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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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40-7

「それでは」

 弥三郎殿はあっさりそう言って、何事もなかったかのように去って行った。

 その後ろ姿に酔いの色はなく、この件が相当に気に掛かって酒どころではなかったのが分かる。

 肩の荷が下りてさぞかしすがすがしい気持ちなのだろう。暗がりに消えて行く姿はスキップしそうなほど軽い足取りだった。

 ……四歳児に重い荷物を背負わせてすっきりするのもどうかと思うが。


「……勝ったのか、勝たせてもらったのか」

 パチパチと燃える篝火を再び見上げて、ひとり呟く。

 もしすべてが誰かの思惑で動いているなら、今川がここで牧野を押し返し曳馬を奪還するのは予定調和なのだろう。

 こちらの完勝になるところまで予測したかはわからない。

 いや、最低でも引き分けで、国人領主たちの勢力を多少なりと削げるという思惑はあっただろう。

「……ああ、そうか」

 松平も同じなのだ。

 家中がごたついているので、そのさなかに攻め込まれないように手を打った。

 その間に、敵勢力が互いに食い合ってくれれば儲けもの……そういう考えだったのかもしれない。

 例えば勝千代が松平の立場だとして、おそらくは似たようなことを考える。

 もちろん、井戸に毒を投げ込むような真似はしないが、多少なりと敵方を引っ掻き回す手立てを探すだろう。

 ああ……だとすれば、密書の松平の署名は、真実本人が書いたものなのか。


「……はぁ」

 勝千代は肩を落としてため息をついた。

 なんとなく、してやられた感がある。

 目の前にあったヒントに気づかず見過ごしていたような。

「そうか。松平か」

 お互いに御家の命運が掛かっている。

 思惑が複雑に絡みあい、死力を尽くした謀略戦になるのは当たり前だ。

 こういうものは、卑怯よと悔しがらせた方が勝ち。騙されるのが負けだ。


 勝千代からの書簡を見てどう思っただろう。

 気づいていないと安堵した? 浅知恵よと笑われたかもしれない。

 まあ、最悪の事態は避けることができたと思う。

 勝千代自身の首の話ではなく、遠江の国人領主たちの勢力を削ぐ羽目に陥らずに済んだ。

 三河のほうは牧野が大きく削られた。復活できるか微妙なところだ。

 おそらくは遠からず、今川の動き次第では西三河の諸氏が切り取りに行くだろう。

 ……これも、松平の白星になるのか。


「冷えて参りました。戻りましょう」

 南が声をかけてくる。

 ずいぶん長い間考え込んでしまった。

 身体は冷え切り、皮膚に触れる布が氷のように冷たい。

「そうだな」

 勝千代はぶるりと一度身震いしてから、頷いた。



「ずいぶんと掛かりましたね」

 部屋に戻ると、出かけた時と全く同じ位置に弥太郎が座っている。

 何があったか知っているだろうに、これぞ「知らぬ顔」。ため息をついた勝千代を不思議そうに見返し、火鉢の炭をつついている。

「興津様から頂いた茶葉がありますよ。お入れしますか?」

 丁度このタイミングに合わせたように、鉄瓶から蒸気が上がり始める。

 珍しい。薬湯じゃないのか。

 ……いやいや、毎度苦い薬湯を飲まされる方がおかしいんだからな。

「眠れなくなりそうだから、やめておく」

 小さな欠伸がこぼれる。

 夜更かしに慣れた現代人としての意識があるにせよ、身体は四歳児。睡眠は成長に欠かせないものだ。

「明日起きた時にもらうよ」

 おそらくは、いつもと同じ薬湯が出てくるんだろうな。

 そんな事を考えながら、こっくりと頭が垂れてくる。

「お休みになられるのですか?」

 そりゃ寝るよ。子供だし。

「大林に会いに行かずともよろしいので」

 え、それってどういう……

「本人は証言を済ませた上は、潔く浮世を去ると申しておりますが」

 ぱちりと瞼が開いた。

 眠気はどこかへ消えてしまった。

 

「ねぇ」

「はい」

「数え六つの童子に何をさせたいの」

 もちろん、証人を死なせるわけにはいかない。

 自死する恐れがあるなら、止めようよ。間違ってもそれ、子供の仕事じゃないでしょう。

 呆れた勝千代の表情を見て、弥太郎は同意するように頷いた。

「まだ秘していることがあるように感じます」

「叔父上の尋問では、すべて白状していないってこと?」

「尋ねられたことには答えるのですが」

 つまり、質問されていない事には答えないということか。

「叔父上なら細かく詰めて聞いたと思うけど」

「ええ、それはもう」

 それでもなお、弥太郎は勝千代を大林に会わせたいらしい。

 この男がそれほど言い張るのも珍しい。


「……何がある?」

「お会いになればわかります」

「それは、こんな深夜に出向かねば聞けない話なのか?」

「人は生きたいと思えば何としても生き、死にたいと思えば何としても死にます」

 よくわからないが、口に布でも突っ込んで、縄で縛っておけばいいんじゃないかな。

 そう言い返そうとして、ふと思い出したのは朝比奈殿の事だ。

 弥三郎殿ではなく、年の近いその甥の方。

 死に場所を求めて、すでに心が死んだようだった姿が脳裏に過る。


「わかった」

 勝千代がそう言うと、南たちは感心しないという表情を浮かべた。

 それはそうだ。四歳児が夜更かししすぎだ。

 だが、弥太郎にここまで言われたら気になるじゃないか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 周りの大人たちが、まだ幼い勝千代には見せたくない、聞かせたくないと諸々隠したりする中、割と弥太郎はお子様扱いしないところが結構好きです。 弱い子扱いはしててても、ちゃんと真正面から向き合っ…
[良い点] めちゃくちゃ面白くて大好きです! 現代日本の倫理観が残ってる主人公が戦国時代の残酷さにギャップを覚える描写大好きなので助かります!この甘さが許されるくらい有能に育ってほしいです。実績と実力…
[気になる点] 今章具沢山で何かお腹いっぱいになってきたwアイディアが溢れてきて詰め込みたくなるのも分かる気はします。ただ今回みたいな頭脳戦は思考内容やら心理描写が多くなりがちなので、映画でも小説でも…
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