5-3
案内されたのは、男がいたすぐ近くの小部屋だった。
部屋というには狭くて、三畳ほどしかなく、しかも縦長だ。もともとの用途は納戸かもしれない。
先に来ていた一朗太殿は、下座に座って待っていた。
室内の安全を確かめた南が微妙な表情をしたのは、少年が初っ端から額を床につけて頭を下げていたからだろう。
彼は城主岡部二郎の嫡男である。
立場的な云々は勝千代にはよくわからないが、そんな態度をとるほど低い身分ではないはずだ。
気まずい。
勝千代は入り口の敷居をまたぐ前から、入るの嫌だなあと露骨に顔に出してしまったが、幸いにもそれを見ているのはこちら側の人間だけだった。
「……一朗太殿」
「も、申し訳ありませんっ」
困惑しきった勝千代の声よりもなお、一朗太少年の声は細かった。
「ち、父のしたことには、じ、じ事情があるのです」
他所に声が漏れることを恐れているのか、ぼそぼそとした口調でそう言って、彼は手で口を覆って嗚咽を堪えようとした。
「あああ姉上が……」
「少し落ち着きましょうか」
片や全身を震わせて涙する少年。片やその肩に手を置く幼児。絵面だけならほほえましいと言えなくもないが……。
「順を追って話してください。そもそも君は何を知っているの?」
今さら取り繕っても仕方がないので、勝千代は素の口調でそう尋ねた。
コトリと襖が動く音がする。一朗太の背後を閉めたのは土井だが、四方を壁ではなく襖で囲まれた部屋の、もう片方の廊下側を薄めに開いたのは段蔵だ。
何故この男がここに居るのかは、今更なので聞かない。
父に命じられて、影供として目立たないように周囲を警戒しているのだろうと思う。
段蔵は部屋には入ってこず、勝千代以外の者たちと何やら目で会話をしあってから、再び襖を閉めた。
おそらくは、部屋の外は見張っていると言いたかったのだろう。
弥太郎が灯明に火をともす。
ほのかな灯が部屋を照らせば、余計にここの異様さが際立ってくる。
狭い部屋に大人が四人、子供が二人……ぎゅうぎゅう詰め感が過ぎるのだ。
そんな中、一朗太はぽつりぽつりと話し始めた。
彼は、勝千代の主観だと十歳前後に見える。この年頃の子供に、理論的に何かを説明させるのは酷だ。
必要なのは黙って耳を傾ける事。肝心の話をする前に、どれだけ脱線しても口を挟まない。
五年前に弟が生まれた所から始まったので、どうなる事かと思ったが、最後まで話を聞いているうちに、ひどくやるせない気持ちになったのは勝千代だけではないだろう。
コンコンコン、と外で床がノックされる音がした。
ほぼ同時に、一朗太の側付きの男がはっと顔を上げる。
聞こえるのは、奥方の女中が一朗太を探している声だ。
話はほぼ終盤に差し掛かっており、結末は誰にも想像ができるものだったから、言いにくそうにつっかえつっかえ喋る彼の言葉を遮っても支障はなかった。
「お母上が目を覚まされたのではないでしょうか。……そろそろ戻らなければ」
勝千代はそっと、涙でぬれる少年の肩を握った。
「……約束はできません」
すがるように見つめられて、頷き返す。
「ですが、最善は尽くします」
再び、その両目にじわりと涙が滲んだ。
促され、女中が探しに来ないうちにと先に小部屋を出た一朗太に続き、側付きの男も丁寧に頭を下げてから腰を浮かせる。
「……そなた、名前は」
「下村高司郎と申します」
「一朗太殿をお送りしてから、戻ってきて」
勝千代は目を閉じていたので、彼の表情を見ていなかった。
ただ、尋常ならぬ目つきで凝視されたのは感じていた。
服装とか周囲の者たちの態度から、この男はただの側付きではなく、岡部の腹心としてそれなりの立場にいたのではないかと思う。
もしそうだとすれば、申し訳ないが、交渉相手は一朗太少年ではなく彼だ。
「……父上はお戻りだろうか」
二人の足音が遠ざかってから、土井たちに聞いてみる。
父は雪崩の直後からずっと、なんとかこの城を復活させようと動き回っている。
雪に埋もれた人々を救助し、建物の倒壊を食い止めようと雪かきまでしているそうだ。
父のあのパワー過多ぶりなら、さぞ精力的に働けているだろう。
最初の頃は父を遠巻きにしていた城の人々も、今では親し気な顔を見せてくれるようになったそうだ。
頼りになる指導者がいると、人心は安定するものなのだろう。
勝千代的にも、血みどろの戦場に行かれるよりは、こういう所で能力を活かしてくれるほうが嬉しいし、安心する。
「少し手の込んだ作業をすると仰っていましたよ。日暮れまでには終わると聞いていましたが」
ちらりと視線を向けた先は、もはや完全に夕刻だ。
「目立たないように、隣の部屋に案内してくれる?」
下村との話し合いに父の目は必要だが、あの威圧感があってはまともな交渉にならない気がする。
それは土井も南も同感のようで、不安そうにしながらも頷いてくれた。
「それから、ちょっとこの部屋狭いし、側についているのは弥太郎と南だけでいいよ」
「……それは」
医師助手の服装をしていて、いかにも非兵士である弥太郎と、片腕が使えない南。このふたりを前にして、下村がどういう行動に出るか知りたかった。
「危険ではないですか? いや、この程度の怪我なんてことはありませんが」
そう言って、南は三角巾で吊った腕を摩る。
彼の肩は脱臼したがすでにもう治療済みで、大きく動かさない限りは痛みもないそうだ。
しかし癖になりやすいとも聞くし、しばらくは固定したままのほうがいいだろう。
もちろんそんな彼に、太刀を抜かせるような仕事をさせるつもりはない。
「大丈夫」
勝千代はうっすらと笑った。
父が隣室で待機していてくれれば、身の危険的な意味では問題ないと思う。
段蔵もいるし、そもそも弥太郎だって非戦闘員というわけではない。
むしろそうしてくれたほうが手間がかからないが……おそらく、襲ってくることはないだろう。
例えばここで勝千代を手に掛けたり、人質に取ったりしてみても、その先がないからだ。
その程度の事は、理解できる男だと思う。




