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冬嵐記  作者: 槐
外伝 一朗太記

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285/308

遠江 朝比奈領 寒月屋敷2-3

 一朗太は庭先に両膝をついて控えていた。部屋に上がるようにとすすめられていたのだが、とんでもないと辞退した。

 姉と妹が世話になっているだけでもありがたいのに、それ以上は一介の武士には過ぎる。

 それほどしないうちに、静かな衣擦れの音がした。耳をすませば聞こえる程度の、廊下の床板を踏み締める音がして、一朗太はますます深く頭を下げた。

 視線は膝先の石に据えられたまま、もちろん声を掛けられるまでは動かない。

「……奈津の兄か」

 頭上から降ってきた声は、想像していたよりも低く、太かった。

 公家と聞いて想像するのが、雅な貴人、荒事とは縁遠い高貴な御方、というものだったので、さながら武士のようなどっしりとした声に、とっさにそこにいるのが本当に御前様なのかと訝った。

「は、はい」

 それでも、返答しないという選択はない。

 きっとお付きの侍従か護衛だろうと思いながらも、変わらず視線は膝先に据えたまま答える。

「話は聞いた。よう捕まえたな」

 しっかり京訛りなのに、武士と同じ匂いがする口調。もしかすると、京のほうの武士かもしれない。頭の中でそんなことを忙しく考えながら、身体を折り曲げて頭を地面に近づける。

 両手を置いているのは足の付け根のところなので、かなり苦しい体勢だ。

「お初にお目にかかります。岡部一朗太と申します。このたびは我が姉志乃、妹奈津への多大なるご温情を賜り……」

「そんなところにおらんと上がれ。お勝も奈津も、遠慮などせぬぞ」

 考えてきた口上をつらつら述べようとしたのを遮られ、言葉が止まった。はっと顔を上げてしまい、その御方の膝から下を目にして慌てて顔を伏せる。

 どうしよう。このお方はきっと御前様ご本人だ。お召しになられている装束からもそうとわかる。地味色だが、生地の良さが一目瞭然なのだ。

「志乃にどことなしか似とるの」

 狼狽したところに姉の名を出されて、抑えていた感情が込み上げてきそうになった。

「……はい。よく言われます」

 正しくは「言われました」だ。

 そんな細かなとこから、姉がもうこの世にはいないのだと突き付けられ、ずきりと胸が痛む。

「ご温情に心から感謝しております。東雲様には見舞いの文を出させていただきましたが、御容態は如何なのでしょうか」

 涙声をごまかそうとして、若干早口になってしまった。

 慌ててひとつ、咳ばらいを挟む。

「言葉や文だけではなく、いずれきちんと形にしてお礼をさせて頂きたいです」

「子供がそんなことを考えずともええ」

 そういうわけにはいかない。特に若君が身を挺してくださった事への礼は、岡部家のすべての財をなげうっても足りるとは思えない。実際に公家の若君は重傷を負っているのだ。

「そのへんはな……今川が多めに払いよるやろう。お勝も相当気を使ってくれとるしな」

 お勝。勝千代殿のことだ。数回文を交わしたが、そこには詳しいことは書かれていなかった。

「申し上げます。この件について、福島家が調べた結果をご存知だとお伺いしました。差しさわりのない部分だけで構いませんので、教えて頂けないでしょうか」

「姉妹がさらわれた経緯はわからぬ。だが駿府から遠江までの足取りと、それにかかわった者たちをごっそりと暴きよったわ」

 それはまさに、一朗太が知りたかったことだ。勝千代殿はどうして教えてくれなかったのだろう。……とても書けない内容だったのかもしれない。

 心が壊れてしまった奈津の様子を思い出し、我慢できずに涙がにじんだ。

 想像するだけで、直接切りつけられたかのような痛みを覚える。

「その、者たちの……」

 ごまかしようもなく嗚咽がこぼれ、ポタリと涙が膝に落ちた。

「あらかた捕え、すでに処分された者も多い。だが中には逃れたのもおってな。それが今回捕まえた男や。じっくり頭の中身を絞られ、苦痛の中で逝くやろう。だがな」

 御前様は気づかぬふりでそうおっしゃって、更に数歩近づいてきた。

 視界に入る廊下の縁に、白足袋を履いた足先が見えた。

「実際のところはまだ大勢おると見ている。朝比奈の家中と、今川館やそほかにもな」

 福島家がこの件について調べていたのは、一朗太が頼んだからでもあるが、この一件が福島家とも無関係ではないからだそうだ。

「福島の父子を狙った一味とつながっておった」

 ひくりと喉が鳴った。今度は嗚咽ではなくうめき声を飲み込む音だった。

 それはまさに、父上のことではないか。

 姉妹を人質に取られていたとはいえ、お勝殿と福島殿を殺そうとしたことには違いない。

 ……ああ、そうか。福島親子を狙ったものが、岡部家に災禍をもたらした根源なのか。つまりは父もまたその一味だということだ。

「一朗太」

「はっ、はい」

「事実から目を背けても何にもならぬ」

 厳しい言葉だ。一朗太はゴクリと喉を鳴らした。こぼれていた涙も引っ込んだ。

 御前様はきっと何もかもご存知なのだ。

「親の業は子が背負うもんや。どうしようもない」

「……はい」

 責められているようには感じなかった。突き放されているとも。

 だが、もはやこの恥を削ぐべく、死んで詫びたほうがいい気がしてきた。

「幸いにもお勝は、そのほうらを敵とは思うておらぬ。志乃や奈津をえろう気にかけておったよ。あれの素性は知っておるな?」

 最後に付け加えられたひと言にはっとした。

 もちろん勝千代殿が御屋形様の御子だということは知っている。他家に養子に出された、中央からは離れた御子だ。

 だがそれを御前様があえて言及したことに、意味を感じた。

「それではつまり……今川館の奥が関わっていると?」

 後半の言葉はかすれ、自分でも聞き取りにくいほど小さかった。

「まだわからぬ。故にあれの忍びらは辛抱強く探っておるよ」

 姉上や奈津は今川館の奥に出仕していた。弟もだ。警備も厳重で、命の危険とは遠い場所のはずだった。

 だが、そこにいた三人のうちの二人が死んだ。奈津もある意味、死の縁を覗いたと言ってもいい。

 何故、最も警備が厳重な場所にいた三人ともが災禍に見舞われたのか。

 そこに原因があるとうっすら疑っていても、直視できなかった己に歯噛みする。

 一朗太はこれまで、その手の事情には疎かった。だが無知は罪だ。知らないがゆえに、敵を敵と認識できないようでは何も守れない。

 考えなくてはならないのは、弟の死からだ。最初は奈津も死んだと伝えられた。その齟齬はどこからきた? 父は、どの段階で命令から背けなくなった? ……誰からの命令を?

 まだ何もわかっていないに等しいが、それでも、岡部家の敵が駿府に、今川館の奥にいると気づけたのは大きい。

「ありがとうございます。このご恩は生涯忘れませぬ」

 一朗太の声には力がみなぎっていた。

 根底にあるのは怒りだ。もはや何もかもをなげうって、敵を討とうと心に決めた。

 これは生涯の誓いだ。何年、何十年かかろうとも果たしてみせる。

 相手が例え……主家の誰かであろうとも。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
厳しい時代ですね 家を背負って立つということは、その業もまた背負うことになるのですね
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