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「詳細な事情は控えさせていただきますが、年末から年明けにかけての事です。御長女がお亡くなりなられたのは、今月にはいってですね」
岡部家には毒について今のところ関わってこないが、勝千代の感覚だと同じ差し手の回しのような気がする。
勝千代の命を「ついで」に排除しようとする雰囲気が、共通している。
しばし茫然としていた大人たちの顔面に、徐々に怖気を振るうような色が浮かび、ややあって、久野がおずおずと口を開いた。
「……そういえば、岡部殿が務めていた城番を、新年から瀬名殿が務めると聞いた気が」
「いつの事ですか」
「え、まだ師走に入っていなかったかと」
勝千代はこてりと首を傾け、強張った表情の大人たちに追撃を加えた。
「おかしな話ですね。その頃はまだ岡部殿は御健在でしたよ。負傷どころか、何の落ち度もない忠義の武士を、年明け早々更迭ですか?」
ますます顔色を悪くした原・久野両氏が、ちらりと互いの顔を見合わせる。
「岡部殿は甲斐戦線に投入されることになったと噂では聞き申した」
「御屋形様の股肱の臣が? こんな真冬の時期に?」
原の勢いを無くした声にかぶせてそう問いかけると、「武勲を欲していると皆言うておった」と身体に見合わぬ細い声で答える。
勝千代はふるふると首を左右に振った。
「結果を見ればお判りでしょう。岡部家は元服したばかりの若い当主に代替わりしました。大きく力を削がれ、元に戻るまでにかなりの年数が必要でしょう」
そうか、あの城はもともと取り上げる気でいたのか。
そして己の派閥の者に渡したかった?
雪崩によりあれほど壊滅状態になるとは考えていなかったのかもしれない。
勝千代は注意深く二人の表情を伺いながら、そこに懐疑心と躊躇いが混じるのを待った。
そう時間はかからず、ふたりの表情に狼狽の色が濃く漂い始める。
「い、いや。岡部殿と我らとは何のかかわりもない」
久野の口ぶりは自身に言い聞かせるようだった。
原もまた、それに同意するように首を上下に振り、こわばった表情で井伊殿と勝千代とを交互に見ている。
「……今川館の陰湿なやり口だな」
井伊殿が、まるで謀ったかのようなタイミングでぽつりとこぼした。
「我らも散々底意地の悪い真似をされたではないか」
「いや! 今後は手を取り合って協力すると」
「聞こえの良い言葉で踊らされたな」
いったい遠江の国人領主たちは、今川館にこれまでどんな扱いを受けてきたのだろう。井伊殿の吐き捨てるような言葉に、両氏は見るからにそわそわし始める。
「私が申し上げたかったのは二つ。今後口封じに動く可能性が極めて高いので、しばらくは今川館には出向かれない方がいいという事」
勝千代は努めて平坦な口調を装いつつも、その実、ふたりが感情的になり反発してくるのを待っていた。
井伊殿がいるから暴力沙汰にまではならないと思う。
だがしかし、年齢を笠に着て言い負かそうとしてくる可能性は高い。
国人領主としてのプライドが、童子に言われっぱなしなど許さないだろうと踏んでいる。
「また何か指示される可能性がありますが、城攻めで負傷したとか、病で臥せっているとか、なんでもいいですが、できるだけ不自然ではないように装いつつ、関わらないようにされたほうがよい」
要するに穴倉に隠れていろと言われ、不安そうだった顔色が一気に赤くなった。
言い返されるかと待ったが、何もなかったので言葉を続ける。
「もう一つは、三河が曳馬攻めに使用した毒物と、まったく同じ希少毒をあなた方が所持していたことを、もっと深刻にお考えになった方が良いという御忠告です」
井伊殿の表情から、こちらの意図を察したのが分かる。
わざと煽ろうとしているのを咎めるような顔だが、彼に口出しされたら台無しである。
「毒を渡し囁いたその方は、まことに御味方ですか?」
故に若干の早口になり、若干どころではなく、言い方も冷淡なものになってしまった。
「少なくとも父は、あなた方が敵と通じていたのではないかと疑うでしょう」
さあ、果たして二人は「父」をどちらととるのだろう。
御屋形様? 福島正成?
ふっと唇に笑みが昇る。
「どちらを敵に回すとよりお困りか、よくお考え下さい」
今川館で陰謀を巡らせている某氏か。あるいは「勝千代の父」として二人が連想するどちらか。
気づけば室内は静まり返っていた。
感情的な爆発による内心の吐露を期待していたが、静かすぎる。
おや、と思いながら顔を上げると、青ざめ強張った表情の大人が三人。
ついでに土井と三浦は若干興奮したドヤ顔で胸を張っている。……何故。
少し考えて、彼らが何を想像したのか理解した。
確かに、二人の父のどちらかが敵に回ると考えるだけで、こんな顔色になるのもやむを得ない。
御屋形様は圧倒的な物量(武力)で。福島の父は圧倒的な武力(物理)で。
一度敵と認定した者へは容赦しないだろう。
いやいや、虎の威を借りて脅したかったわけではない。
本音が聞きたいのだ。
仕方がないので、最終手段として立ち上がる。
側付きたちが我に返り、腰を浮かせるが、勝千代は構わず下座に座る二人にずんずんと歩を詰め、手が届く距離で止まった。
四歳児の手が届く距離だから、至近距離だ。
パーソナルスペースに踏み込んだ、かなり無礼な行為にあたる。
とっさに仰け反った原に更に顔を近づけ、その首に扇子の先を付きつけ囁く。
「……日和見はおやめくださいね」
そっと扇子を持ち上げ、顎に引っかけ顔を上げさせた。
「食われてしまいますよ」
ここまですればさすがに激怒するだろう。
ほら、扇子の先がぶるぶると震えはじめたぞ。
だがしかし、望んだ結果には一向にならず、原も久野もそれ以上口を開くことなく、顔色も青いままだった。
うーん、解せぬ。




