遠江 朝比奈領 寒月屋敷2-2
紙に書かれていたのは五人の名前とひとつの屋号。それがすなわち、姉と妹をあんな目に合わせた者たちなのか?
まだ確証はないが、取っ掛かりではある。
男を殴り殺しかねないほど興奮していた下村だが、狭い部屋に閉じ込めしばらくすると落ち着いた。
その間に、一朗太は後始末をしておいた。
幸いにも集まっていた者たちは下級武士と中間や小者などばかりで、数は多かったが何が起こったのか正確に把握していないのがよかった。
「下村」
「……申し訳ございません」
「しばらくはここで頭を冷やせ」
まだ完全に片が付いたわけではない。
一朗太は治療すると称して例の男を拘束し、隔離していた。
大声で抗議してきたので、横田が気絶させ、今は簀巻きにして炭蔵の土間に転がしている。
下村には、しばらく部屋に籠っているようにと言い聞かせ、思い切ったことをしないよう付き添いをひとり付けた。簀巻きにした男にはまだ用があるので、とどめを刺しに行かれては困る。
ああ、人手が足りない。
理由も詳しく話せないから、天野家を関わらせるわけにもいかず、岡部家の少ない人数でなんとかしなければならない。
下村とその付き添いが欠け、奈津につけている三人もいないとなると……。
交代要員のことも考えれば、一朗太の手持ちの数は数人。しばらく考えて、江坂殿に任された仕事は小四郎殿ら天野勢にまかせることにした。
紙に書かれていた残りの四人について調べる方が先だ。
一朗太は何か言いたげな横田を従え、簀巻き男を転がした場所に引き返した。
炭蔵と言っても大きなものではないが、この規模の屋敷には十分な広さだ。中は土間になっていて、簀の子の棚に炭俵がいくつか積まれている。
その入口のところで、見張りに残した男が途方に暮れた表情で立ち尽くしているのが見えた。
簀巻きにしているから逃れるすべはないとはいえ、どうして外にいるのだと咎めようとして、その目が助けを求めていることに気付いた。
まさか口封じでもされたのかと慌てて駆け寄り、開け放たれていた炭蔵の中に目を凝らすと、薄暗い中に黒々とした何かがいた。
暗がりに目が慣れていくにつれ、それが十人ほどの不気味な集団だということがわかる。
暗色の狩衣に黒い折烏帽子。全員がお揃いの装束なのでなおのこと異様な雰囲気だ。
彼らは簀巻き男を取り囲み、無表情で見下ろしている。
ひと目で公家の関係者だとわかる身なりなので、目にした瞬間どうしていいかわからなくなった。
改めて、ここが公家屋敷だと思い出したと言ってもいい。武家の常識が通用する場所ではないのだ。
一朗太は気を取り直し、わざと大きめに足音を立てた。
数歩もいかないうちに、十人のうちの九人が顔を上げてこちらを見た。思わず足を止めそうになったのは、その無表情さにではなく、目だけに殺気が宿っていたからだ。
横田が前に出ようとしたのを、腕を引いて抑えた。
この人数差ではもとより太刀打ちできない。それだけではない、この者たちは公家のご家中だ。一朗太ごときが張り合ってよい相手ではない。
だが、譲れないものもある。
「その男は、我らの獲物です」
しまった。間違えた。もっと穏便に交渉するべきだった。
思っていたことがそのまま口をついて出たのに、こちらを見ている九人の表情が変わらないのが怖い。
「申し訳ないが、譲ってもらえへんでしょうか」
奥の方から声がした。ぞわりとするような声だった。
狩衣集団の一番遠く、唯一目線を簀巻き男から離さない人物。よく見れば顔色が幽鬼のように青白い。
「それは困ります」
一朗太がそう返すと、顔色が異様に悪い男の視線がこちらを向く。そこに殺気や怒りや感情の類のものがないことに、再び背筋が凍った。
それでも、怯むわけにはいかないと歯を食いしばる。
「我が姉と妹の敵やもしれぬのです」
顔色の悪い男の表情に何かが過った。
蔵の上のほうから差し込む陽光だけでははっきりとはわからないが、今初めて一朗太を認識したような、そんな感じだった。
「……岡部のお方ですね」
数呼吸分の間のあと、穏やかな京訛りで問われたが、逆にその穏やかさが恐ろしい。
一朗太はごくりと喉を鳴らしてから、小さく首を上下させた。
「はい。岡部一朗太と申します。こちらのお屋敷の方々には、姉と妹の奈津がご迷惑をおかけしております」
恐怖と警戒心と緊張とが合わさり、声が幾分震えている。
ふと、彼らに協力をあおげば、残りの四人を見つけ出してくれるかもしれないと思い当たった。
だがうまく交渉できるだろうか。
下村の顔を思い出した。小四郎の顔も思い出した。……いいや、今は誰かに頼る時ではない。
「某は、何があったのかを知りたいのです。ご存知のことがあるなら教えてください」
ゆっくりと、男の首が傾いだ。
薄暗がりの中から、初めて興味を持った風に観察される。
男は鶸と名乗った。御前様ではなく、姉上をかばおうとして負傷された、公家の若君の家臣だそうだ。
彼らが簀巻き男を譲れと言ってきたのは、主君に刃を突き立てた一味だからだろう。
そのことを知っていて、今まで何故放置していたのかと問えば、都合よく名乗りを変えて別人の顔をして屋敷に出入りしていたとのこと。
ぞっとした。まさか奈津を狙っていたのか? あるいは御前様や若君を?
鶸たちは、若君に切りつけた者たちだけではなく、このお屋敷の門や壁を壊した連中を許す気はないそうで、「武家がうまく始末をつけることができないのならば我らが手を下す」とまで言い切った。
それだけの力を持っていると言いたげな、確固たる自信のある口調だった。
「そちらでは誰が襲ってきたのか、理由は何なのか、すべて把握しているということですか?」
一朗太の問いに、鶸は青白い唇を少し引き上げた。
わかっているのは、実行犯だけなので、その上を探るべく紐を辿っているところだそうだ。そんな折に、ぬけぬけと実行犯の一人が顔を出したと。それは譲れと言いたくもなる。
「我らだけやのうて、例えば福島の忍びや、他にもあれは北条の風魔やろうか、いろいろと動いとるようです。そちらにお聞きになる方が確実でしょう」
いやそんなことを言われても、忍びに知り合いはいない。
「福島家が調べた事やったら、いくらかお手伝いできるやもしれません」
御前様のお許しがあれば、話しても良いとのこと。
一朗太は大きく息を吸った。
間違いなく、事態が一歩進んだと確信したからだ。
 





 
  
 