を思い出した。

 ぐっと腹に力を籠める。

「数は」

 一朗太がそう問うと、遠くを見ていた下村の目がこちらに向いた。

 視線が重なり、瞬き数回ぶんの沈黙が過る。

「十。いや十五」

 まるで転がっている石を数えるような口調だった。

「ですが、見えているだけがすべてとは限りませぬ」

「長引かせて、御前様のご迷惑になるわけにはいかぬ」

 下村は、一朗太の言葉を吟味するように聞いてから、もう一度雨が降る屋外に目を向けた。

「日向屋轟介の姿がありませぬ」

 そうか。そうだよな。やはり轟介が火付けを命じたと考えているのか。

 改めて、田所の忠告を生かせなかったことに歯噛みする。

 聞いていたのに。用心を怠った。たかが商人だと甘く見ていた。

 一朗太はもう一度、横田の身体を押した。今度はすんなりと退いてくれた。

 半分開いた引き戸の向こうには、先ほどまでの雑踏はない。真夜中なので、焼け出された者たちも野次馬たちの姿も減っていて、そのほかは町の男衆が消火の確認のために時折通るだけだ。

 だがそんな中、明らかに場違いで異様な集団が立ち止まって宿屋を見ている。

 武士か? だとしても浪人か、商人の用心棒か、あるいは町の破落戸たちだろう。

 暗くてよく見えないが、確かに十人以上はいる。

 一朗太はひとつ頷き、側に立てかけていた刀を握った。

「お、お待ちを。今は」

「今でなくいつやるのだ」

 横田は、反対する様子のない下村を見て腹を決めたようだ。えらの張った顎をぐっと食いしばって、「わかりました」と頷く。

「ですが、先に数の把握をするべきです」

 それはもちろん。どんな敵であろうとも油断はしてはならない。

 今回のような失敗は、二度としない。

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