氏親(18-4~9)
その童子の姿を見た時、またかという諦観と同時に、あまりに小さく痩せた見目にため息をついた。
背の高い江坂が連れているからなおのこと、実際の彦丸よりも幼げに見える。
先に勝千代だと名乗り出た童子は、そうそうに偽物だと判明していた。
彦丸に似た雰囲気はあれども、それ以外のところで何一つ類似点はなく、生まれた時にあった痣や黒子などもなかったからだ。
あのようなまがい物、上総介(正成)が用意するとは思えないから、どこぞの陰謀なのだろう。
だが、江坂の傍らに座るその童子の顔を見た瞬間、まぎれもなくそこに彦丸を見た。
病弱だが、頭の良い子供だった。武家でかような貧弱さは役に立たぬと、養子に出すように言われ続けてきたが、それでも手元に置いて育てた。
理由を問われてもはっきりと答える事が出来なかったが、勝千代を名乗る童子を見た瞬間、己があの子を違いなく我が子と思うていたのだと悟った。
「福島上総介が嫡男、勝千代と申します」
臆することなく答えた声も、亡くしてしまった彦丸と瓜二つだった。
いいや、違う。
あれは彦丸ではない。
理性ではわかっていても、兵庫介にあしざまに罵られる様に怒りが込み上げてくる。
御台が湯呑みを投げつけ、さすがに泣き出すのではと危惧したが、毅然とした態度を崩さなかった。
それどころか、本当は幾つだと問いかけたくなる口調で、まっこうから上総介の疑いを晴らし、無実と言質まで取っていった。
小柄な童子だ。
数えでたったの六つだ。
それなのに、二つ年上の兄龍王丸よりも見るからに知的で、口調も所作も、大人顔負け……いや、比較する対象に困るほどに端正だった。
そのとき胸の内にあったのは、亡くした彦丸への憐憫と、恋しさだ。
双子なのだから似ていて当たり前だが、それでも、お前は彦丸だろうと問い詰めたくなった。
だがあの子は、上総介を父と呼ぶ。
まっすぐの澄んだ目で、父を返せと言っている。
じくり、と胸の奥が痛んだ。
死んだ我が子を取り戻したい、というこの感情は、己以外の者にとっては理不尽なものなのだろう。誰もそんな事を望まないし、良い結果に結びつかないだろうとわかってもいる。
たが、あれは我が子だ。彦丸の弟だ。
こぼれかけた言葉をぎりぎりのところで飲み込んだのは、じっとこちらを見ている御台と母上の視線を感じ取ったからだ。
彦丸の死について、疑惑がある。
だがそれを、妻である御台や実母にすらこぼせずにいる。
何故なら、その儚い命を刈り取ったのが、ほかならぬ彼女たちではないかと疑っていたからだ。
彦丸に対し、特別に目を掛けていた自覚はある。
初めは、乳さえ含まぬうちに母親を亡くし、ともに胎で育った兄弟も遠ざけられ、哀れな子だという思いがあったからだ。
いつしかそれが、親子の情にかわっていたのだろう。
あの子が死んだと聞かされた時に感じた、全身から力が抜けていくような絶望感が忘れられない。
思えば、病が篤くなり寝込みがちになったのもそのころからだ。
まっすぐな澄んだ眼差しがこちらを見ている。
今川家の当主となって、これほどあからさまに見つめられるのは初めてかもしれない。
心の奥底まで覗き込むような、不思議な眼差しだった。
脇息を握る手に力がこもった。
あれは己の子だ。彦丸の生まれ変わりだ。
違うとわかっているのに、そう言いたくてたまらない。
武田が攻めてきたという一報が入った時にも、一度目を伏せただけで動揺もなく再び視線を合わせてきた。
胆力のある子だ。
そしておそらく、この知らせはこの子あるいはその参謀が放った偽りの物だろう。
そう察することはできても、無視することはできない。
……なかなかやるではないか。
込み上げてきた誇らしさと、我が子を認める気持ちに水を差したのは、騒ぎに紛れて勝千代に切りつけてきた刺客の存在だ。
小さな身体が大人たちの間に沈んでいくのを見た瞬間、血の気が引いた。
死ぬのか。あの子も失ってしまうのか。
駿河遠江の守護と呼ばれ、この地では誰よりも権力を握っているはずなのに、たったひとつ、我が子の命を守ることもできないのか。
思わずその場を立ち上がり、制止する側付きたちを振り払って勝千代のもとに駆け寄った。
切り付けられたのは首。
おびただしくあふれる鮮血に絶望しそうになったが、よく見ればその血のほとんどが江坂のものだった。
その薄い瞼が揺れた時、安堵の息がこぼれたのは無意識だ。
近くで見る勝千代は、彦丸よりも小柄だった。
頬はこけ、手足は細い。
外見だけなら、兵庫介が「貧民の子」と言っていたのも、あながち的外れではないかもしれない。
だが、その瞼の下にある黒目がちの丸い目が、それらすべての印象を覆す。
この子は彦丸ではない。
間近で接し、真っ先に感じたのはその事実だ。
同時に、得難い美しい宝玉が、その小さな頭蓋に収まっているような感覚があった。
「お勝!」
上総介が、これまで聞いたこともないような声色で叫びながら駆け寄ってきた。
戦においては並ぶものなく、危惧されるほど武功を上げ続けている男だ。
その忠義を疑ったことはないが、皆が言うように武功を上げ過ぎているというのは事実。しばらく中央からは遠ざけていた。
「血が! 血がああああああっ!!」
そんな誰もが認める武人が、身もふたもなく表情を崩して号泣している。
ああそうか。
その時初めて気づいた。
彦丸を失った時、こうやって感情の赴くままに泣けばよかったのだ。
今さら後悔してもしかたがないことを思いながら、ぼんやりと上総介を見上げている勝千代に目を戻す。
青ざめた唇が震えるように動き、「ちちうえ」と声にならない言葉を刻む。
どきりと心の臓が大きく脈打った。
それが己の事ではないのが、ひどく胸を刺した。




