表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬嵐記  作者: 槐
外伝 一朗太記

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

281/308

遠江 朝比奈領 飯屋2

 江坂殿が掛川城に向かうそうで、しばらくの間、お屋敷に集まってきている武士たちの扱いを任された。

 正直、そんなことを言われても困る。一朗太はまだ若輩で、実務経験も簡単なものしかなく、今川館に出仕した経験すらないので、集まってきた面々の事を何も知らない。

 大きな失敗を待たれているのだろうか。そんなうがったことを考えた一朗太に代わって、快諾したのは下村だった。

「お任せください」

 安請け合いをしても大丈夫なのかと振り返ったが、見えたのは深々と下げられた頭だった。

「必ずやご期待に添います」

 集まってきている武士たちの、扱いにくそうな様子を知っているはずなのに。

 江坂殿はそんな下村を見下ろして、重々しく頷いた。

「御前様にご迷惑にならないよう、重々気を付けよ」

「もちろんでございます」

 江坂殿の眉間のしわは深く、不機嫌さと刺々しさをこれでもかと発散していたが、やはり声だけは平淡だった。

 一度だけこちらを見たその視線は鋭い。一朗太がびくりと身じろいだせいか、ますます眉間のしわが深くなった気がする。

 だがそれ以上は何かを言われることなく、踵を返して行ってしまった。

「……できるのか」

 しばらくしてそう問うと、下村はゆっくりと頭を上げて溜息をついた。

「なんとかなるでしょう。いや、せねばなりませぬ」

 下村は家老職をつくまで今川館にいて、文官をしていたから、できると踏んだのだろう。

 だが、集まってきているのは大きなくくりのうちでは味方だが、家門はバラバラなので、まとめるのは楽ではないはずだ。

 だが、そんなことは言っていられない。

「そうだな」

 やるしかない。


 まず取り掛かったのは、どんどん増え続けている兵らの宿泊場所の確保だ。

 一朗太らの宿屋がようやく見つかったことからもわかる通り、今この近辺で旅籠も宿屋もほぼ満室なのだ。

 代わりに近場の大きめの建物に片っ端から声を掛け、ひと月ほどという約束で借り上げることにした。

 それらは天野家の方々にも手伝ってもらって、奈津の護衛役を除く総勢で走り回らなければならなかった。

 公家が関わる大事とあって、武士たちの多くはおとなしくしてくれているが、一日二日ならともかく長くなりそうなので、どこかでもめ事が発生するのは確実だ。

 そうなる前に、関係性が微妙な家門は宿泊場所を離すなどの配慮がいる。

 片方を立てればもう片方が立たず、つまり両方を立てないのが最適解だと理解するまでに数日。

 もちろん一朗太側は下手に出て、頭を下げるのが必須だが、相手を怒らせないよううまく言葉で制御しなければならない。簡単な仕事ではない。

 意外なことに、そういった折衝事が一番うまいのは小四郎殿だった。まだあどけなさの残る少年だというのが良かったのかもしれない。

 一朗太は可もなく不可もなく。たいていの仕事はこなすが、人の感情や思惑を勘繰るのは、なかなかうまくいかない。


「……疲れた」

 日暮れの飯屋で、机に頬をつきながら呟く。

 そんな一朗太の前で、豪快に切麦を食べているのは、疲労など全くうかがわせない小四郎殿だ。

 こちらはまだ箸をつけてもいないのに、あっという間に椀を空っぽにして、早くも次の注文をしている。

 一朗太はため息をつきながら、ようやく身体を起こした。

 黒光りするほどに磨かれた板間に胡坐を組みなおし、切麦を口に運ぶ。

 一朗太がまだ半分も食べていないのに、すでに小四郎殿は三杯目を飲み干し、満足そうに腹を擦っていた。

「小間物屋の裏の建屋だが、聞いたところによると桶屋の持ち物だそうだ。長く使われていないが、手を入れたら十人は泊まれるようにできるそうだ」

「それは助かる」

 建物の修繕ができる大工を呼べるかが問題はあるが、今でもぎゅうぎゅう詰めなので、悪くはない知らせだ。

 少し前に火事があったそうで、人が住んでいない空き家の多くが消火が間に合わずなかった。お陰で、使える建物が少ないのだ。

「それから……」

 小四郎殿の話の続きを聞こうとして、ふとその背後が気になった。

 どっと大きな笑い声が起こり、酒が入っているのだろう、陽気な大声が響いてくる。

「……やて」

 威勢のいい大声が、京訛りで何かを言っている。

 その一団以外は不愉快そうにしているから、あまりいい話題ではなさそうだ。

「くしまの殿さまの……」

 関わり合いになるべきではないと判断して、いくらか冷めた切麦を箸でつまんだところで、酒に焼けた声が、そこだけ妙にはっきりと一朗太の耳に届いた。

 くしま。ふくしまではなく、くしま。

「鬼福島の種じゃねぇって話や」

 大声でそんな話をして、大声で笑う。

 一朗太は箸先の葱を凝視した。聞くべきではない、聞くべきではないと思っていても、耳がそちらに引き寄せられる。

「それがとんでもねぇ我儘もんで、継母を追い払って居座って、出入りの商人もみんな首にしたそうや」

「すげぇな。京でも噂になるほどなら相当だな」

 思わずパッと顔を上げた。

 襖で仕切られた別の部屋なので、この不愉快な話をしているのが誰かはわからない。

 だが大勢で笑いものにしているのは、一朗太にとっては返せぬ借りのある相手だ。

 腰を浮かせた一朗太を止めたのは、隣に座っていた横田。岡部家の古くからの家臣のひとりだ。

 止められた理由はわかっている。相手がはっきりしないうちに、もめ事を起こすわけにはいかない。

 だがなおも続くあけすけな噂話に、長く我慢できる気もしなかった。

 箸を置き、心を落ち着かせるために息を吸って吐く。

「横田」

 人の動きは止めたくせに、切麦の三杯目をまだ食べていた横田は、目だけで一朗太を見た。

「あれが何者か調べろ。目に余る」

 無理やりにも気持ちを落ち着けると、おそらくはわざとああやって噂をばらまいているのがわかる。……理由は? 

 褒められた手段だとは言えないが、戦略としては理解できなくもない。

 だがそれはすなわち、福島家の、勝千代殿の敵だということだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
毎回小四郎殿が美味そうに食べる切麦。細いうどん&味噌味。添えられた魚の干物ほぐしたのは煮堅魚かな(焼津で鰹を土器で炊いていた)。クック◯ッドの大根鍋うどん、葱も乗ってるし大根でかさ増しのビジュアル。味…
本編や断章では勝千代の兄や一朗太の弟の毒殺犯人や毒の入手先、勝千代(福島家)に対する悪い噂の依頼主等について、断定はされていなかったと思うので、真相の判明とまでいかないにせよ、一朗太視点で何が分かるの…
鬼福島の種でないのは当然として、勝千代君ただいま4ちゃい!ですからねえ。その辺り誰が、何を思ってこの噂を流していたのか。 本編ではいまいち曖昧だったところが明かされると嬉しいですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ