4-10
父以外の、薬を飲まされた者たちはまだ眠ったままだ。
室内に戻り、ドシンと音を立てて座り込んだところを見ると、父も見た目ほど平常ではないのだろう。
「白湯をお持ちしましょう。水分を多くとれば、その分早く薬も流れます」
細目の男の言葉に、軽く手だけを振って、父はもう一度勝千代の頭を撫でた。
「すまんなぁ、そなたを危うい目に遭わすつもりはなかったのだ」
「わたしは大丈夫です。怪我もありません」
「だが、恐ろしい思いをしただろう?」
「はい」とも「いいえ」とも答えられなかった。
実際、命の際を垣間見る体験が恐ろしくないわけがない。
しかし、喉元を過ぎたその恐怖よりも、あんなにも強そうに見えた父の手が細かく震えていることのほうが気がかりだった。
何か変な薬だったんじゃないか。父の身を蝕む良くないものだったのではないか。
別の意味での恐怖と不安で、胸がいっぱいになる。
側付きに身なりを整えてもらっている父の側で、己の顔よりも大きなその手をじっと見つめる。
震えはそれほど大きくなく、次第に収まっているようにも見えるが、勝千代の凝視に気づき懐に隠されてしまった。
「このまま何もせずにいては、囲まれてしまいます」
「皆が目を覚ますまではここを動けん。最悪を考えれば、そなただけでも先に……」
「いいえ!」
勝千代はぎゅっと、父の袖を掴んだ。
「何か手立てを考えましょう」
「手だてなぁ」
この曲輪から外に出る手段など、岡部のほうがよく知っているだろう。
今はまだ城中が混乱しているので手薄かもしれないが、時間がたてばたつほど対策は練られてしまう。
サンカ衆は流浪民の集団だということだから、おそらくはそれほどの数はおらず、装備も貧弱だろう。本来城とは攻めるに難く守るに易い。素人がどれほど集まろうが、そう簡単に落とせはしないのだ。
今はまだ、攻勢が弱まった気配はしないが、あとどれぐらい時間が残されているか……
遠くで、わあわあと叫ぶ男たちの声が聞こえる。
大きなものを壊そうとしているのか、ドーンドーンと破壊音もする。
火が出ているのだろう、湿った木が燃える燻ぶった臭い。
バラバラと何かが崩れ落ちる音。
時折、誰かの悲鳴も聞こえてくる。
ああ、ここは戦乱の世なのだ。
勝千代は改めて、背筋が凍るような怖れを感じていた。
「……サンカ衆とは、夜盗のような者たちなのですよね」
「まあそうだな」
「どれぐらい時間を稼いでくれると思いますか」
父が言うように、眠り込んでいる男たちに目を覚ましてもらわなければ、どうにもならない。ただでさえ寡兵なのだ、立てこもるにせよ、脱出するにせよ、ひとりでも多くの戦力が必要だ。
「村や小規模の町を襲う話はよく聞くが……わからんな」
「それはつまり、本来は城を襲うような連中ではない、ということですか?」
「初めて聞く話だ」
ものすごく嫌な感じがする。
もしかすると、サンカ衆ではないのかもしれない。いや、サンカ衆だったとしても、武器や補給などの援助を受けて、この城に攻め込んだのかもしれない。
「父上」
勝千代同様、眉間にしわを寄せ考えこんでいた父の袖を、ふたたびクイクイと引いた。
「誰かが、城もろとも父上を葬り去ろうとしている?」
周囲がぎょっとしたのがわかった。
父も目を丸くして、勝千代を見下ろしている。
バキバキバキッ!と耳にやさしくない音とともに、ズシン、と尻が揺れるほどの地響きがした。
見なくてもわかる。どこかで大きな建物が倒壊したのだろう。
幸いにも少し遠いが、それは安心材料にはならない。
「段蔵」
これまでは視界の隅にもいなかった男が、勝千代の呼びかけに反応した。
「どこかに岡部殿の奥方とご子息がいると思うのだけれど、保護してきて」
地味な下級武士の恰好をした段蔵は、それほど離れていない場所にずっといたらしい。
気配だけで死角から出てくる、という器用な真似をして、軽く頭を下げてから立ち上がる。
「弥太郎」
「はい」
「多少強引でもいいから、皆を起こせる?」
「気付け薬がありますが……」
「うん、お願い」
弥太郎がそれを最初に使わなかった理由はすぐにわかった。
彼が部屋の隅に置いていた薬箱から取り出したのは、油紙に包まれた薬らしきもの。
その包みを開けると、かなり離れているのに強烈な刺激臭が鼻を突く。
忍びが使うには臭いが強すぎるように思うし、そもそもそんなものを嗅がされたら、しばらく鼻が利かなくなりそうだ。
起きている者は例外なく仰け反り、眠っている者も顔をしかめるほどの危険物を持って、弥太郎が男たちの間を回り始める。
「父上」
あっけにとられた表情で弥太郎を見ていた父が、はっとしたように勝千代を見下ろした。
「本丸を燃やしてしまったら、あとで父上が叱られますか?」
「燃やす? 火を放つのか?」
「今、下の曲輪から火が出ています。本丸まで炎上してしまえば、大混乱です」
つまり、それに乗じて逃げましょう、と提案しているのだ。
「ふむ」
父が顎髭に手を当てて思案した。
それほど時間を置かず、もう一度勝千代をじっと見てから、「よかろう」と頷く。
「その前に装備を整えねばならんな。そなたはここで火鉢にでもあたっておれ」
すくっと立ち上がった父は、首が痛くなるほど大きい。
頼もしいその巌のような体躯を見上げ、「はい」と素直に返事をして。
ちょうど目線の高さにある岩石のようなこぶしが、震えていないことに安堵した。




