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冬嵐記  作者: 槐
外伝 一朗太記

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289/308

遠江 朝比奈領 宿屋3-2

 ちらついていた雪が、夕刻にはみぞれになった。

 冬のはじまりか終わりの雪のように、べちゃべちゃと地面を汚す。

 ますます冷えてきたから、夜半にはまた雪に戻るのかもしれない。

 一朗太は厠の帰りに足を止め、重く立ち込めた暗い雪雲を見上げた。

 小四郎殿はまだ戻ってこない。心配するほど遅いわけではないが、天気が悪くなりそうなのは気がかりだ。

 吹き込む冷風に身をすくめ、部屋に戻ろうとして、みぞれが落ちる手水鉢に目が留まった。

 あの夜よりも暗い庭先には、人影はない。

 結局、何者だったのだろう。どの勢力からの命令で、六人の敵の名を知らせてきたのか。

 純粋な親切と信じるほどおめでたくはなかった。目的があるに違いないのだ。

 書かれていた者たちの政敵か? 同じ恨みを持つ者か?

 おそらく鶸たちではないだろう。まさか勝千代殿の……

「若」

 声を掛けられてはっとする。

 丁度宿に戻ってきたところらしい横田が、深刻な表情で近づいてくる。

 そういえば、少し前に飯屋に行くと言っていた。

「あれはちょっとマズいですよ」

「マズい?」

 腕を引かれて顔が近づき、ふわりと酒の匂いがした。

「例の日向屋、また面白おかしく噂話をバラまいていたんですが、覚えておられますよね、田所殿。あの方の配下がものすごい表情で耳を澄ませていました」

「そ、それは」

 揉め事になるのは目に見えていた。揉め事で済めばいいが、流血沙汰になりかねない。

「駄目ですよ」

 何とかしなければと踵を返した一朗太を、横田は止めた。

 家臣として、主家の威信にかかわることだから、この手の悪評をばらまく張本人を見過ごすはずはないそうだ。

「巻き込まれてはいけません。田所殿も、横やりを入れられてはご不快でしょう」

 一朗太は足を止め、酒臭い男を振り返った。

 それはそうかもしれない。破落戸のような男たちだったから、多少のお灸を据えるのはかえっていいことだ。

 抜け目なさそうな田所なら、意図して噂をまこうとした者までたどり着けるかもしれないし。

「おお、一朗太殿!」

 横田の後ろから現れたのは小四郎殿だった。いくらかみぞれに打たれたようだが、元気いっぱい、いつもの小四郎殿だ。

「横田に聞いたか? 面白いことになってきたな!」

 一朗太は、小四郎殿と横田とを交互に見た。少し気まずげな横田から、飯屋で偶然出会ったのだと言い訳じみた報告をされた。

 休憩時間だから構わないのだが……また飯屋に行ったのか、小四郎殿。

 毎度毒の心配をしなければならない側付きたちを気の毒に思いながら、今日は別のものを食したが非常にうまかったと楽しそうに笑う顔を見返した。

「豆腐田楽の味噌が絶品で……」

 魚の焼きものと山菜と、味噌を塗られた握り飯のうまさを懇々と説明され、おもわずグウと腹が鳴った。

「なんだ、飯はまだか? 早く行かぬと暖簾を下ろされるぞ」

 一朗太は空腹を訴える腹をさすった。

 どんなつらいことがあっても、腹は減る。笑えもする。

 そうできるうちは、人はまだ生きていけるし、そうしなければならない。

「そういえば、噂を聞いたぞ」

「また勝千代殿のことか?」

「それもあるが……」

 この宿に泊まっているのは我々だけなのに、小四郎殿はわざとらしく声を小さくした。

「掛川城で大捕り物があったそうだ」

 脳裏をよぎったのは、書付にあった残りの者たちの名だ。だが朝比奈殿は甲斐国境に遠征中だ。当主不在で、謀反以外に大きなことが起こるとは思えない。

 いやもしかすると、謀反を未然に防いだとかか? だとすれば、その立役者はなかなかやる。

「福島のご嫡男が采配を振るったとか」

「勝千代殿が⁈」

 まさか掛川城に来ているのか? そうか、だから江坂殿や田所がここにいたのか。

「今回の、御前様のお屋敷が襲撃された件、ひょっとするとひょっとするぞ」

 小四郎殿が声を潜めたくなる理由がわかった。

 まさか譜代の代表格である朝比奈家が……傾く?

 とっさに連想したのは、岡部家の惨状だ。没落一歩手前どころか、すでに落ちるところまで落ちてしまった岡部家だが、少し前まではそれなりの家格、それなりの家臣を抱え、今川の武門の一端を担っていたのだ。

 いや、そんなことが起こるはずがない。朝比奈殿のご正室は御台様の姪だと聞くし、今川家においては屈指の家柄だ。岡部家と同列に並べることはできない。

「……ここだけの話だ」

 小四郎殿が腕を掴んできて、縁側から部屋寄りの壁に寄せられた。

「力を持ちすぎたが故に、御屋形様が英断を下されたのだと言う噂がある」

「まさか……三河で戦が起こるというのも?」

「それも本当かどうかはわからん。所詮は飯屋の噂だからな。だが朝比奈領で他家の兵がうろついているのは、少なくともそれが許されるのは、上のほうで何かが変わったからだろう」

 一朗太は開きかけた口を閉ざした。

 そうかもしれない、と思ったからだ。

 勝千代殿は御屋形様の名代として、御前様のお屋敷が襲撃された件を片付けに来たのかもしれない。実の叔父である江坂殿を同行させているのは実務を任せるためか。

 そして御屋形様が動いたということは、朝比奈家に大鉈が振るわれた可能性は大いにある。

 戦が起こるからと兵糧を集めたのが、朝比奈軍を抵抗させないためならば、なかなかやるどころか、かなりのやり手だ。

 そもそも軍勢を真っ二つにして、国の端と端に布陣させるのは、どう考えてもおかしいのだ。

 そうか。朝比奈家も潰されるのか。

 奇しくもそれが、勝千代殿の手によってだということが、政争の天秤が大きく傾いていることを示している。

 時代が、動いている。

飯屋で拾った噂で情勢通な少年、小四郎w

噂には嘘も交じっていると知っていて、信じちゃうあたり、まだまだ素直な一朗太ww

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
4巻の裏側での話といった感じで、田所弟が轟介に暴力を振るった背景や朝比奈家での活躍が第三者的にどう見られているか等見れて面白いです。
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