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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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40-6

「あいや、不審に思われるのも無理はない」

 弥三郎殿はそう言って、きょろりと視線を泳がせてから、おもむろにガバリと頭を下げた。

「この度はまことに、まことにお世話になり申した」

 いや、礼ならすでに受け取っている。かなり丁寧に頭を下げられた記憶もある。

「他ではあまり言うておらぬのですが、実際に餓死者が幾人か出るほどの事態でした。あと一日、勝千代殿からの書簡が届かねば、数百単位で飢え死にしていたでしょう」

「その者たちには間に合わなかったのですね」

 兵糧断ちというのは、想像以上に悲惨な有様になってしまうようだ。いくら武勇に優れていても、たった数日食わなかっただけであっけなく死んでしまう。

 搦手も搦手だが、確かに効果的な戦法だ。


「数日迷いました。その迷いが彼らを死なせてしまった」

 福島家の嫡男だといっても、たったの四歳。どういう行動をとるべきか判断できずにいた。

 その数日の迷いが、取り返しのつかない事になった者たちがいる。

「それは違いますよ」

 弥三郎殿はそう言って、ふっと気が抜けるような笑みを浮かべた。

「兵糧を奪ったのは勝千代殿ではない。我らを飢えさせたのは牧野と……」

 言葉は途中で途切れたが、続きは彼の表情が雄弁に語っていた。

 歪んだ唇で笑みをこぼし、首を振り、弥三郎殿は更に続ける。

「もう一度きちんと礼を申し上げておきたかった」

「いいえ。あながち私も無関係とは言えないようですから」


 兵糧の対価は、勝千代の首だった。遠江に攻め込む条件のひとつになっていたのだ。

 あえて自らの領土に攻め込ませる。そんな、道理もなにもないやり口は、謀略を通り越して暴挙としか言えない。

 しかも餌は兵糧? あと遠江に所領を与えるとでも言われたか?


「その事なのですが」

 弥三郎殿は何かを言いあぐねて再度口ごもり、もう一度ちらりと周囲を見回した。

「……松平の動きが気になります。」

「ですが、西三河は関わってきませんでした」

 あえて協力を要請してみたが、動きはなかった。

 牧野家が彼らを陥れ、西三河が攻め込んできたと思わせていると告げても反応はなし。

 敵対しては来ないが、合力する気もなさそうだ。

 むしろ、榊原ら工作員を潜入させたのは松平なのではないだろうか。……いやこれはただ単に、徳川四天王の記憶からの連想なので根拠もなにもないが。

「はっきりした形で、証拠のようなものはないのです」

 弥三郎殿は首の後ろを掻き、ひょろりと細長い身体を折るようにして、内緒話をするように顔を寄せてきた。

 勝千代は、たちまち警戒する南の腕に手を置く。

 味方なのだから危険ではない……というのは、良く知らない相手に対して警戒を緩める理由にはならない。

 だが、弥三郎殿がこっそりと教えようとしている情報は、逃してはならないと本能的に感じていた。

 弥三郎殿は前線指揮官だ。後方にいてはわからない空気というか、感覚的なものがきっとある。


「申し訳ありません。続けてください」

 南の警戒に気づき、再び口ごもってしまった弥三郎殿に、同じく内緒話をするように小声で返す。

 きっと重要な事だとは思うが、表立っては言えない類の話だ。

「我々が砦でにらみ合っていたのは、西三河軍です。とはいえ、同盟を組むほど強固なものではなく、それぞれが角を突き合わせて威嚇しあっているような感じで」

「東三河は今川に合力して砦を守っていたのでしょう? 東西三河がこちらに知られぬよう和解したというようなことは」

「あ、いえ。そういう大きな話ではないのです」

 弥三郎殿は首を大きく左右に振ると同時に、手もパタパタと振った。

「西三河の代表勢力といえば松平です。実際に我々が戦いになったのは松平軍が最も多い。現当主がなかなかの武闘派で、いい年をしてまだ現役で戦働きをしているのですが……その嫡男がちょっと問題がある男で」

 想像していたのと少し話の流れが違うな。

「槍を持って戦う前に、逃げ出してしまう程の臆病者。己は文化人故に戦働きには向かぬと開き直り、敵方に伝わるほどの盛大な親子喧嘩を」

「……親子喧嘩」

「廃嫡するのしないので揉めていましたので、我らは砦に引き返しました」


 敵の目前で親子喧嘩?

 松平に対するイメージがますますよくわからないものになっていく。

「兵糧が滞り始めたのはそのあと半月後あたりからで、これまでは特に関係しているとも思わなかったのですが……」

 いや、関係ないだろう。……ないよな?

「ちらりと風の噂で、松平家で内紛が起こり、当主と嫡男が対立、嫡男は廃嫡の上幽閉されたと聞きました」

 勝千代ははっと息を飲んだ。

 目を大きく見開いて、なんとか感覚的なものをつたえようとする弥三郎殿と視線を合わせる。

「御家騒動ですか?」

「ええ。けっこう大掛かりなものになったようです」

「もし兵糧の件がなければ、朝比奈は松平に攻め込んでいましたか?」

「もちろんです。好機ですよ」


 弥三郎殿は、伝わったと安堵の表情で頷いた。

 要するに、タイミングよく松平家で御家がひっくり返るほどの内紛が起き、もしかするとそれが一連の出来事に関係しているのではないか……と感じたという事だろう。

 御家騒動の間に攻め込まれないよう、あえて朝比奈の目を松平から逸らせた? 

 確かに、証拠もないのにそんな事を言えば、ただの言い掛かりにしかならない。

 しかも興津らの中で、牧野と今川の謀臣が結託して遠江国人衆を討とうとしたのだという事で話がまとまりつつあったので、なかなか言い出せなかったのも理解できる。


 なんとなくしっくりこなかった部分が、不意に、落ち着きどころを見つけたような感じがした。

 何故そう感じたのか、明確な答えはない。

 ただ、正しいパズルのピースを見つけた時のような……口で表現するのは難しいが、ストンと心が定まった感じがした。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[良い点] 弥三郎さん、まともないい人っぽい。 ほんとに「頼りになるご親族」でよかったです。 ダークサイドに落っこちた当主を、精神的に支えてあげて… 黄泉路からダークサイドに寄せた張本人は、手綱を放…
[良い点] 10話で一度感想を書きましたが、最新話まで読み終えて、やっぱり面白い。文章力も抜きんでていると思います。おせじやヨイショではなく。 [気になる点] 史実と同線を行くのか、それとも変わってい…
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