4-11
居並ぶ男たちをものともせず、目を怒らせているのは、ぼってりとした唇が特徴的な女性だ。この時代にしては背が高めで、体格がいい。
見るからに面倒そうな父に代わって、岡部の奥方に対しているのは細目の男。
しかし、彼女が睨んでいるのは上座にいる父だ。
そして勝千代は、岡部一朗太殿の隣に座って、その袴の端をぎゅっと握っている。
最初拒まれたから、時間がなかったからと、強制的にここに連れてきたのが良くなかった。
段蔵には「丁寧に」保護するようにと言うべきだったのだ。
事情を知ってか知らずか奥方は反抗的で、まるで敵でも見るような眼で父を睨んでいる。
「無理に勧めはしません。我らがお声がけをしました善意を汲んで頂ければ……」
「人質になさるおつもりでしょう!」
「……まあ、違うとは申せませんが」
「そのような卑劣が許されるはずはありません!」
「はあ」
細目の男はお手上げとばかりに視線を逸らせた。
「……どうされますか」
どうしてこっちを見るかな。
勝千代はちらりと、隣で身を固くしている一朗太少年を見上げた。
大勢の武装した大人に囲まれ、カチコチになっている彼は、勝千代が強くシンパシーを感じる雰囲気の持ち主だ。
この時代特有の逞しさに欠け、穏やかな気質で、太刀を持つより筆を持つのを好みそうな……普通に令和の時代にいそうな子供である。
こんな子を巻き込むのは可哀そうだ。
心底気の毒に思うが、だからといってどうすることもできない。
「では、お残りになられますか」
勝千代は、こてりと首を傾げながら言った。
「我々にも身を守る権利はあります。諾々と殺されるのを待つわけにはいきません」
目を真ん丸にしてこちらを凝視する奥方に、「あれ?」と思いながら言葉を続ける。
「残られるのであれば、奥御殿から離れておくことをお勧めします」
ぎゅうと少年の袴を握りながらそう言うと、こぶしの下の太ももがビクリと動く。
見上げたその表情に強い怯えを感じ取り、ようやく喋りすぎたことに気づいた。
そうだ、普通の三、四歳児はこんな風には話さない。
男ばかりの集団はともかくとして、子を持つ母なら余計に異様に感じるのだろう。
そっと、少年の袴から手を離した。
怖がらせてごめんなさい。
そう言いたかったが、さらにもっと藪蛇になりそうだったので素直に口を閉ざしておく。
不意に、父が立ち上がった。
一朗太少年がその場から飛び上がらんばかりに怯え、震えだす。
奥方の顔が真っ青になり、何かを言おうとハクハクと口を開閉させるが、言葉にならない。
ずんずんと床が揺れそうな重量感で、しかしあまり足音を立てない不思議な歩き方をして、父が近づいてきた。
部屋は複数の灯明がともされてはいるが、まだ夜明けは遠く、闇が深い。
身体の大きな父は、影が大きく膨らむことで余計に巨躯に見えており、下から見上げると巨人のようだった。
ぬっと太い腕が伸びてきて、隣から聞こえたのは「ひいいっ」と細い悲鳴。
むしろその悲鳴の方に驚いてしまった勝千代を、ひょいっと抱き上げたのは父だ。
「好きになされよ。我らはもう出ます故」
父はそう言って、勝千代を抱いたまま部屋を出ようと背中を向けた。
勝千代が二人を探してもらったのは、本丸に火をつけるのなら、どこかにいるであろう彼らを巻き添えにするのに気が引けたことと、途中で岡部殿らと出会ったときに牽制になると考えたからだ。
しかし、足手まといになることも事実なので、そんなに嫌だというなら置いていくしかないだろう。
そんな風に考えた、ちょうどその時。
ごごごごごご……
地鳴りのような低い音がした。
勝千代はとっさに父の頑強な首に縋りつき、何の音かと周囲を見回す。
開け放たれた襖の向こうには雪の積もった庭があり、さらにその奥にこの山城で最も背の高い望楼と呼ばれる建築物が見える。
煌々と明かりがともされたその建物の向こう側から、黒い何かが迫っていた。
「……撤収!」
ズキン、と両耳に激痛が走るほどの大音量で、父が叫んだ。
そのあとのことは、あまりにも目まぐるしくてよく覚えていない。
ただ、まだ外に出る支度ができていなかった勝千代にとって、冷凍庫に直接放り込まれ強烈な冷風を浴びせられたような過酷さだった。
視界は闇色で塗りつぶされていた。
それは、今が夜だという事と、視界に入る明かりがなくなったこと、途中で父の陣羽織を頭から被せられたのも理由のひとつだ。
時間の感覚があいまいで、どれぐらい経ったかわからない。
ようやく父の動きがゆっくりしたものになり、やがて止まった。
確認するように顔を覗き込まれ、目が合う。
周囲が良く見えないのは夜だからだ。
それでもはっきり父の顔が見えるのは、雪の照り返しがあるからだ。
「だいじないか?」
「……はい」
何が起こったのだろう。
あれほど喧騒に満ちていたのに、今では逆にシーンと静寂に包まれている。
ザクザクと雪を踏みしめる音がした。
「殿!」
一つ目の足音がしてすぐに、ふたつみっつと増えていく。
「被害は」
「わかりませんが、我らの方は間に合ったと思います」
細目の男の声だ。
その平常運転の口調に何故か安心して、ようやく腕の力を緩めて顔を上げた。
暗がりに見える周囲の情景は一変していた。
雪崩がすべてを飲み込んだのだと理解したのは、しばらく経ってからだった。




