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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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41-1

 考えることが多すぎる。

 かといって、やらなければならない仕事などはない。

 だって、お子様だもの。

 ……現実逃避はそれぐらいにして、時間だけはたっぷりある。使えるものが頭だけなら、せいぜいそれを有効利用するべきだ。

 だけど、お子様だもの。

 身体が子供なので、夜更かしは堪える。


 ぐるぐると思索を巡らせ、なかなか寝付けず、翌朝目を覚ましたのはすでにもう昼前だった。

誰も何も言わないよ。もちろん。一応は主人格だし。

 唯一叱ってきそうな叔父からさえ、昨夜のことがあるからだろう、その度が過ぎた寝坊にも苦情は言われなかった。

 大林に会いに行ったことは気づかれていないようだ。

 大林本人は何か言うだろうか。

 ……いや、あの男がちらりとも余計な事を漏らすとは思えない。

 話してみた第一印象は、絶対に逃げ出す気だろうという確信と、その生への執着心だ。

 思考のすべてを、ただそれだけにつぎ込んでいるのではないか。

 岩で囲まれた冷たい地下牢の一室で、おそらくはまんじりもせず考え続けているのだろう。


 もちろん、逃すつもりはない。最大限手を尽くしてそう務める。

 だがそれでも、予感はするのだ。

 今この時、あの男を殺しておかなければ後悔するだろう……と。

 だがしかし、重要な証人故に殺せない。……なるほど、これも大林の策略のうちか。 


「いかがでございましたか」

 寝起きの薬湯をチビチビ飲みながら、いつもの穏やかな表情の弥太郎を見返す。

夕べは部屋に戻るなり寝床に押し込まれ、話す時間がなかったのだ。

「目を離すな」

「ええ。それはもう」

 だが、どれほど厳重に見張っていても、そのうち逃げられてしまいそうな気がするのだ。

 弥太郎の危惧は理解した。

 あとは……そうだな。

「目が合うだけで食われそうだと思った」

「それはいけませんね」

「あらゆる意味で危険な男だ」

 勝千代は湯呑みの中に残った薬湯を飲み干し、弥太郎に返した。

 弥太郎は、ちらりと中身がない事を確認してから頷いて受け取り、膝横に置いた盆の上に置く。


「どうされますか」

「殺せというのだろう」

「ええ。殺せないと仰るのもわかっています」

「ならば、見張りを強化するよりほかはない。叔父上や興津にはわたしの方から言うておく。そのほうは忍び衆に注意を促せ」

 すでに太陽は高いが、運ばれてきた朝餉にはホカホカと湯気が立っていた。

 わざわざ勝千代のために米を焚いてくれたのだろうか。

 いつものように土井が運んできて、弥太郎が毒見をする。

 通常であればそれから更に時間をおいて、毒見に異変がないことを確認してからの食事となる。せっかくの温かいご飯が覚めてしまうのは嫌だが、命には代えられない。

 弥太郎の場合はその待機の時間が極短だそうで、かろうじて白ご飯に温もりが残っているうちにありつけた。


「松平のほうは」

 幸せに米の甘みを噛みしめていたのに、弥太郎の一言で嫌な事を思い出してしまった。

 勝千代の表情で察しは着くだろうに。

 食事の時間ぐらいゆっくりしたいと思いながらも、のんびり昼前まで寝ていたのだから仕方がないとため息を飲み込む。

「何か少しでも尻尾を見せてくれれば、そこからたどることもできるが……何かあるか?」

 ないからこれまで誰も気にせずにいたのだ。

「例の鏡如が所持していたという密書の筆跡はいかがでしょう」

「紙に書いた字など、いくらでも真似できる」

 榊原の件も、おそらくつながりなど探しても出て来はしないのだろう。


 密書、と聞いてもうひとつ思い出してしまった。

 奥平へ届いた結び文の件だ。

 庶子兄が福島の姓を名乗っているというのもいかにも怪し気に感じるのだが、側付きや叔父たちは「さもありなん」と言いたげな表情をするだけだ。

 庶子兄がそういうタイプだからなのだろうが、ではその本人はどこにいるのだと問いたい。

 曳馬城にいると佐吉は言っていたが、まだ誰も確認していないのではないか。

 一度城主の飯尾殿に聞いてみる必要がある。


「ご予定は決まりましたか」

 急にもりもりと白ご飯を食べ始めた勝千代に、一見世間話のような顔をして弥太郎が問う。

「飯尾殿に会う」

「それはご無理かと」 

 即座に駄目出しをされた気がして顔を顰めるが、この男の「無理」は事実上不可能だという意味だ。それでなければ、「難しい」というだろう。

 まさか、寝過ごしている間に自裁したとか、そういう重大事案が起こったのか?

「今朝がたより奥平さまに連れられて、駿府のほうへと向かわれました」

 とっさに想像したのと全く違う答えが返ってきて、更に眉間に力が入る。

 おそらくは申し開きなどをするためだろうが……地下牢から出された直後に、移動は可能なものなのか?

 奥平が無理にでも連行したのか、そもそもそれほどダメージを負っていなかったのか。

 先程叔父に挨拶した時にも、そんな話は出なかった。

 志郎衛門叔父にとっては大林の尋問こそが最大関心事で、飯尾殿のことはそれほど重要視していないのかもしれないが。


 嫌な予感がする。

 勝千代は、ちらりと開け放たれた襖の向こうの外を見た。

 日は既に高く、弥太郎が「朝」というなら出立はもう何時間も前なのだろう。

「興津は何と」

「いい顔はなさいませんでしたが、あの方は御多忙ですから」

 想像するだけでも、戦の後始末は多岐に渡る。

 戦勝者としてというよりも、軍の総大将として、仕事が山積みなのだろう。

「井伊殿は」

「……夕べかなりお過ごしになられたようで」

 ああ、あの泥酔ぶりだと勝千代と似た勝負の遅起きだったのかもしれない。


つまり、誰も強く引き留める間もなく、まだ話を聞く必要がある人間を連れ出されてしまったのか。

駿府に向かうと言っているが、本当だろうか。途中で逃亡する恐れがあるのではないか。

だとすれば……奥平は共犯か?


「一応、後は追わせております」

 はっとして顔を上げると、弥太郎は頷き返してきた。

「とはいえ、人員不足故に手が足りませぬ」

「何人で追ったのだ」

「一人に御座います」

 それでは、横槍が入れば逃げられてしまうだろう。何より、その一人の身が危険だ。

「後三人ほど向かわせろ」

 弥太郎はきっぱりと首を振った。

「我らの責務は勝千代様をお守りすること。それでこちらが手薄になれば、本末転倒にございます」

 勝千代は思わず目頭を揉んだ。

 涙が滲んだ為ではもちろんなく、人員を増やそうと前にも考えたのに、行動に移せていない不手際が身につまされたのだ。


「……わかった。逢坂の早駆けが得意な何人かに追わせよう。どの道を通ったかなどはわかるのだろう?」

「印は残っていると思われます」

 つまり、まだ伝達などは戻ってきていないということだ。

 まあ、ひとりで追っているのならそうなるか。

 また眉を顰めそうになって、さっと眉間に指を滑らせる。

 いかんな。

 このままだと志郎衛門叔父のように、眉間にくっきりと消えない皺が出来てしまう。

 ……たった四歳からそんな皺ができてしまうのは嫌だ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 勝千代君、きっと「まるでお父上のようですね」は言ってもらえなくても、いずれは「叔父の志郎衛門殿に似てきましたね」なら目がありそう。 (一応)文官で(一応)頭脳労働職だから、(兄弟比で)武闘…
[一言] 逃げれないように足の腱でもきればいいのに
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