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そうか、エノキ男が来るのか。
部屋に戻り、考える時間が出来て、勝千代は叔父の懐刀であるひょろりとした男の顔を思い浮かべていた。
大林への尋問を任せるために呼んだのだろう。志郎衛門叔父とどちらが厳しいのだろうと想像し、いやそういうのは無意味だと思いなおす。
壊れかけの身体なのに、あの強い目力。何としても生き抜くという気力は見習うべきものだ。
だが、尋問の対象としては手ごわいだろう。偽の情報でミスリードを誘うなど普通にやってきそうだし。
「勝千代様」
部屋から美しい中庭を見ながら考えていると、弥太郎に名前を呼ばれた。珍しい。
朝晩の薬湯時以外はいるかいないかわからないほど、存在感を埋没させているのに、こんな時刻に声をかけてくるとは。
他の側付きたちも同じように感じたらしく、ひとりだけ武家の装いではない弥太郎に視線が集中する。
「侵入者です」
その言葉に、真っ先に反応したのは谷だ。彼の手の中で、かちゃりと刀が鳴った。
中腰になった側付きたちに、弥太郎は軽く首を振る。
「ここではなく、地下牢です」
大林か!
当たり前だが、勝千代は部屋から出してもらえなかった。
更に警護の人数が増え、夜番の南らも駆けつけてくる。
程なくして、城中は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
目を閉じて、その気配に耳を澄ませる。
大林が逃げたのか。防ぐことができたのか。
報告がこないので、どちらに舵取りをして思考を展開させるべきかわからず、ただ黙って静かに時が過ぎるのを待つ。
今この時にも、忍び衆や兵士たちが命のやり取りをしているのかもしれない。
曳馬城周辺に敵軍はいなくとも、この城を守る忍び衆の層は薄く、兵士たちが寄せ集めなことには変わりない。
付け入る隙はおおいにあるのだ。
ぴくり、と谷が動いた。
同時に、周囲の男たちが畳の上に置いていた刀をさっと握る。
やがて勝千代にも聞き取れるほどの足音がして、誰かが奥までやってきたのが分かった。
「失礼いたします」
興津だ。
勝千代が頷くのを見て、三浦が閉ざしていた襖を開けるために立ち上がる。
襖の向こうには興津と、その配下である伊達男の伊達がいた。
早急に問いただしたいのをぐっと我慢する。
興津らはそのことを知らせるために来てくれたのだろうから、急かすべきではない。
興津はさっと室内の様子を見回してから、勝千代が座る上座のほうへ歩を進めた。
少し手前で足を止め、勝千代と向き合う形で胡坐をかいて座った。
「お騒がせ致しました。収束致しました」
「被害は」
「当方の負傷者は数人。いずれも軽傷です」
小さく頷いて先を促す。
「ですが……大林が瀕死の重傷です」
瀕死? 大林の逃走劇の始まりかと思っていたのだが。
「逃亡を図ったのでは?」
「逃亡できそうならその幇助を、無理なようなら命を取るよう命じられていたのではないでしょうか」
命じられていた……ね。大林が使っていた忍びたちも、もともとは他所の「誰か」の息が掛かっていたか、もともとその「誰か」の手の者だったのだろう。
「侵入者は、一見普通の武士の身なりをしておりました。ですが太刀筋や動きから忍びと思われます」
寒月様の屋敷の時と同じだ。連合軍だと顔見知りでなくとも不審に感じられにくい。
「兵士に紛れて侵入したのですね」
「端の服装の者もおりました」
侵入し放題だな。
顔を顰めた勝千代の内心を読み取り、興津も深刻な表情で頷く。
「今少し警備を厳重にせねばなりません。勝千代殿の御身にも手が迫る恐れがございます」
「こちらの事はお気になさらず。そういえば査察に行かれるのではありませんでしたか」
「いや、それどこでは」
「興津殿も御身の回りにお気を付けを」
大林の身柄が第一の目標だったのだろうが、そのほかで狙われるとすれば、ぶっちぎりで勝千代、次点で興津である。
興津の背後に控えている伊達に視線を向けると、無言で頷かれた。
「弥太郎。大林を診てきてくれないか」
「はい」
丁寧に一礼した弥太郎が立ち上がり、興津にも目礼をしてから部屋を出ていく。
その姿が見えなくなるまで見送って、興津がものすごく言いにくそうに口ごもった。
「……弥太郎殿も忍びだとか」
何が言いたいのかわかるが、そこを信じなければそもそも生き残れなかった。
「ええ、腕利きの」
勝千代はにこりと微笑み、頷いた。
「何度も命を救われました。信じるに足る者です」
「しかし」
「興津殿」
ほかならぬ興津も救われたじゃないか、とは口にはしない。
必要であれば味方を装うため、信頼を得るためにそういうこともするだろう。忍びとはそういうものだと言われてしまえば、否定はできない。
「人は、より大切なもののためになら裏切りもします」
そもそも勝千代とて、身内の命がかかっていれば、興津の首を取るという選択をする日も来るかもしれない。
「それは、農民であれ武士であれ忍びであれ同じことです」
そこまで追い詰められてしまえば、選べる道はふたつにひとつ。裏切りを選んだとしても、やむを得ないと思う。
そう、どんな身分の人間でも、裏切るときは裏切る。
そこに、忍びかそうでないかの差などない。
「もしあの者が裏切るとすれば、よほどの事情があるのでしょう。あきらめもつきます」
弥太郎ら忍び衆に敵対されてしまえば、勝千代に生き残るすべはない。
たとえ側付きや谷らが命がけで守ってくれたとしても、そうは持たないと思う。
「わたしにとって、信じるというのはこういうことです」
非力な勝千代は、忍び衆たちだけではなく、側付きや谷たちの献身があるからこそ無事でいられる。
そんな彼らに命を預けて、後悔はしない。
 





 
  
 