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冬嵐記  作者: 槐
外伝 一朗太記

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287/308

遠江 朝比奈領 寒月屋敷2-5

コミカライズします

月刊チャンピオンREDで連載が始まります

11月号(9月19日発売)からです

詳しいことはこれから活動報告に書きます

楽しみです!

 太い読経の声が響く。

 一朗太は最前列でそれを聞きながら、視線はずっと膝先を見据えていた。

 奈津は居室に戻った。

 あんなにも怯えていたのだ、連れてくることなどできはしない。

 一朗太の胸は引きちぎられるような痛みを訴え続けた。死んでしまった姉と、今なお苦しんでいる妹とを守れなかった己を、今更ながらに強く悔やむ。

 父はきっと守ろうとしたのだ。娘の為に裏切り者の汚名を負うことを躊躇わなかった。

 なんとしても二人を取り戻そうとした父の行動を、恥だと言い切っていいのだろうか。

 一朗太の心は千々に乱れ、もはや何をどう考えればよいのかもわからなかった。

 読経が終わり、一朗太は住職と正対して丁寧に礼を言った。近いうちに姉の墓に参りに行くと告げると、亡き祖父ほどの年齢の住職が複雑そうな表情で頷く。

「……随分な顔色をしておられるな」

「申し訳ござらぬ」

「いやいや、妹姫のことは聞いておりますよ。前もって教えて下されたら、その日は朝から線香を焚くのはやめておきましょう」

 奈津が怯えたのは、線香の臭いのせいなのか。兄なのに、そんなことにも気づけなかった。

「若君」

 歯を食いしばった一朗太を見て、眉に白いものが混じった住職は気づかわし気な顔をした。 

「心の傷は目に見えないものです。ですが、身体に負った傷と同じなのです。今は傷口がふさがるのを待っている時ですよ。急がずゆっくり見守って差し上げてください」

「はい。ありがとうございます」

 もう一度丁寧に頭を下げ、住職の言葉を胸の内で反芻する。

 奈津は無事だと、ただ表面的なことしか考えていなかった。今は少し様子がおかしいが、すぐにももとの口達者な妹に戻ると信じて疑わなかった。

 だがしかし、姉上の命を絶った刃は、幼い奈津の心をも切り裂いたのだ。

 一朗太の脳裏に、あの雪崩の日のことが深く刻みつけられているように、奈津の心からも姉上の死の瞬間がずっと消えないのだろう。

 それはきっと、一朗太が想像している以上の苦痛を伴うことなのだ。

 奈津の心からは、いまなお血が流れ続けている。

「……若」

 ぼんやりと住職の後ろ姿を見送っていた一朗太に、横田が心配そうに声を掛けてくる。

「大丈夫ですか」

 一朗太は小さく息を吐いてから頷いた。

 もちろん大丈夫だ。こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 しかしその虚勢は、はた目にも明らかだったようだ。

 一朗太の顔を見るなり、小四郎殿は盛大に顔をしかめた。

「ひどい顔色だ」

 住職と同じことを言われて、ごまかすように唇を笑みの形にしてみるが、かえって渋い顔をされた。

「今日はもう宿に戻ったほうがいい。途中に飯屋にでも寄って、腹いっぱい食って、すぐに床に入れ」

 食って寝たら何とかなると言う小四郎殿に、ふりではない本気の笑みがこぼれる。

 心は痛くても、人は笑えると初めて知った。

 だが同時に思い知る。笑うこともできない奈津の心は、手足を失った父のように、二度と元に戻ることはないのかもしれない……と。


 小四郎殿と少し話をしてから、一度宿に戻ることにした。

 言われたとおりに横になるつもりはないが、一人になって考えたい。下村は既に宿に戻って謹慎しているから、奈津のことを相談もしたかった。

 俯きながら、壊れた門のほうへと向かう。

 修繕の為の材料が届いたようで、威勢のいい男たちの声がそこかしこから聞こえる。

 一朗太は邪魔にならないように少し距離をとった。

 その時、お勝手口のほうから歩いてきた商人とすれ違った。

 痩せて小柄な男だ。手と足にまだ旅装が残っていて、お屋敷に着いたばかりなのだとわかる。

 丁寧な会釈に軽く頷きを返して少しして、一朗太は足を止めた。

 振り返ったその顔を、横田が不思議そうに見てくる。

「若?」

 その商人は門のところで大工の棟梁らしき男と話をしている。

 知らない男だ。会ったことはない。

 いやもしかすると町ですれ違うぐらいはしたかもしれないが、少なくとも、個として認識した記憶はない。

「……あの男は?」

「えっ、どの男ですか?」

 一朗太が察知したささいな違和感を、横田はまったく感じなかったようだ。指さした先の男に目を凝らし、首をひねっている。

「京の商人ですかね」

 しばらくして、横田が言った。なるほど、遠くから聞こえる声は京訛りだ。

 京訛りといえば、あまりいい記憶がない。

 飯屋で勝千代殿の悪い噂をばらまいていた連中、なんといったか……そうだ、日向屋だ。

「荷が毎日届いているようですから、一緒に来たんじゃないですかね」

 地方とはいえ、公家の屋敷にはそれなりの格式を必要とする。それが摂家の方ならなおのこと。 調度品や、修繕する門の細工物などに京のものを取り寄せるのはわかる。

「あの男が何か?」

「いや」

 横田が警戒しないのなら、気のせいか。

 一朗太は軽く首をふってから、その場から離れた。


 ちらちらと雪が舞い降りてくる。

 吹き付ける風は冷たく、肌に痛みを感じるほどで、行き来する多くが身をすくめて足早に歩いている。

 お屋敷から宿まで、徒歩で四半刻ほど。遠くはないが、別々の町なので、町と町とあいだには民家もない場所がある。

 いつもはもっと同行する者がいるのだが、今日は三人だった。少ないとは思えない。岡部家の嫡男を狙うなど、よほどのもの好きぐらいだろう。

 だが、下ばかりを向いて歩いていた一朗太の前に、横田が立ちふさがった。他の二人も、左右にぴたりと寄ってくる。

 一朗太も身構えて、家臣らが見ている方向に目を凝らす。

 二つの町が近いので、一般の町人も日常的に行き来する道なのだ。日も高いこの刻限に、野盗などが湧くとは思えないが。

 しばらくして、一朗太の耳にも複数の男たちの笑い声が聞こえてきた。酒でも入っているのか、良い調子だ。

 凸凹とした道の曲がった先から、その男たちが見えてきたとき、さすがに顔をしかめてしまった。例の、飯屋で騒いでいた京商人たちで間違いない。

「……すごいですね! 轟介さん」

「さすがです!」

 轟介とやらと、その太鼓持ちの手下たち。いや商人なので、手代? 小者?

 十人近くが道を塞ぐように広がって歩く様子は、商人というよりも破落戸ごろつきで、気が弱い者なら避けて通るだろう。

 お互いの存在がわかる距離で向き合い、自然と足が止まる。

 こちらは一朗太を入れたとしても四人。とはいえ全員が大小の刀を差した武士だ。

 さすがに道をあけるだろうと予想していたのに、あろうことか、鼻で笑われた。

 カッとした家臣のひとりを、横田が止める。その目が「どうする」とばかりに一朗太を見る。

 一朗太はひとつ息を吐き、足を踏み出した。

 横田らは何も言わずについてくる。

 ずんずんと歩を詰めると、下っ端たちは流石に気まずそうに目を見交わして左右に別れた。

 腕組みをした若い男が、道は譲らないと言いたげにふんぞり返っていたが、一朗太がいっこうに足を緩めないので渋い顔になる。

 えらそうにしているが、一朗太が知る最も恐ろしい武人とは比べるまでもない。あの巨躯と咆哮似た怒声を聞けば、この程度の男は一目散に逃げ出すだろう。

 所詮はその程度だ。恐れるに足りない。

 一朗太は足を止めずに歩き続けて、すぐに宿に着いた。

轟介は堺の、武士より商人のほうが力を持つ地域の認識でいます

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
4巻一気読みしました!! 漫画化おめでとう御座います♪ 続編書籍化(春雷記)お待ちしてます!! 住職がまともな人だった(笑) 田所さんに殴られるちょい前の轟介さんw
4巻届きました。 井伊次郎のキャラデザが思いのほかタヌキでいい味だしてますね。 断章が無いのが気になりましたが楽しく読ませてもらっています。 コミカライズも楽しみにしています。
コミカライズおめでとうございます!
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