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何故か志郎衛門叔父は至極満足そうな顔をして出立していった。
入れ替わりで、明日にも白エノキこと田所兄が来るそうだ。
一瞬「うっ」と呻きそうになったのは内緒だ。癖が強い男だが、叔父が頼りにしているだけに信頼できるのは確かだ。
叔父の背中が見えなくなるまで見送って、心細さを誤魔化すようにブルリと震える。
さっと羽織を肩にかけられたが、それでも風の冷たさは遮れない。
志郎衛門叔父は無事奥平に追いつくだろうか。
勝千代を狙う者たちが叔父をも邪魔だと思わないだろうか。
「戻りましょう。冷えて参りました」
三浦がそっと穏やかな口調で言った。
いつも思うのだがこいつら、羽織もなくそれほどぶ厚そうにも見えない服装でよく風邪をひかないな。
あれか、たまに小学生で真冬でも半そで半ズボンで登校してくる子がいるのだが、それと同じくくりか。
勝千代はそんな事を考えながら頷いて、本丸方面に身体の向きを変える。
同時に、さっと視線を逸らされるのを感じた。
三浦と土井が、ぴたりと勝千代の左右を占める。
少し離れた位置には谷。
そのほかにも無数の視線を感じるが、その方向に目を向けると、一斉に視線はそらされる。
「……帰る」
「はっ」
大手門前では興津と井伊殿が見送ってくれていて、双子の叔父が二人に向って丁寧に頭を下げて礼を言っているのが見える。
勝千代は大手門よりさらに外、いくらか町人が戻って来た大通りまで見送りに出ていた。
ちなみに三河勢が攻めてきたときに逃げ遅れ捕まった者たちは、一か所に集められ、主に兵士たちの世話をする端の仕事を強いられていたようだ。
中には殺されてしまった者もいるが、皆殺しのような残虐なことは行われていなかった。
略奪や婦女子に対する暴行等もあったのかもしれないが、そういう話は勝千代の所には来ない。
見回してみると、町はかなり荒らされていて、方々無残に壊されている。
しかし早くも復興は始まっていて、威勢のいい掛け声があちらこちらから聞こえ、活気が戻りつつあった。
視線の多くは、復興に駆り出されている今川側の兵士たちからのものだ。
憎しみや憎悪のようなものではないが、心地よい視線でもない。
どうして童子がこのようなところに、という表情もなくはないが、多くは、まるで何か妙な者でも見るかのような視線だった。
「どうされましたか」
興津が普段通りの穏やかな口調で尋ねてくる。
勝千代はかぶりを振って、「戻りましょう」と促す。
じっとこちらを見ている井伊殿の表情も気になる。
何かを探るような、見定めるような、考え込むような。
あまりじろじろ見ないでほしいと思うのは、勝千代の勝手なのだろうか。
福島家の嫡男として、常に誰かに見られていることに大分慣れてきたと思っていたのだが。
「昼から関の修復の監修に行ってまいります」
「遠いのですか?」
「いやなに、すぐそこですよ」
たわいのない会話をしながら、興津はいつものように、勝千代の歩調に合わせてくれている。
つまりはものすごくゆっくりと、大手門から本丸に向かう坂道を皆で歩いていく。
先頭は興津と勝千代、その背後に叔父たちと井伊殿。
それぞれの側付きや側近はさらにその後から続く。
そう、皆が勝千代の小さな歩幅に合わせ、ぞろぞろと歩いているのだ。
……ものすごく居たたまれない。
目的地まで半分を切ったころ、ドテッと躓き転ぶような音がした。勝千代じゃないぞ。
振り返ると、勝千代だけではなく、ほとんどの者がその方向を見ていた。
真っ赤な顔で立ち上がったのは、ひょろりとした体格の久野だった。
手には荷物を持っていて、傍らには馬がいる。どこかに出かけるという風ではないから、どこかにある久野家の陣に戻るのだろう。
久野は皆に見られていることに気づいて更に赤面したが、勝千代と目が合ってギクリとした様子で立ち尽くした。
その手からぼとりと荷物が落ち、手綱を持った小者が慌てた様子でそれを拾い上げる。
勝千代はこてりと首を傾け、何故かひどくひきつった表情の久野を見つめた。
その痩せて飛び出た喉ぼとけが、ごくりと数回上下するのがはっきり見てとれる。
久野はおもむろにその場で頭を下げた。会釈などという軽いものではない。しっかりと深く、最敬礼並みに。
何事と、周囲からの視線を浴びても、頭を上げなかった。
「参りましょう」
興津に促され、はっと我に返る。
あれ、あのまま放置していいの?
物寂しい頭をずっと下げ続けている久野と、ニコニコ笑顔の興津とを交互に見る。
「ここは吹き曝しで寒う御座います」
いや、むしろ日差しが照ってぽかぽかしているけど。
背中を押され、進行方向に身体の向きを変えられる。
興津は頭を下げ続けている久野を放置し、そのまま立ち去る気らしい。
視界の片隅で、井伊殿が長く息を吐き出すのが見えた。
行列を離れ、久野に近づいてその肩に手を置いている。
なんだかよくわからないが、フォローしてくれているのだろう。
「日暮れまでには戻りますので、夕餉をご一緒にいかがでしょうか」
「……いいですね」
何事もなかったかのように話を続ける興津に、ためらいがちに相槌を打ったが、視線はずっと久野と井伊殿を追っていた。




