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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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40-3

 バタン、と大きな音がして目が覚めた。

 枕が変わったら眠れないなどという殊勝な気質ではないが、もともとそれほど眠りが深いほうではない。

 勝千代は曳馬城の客間のもっとも奥まった部分、おそらく城主がかつて休んでいたであろう部屋を与えられ、そこで一晩を過ごすことになった。

 比較的保温性が高い作りなのか、それほど寒さは感じないものの、やはり昼間に見た凄惨な戦場が目に焼き付いて離れず、熟睡とは程遠い状態だった。

 故に、その物音にすぐに気づいた。

 不審な物音に反応するはずの南たちは動かず、天井裏にいるのだろう影供たちも気配を潜めている。

 つまり、危険なものではない。


 そういう結論に達し、跳ね起きようとしていた身体から力を抜く。

「……!」

 次いで聞こえてきた怒声に、閉じかけていた瞼を再びパチリと開いた。

 井伊殿の声だ。

 今日は興津殿と軽く飲むと言っていたが、喧嘩でもしているのだろうか。

 深夜なので、その声はやけにはっきりと、耳を押し当てた寝間を伝って聞こえてきた。

「あり得ぬ!」

「だが……」

 対するのは興津の声だ。

 酒の席の議論などという気楽な雰囲気ではない。


「夜中に騒がしいですね」

 まったく気配もなかった闇の中から、弥太郎の声が聞こえてきた。

「気疲れはゆっくり眠るのが最もよい対処法なのですが」

 戦場という地獄を見た衝撃を「気疲れ」と言ってのける男は、勝千代が念入りに隠していた弱さをあっさり見抜き、優しくない口調で揶揄してくる。

 たしかに、この戦は自身が描いた絵図面だ。その地獄に衝撃を受けるなど許されることではない。

 勝千代はゆっくりと体を起こし、苦笑した。

「手厳しいな」

「これぐらいの事で折れて頂いては困ります」

「折れはしない」

 ずっと根強く、自己嫌悪に苛まれはするだろうが。

「だが、戦は嫌いだ」

「そうですか」

 弥太郎はなんでもない風に頷いて、まだ延々と聞こえている大人ふたりの怒鳴り声に小さく息を吐く。

「筒抜けですね」

 興津や井伊殿にどれだけの自覚があるのかわからないが、同じ建物内には護衛のための兵士たちが大勢いる。

 彼らは夜に眠っているわけではなく、この時間を主に活動するものも多い。

 つまりは、ふたりが大声で言い合いになっている事情が、周囲に筒抜けになっている、ということだ。

 もちろんその中には、敵対勢力が忍ばせたものもいるだろう。

 そういう連中に、無作為に情報をばらまいている状態なのだ。


「奥平は」

「真剣に耳を澄ませておりますよ」

「だろうね」

 奥平の陣代を務めていた榊原は、本隊の到着早々姿を消したという。正確に言うと、その時にはすでに奥平によって罷免され、権限を剥奪されていた。

 なんでも前日の夜に井伊殿の部隊を襲撃しようとしたらしく、警戒していた井伊殿ご本人と、ほかならぬ奥平によって捕縛された。

 こればかりは、あらかじめ怪しいと目を光らせていたのが功を奏した。

 何も起こらないうちに止めることができたのは僥倖。

 曳馬城前に陣を張っているのは雑多な連合軍なので、内側から騒動が起きれば戦意はがた落ち、疑心暗鬼により壊滅する可能性もあった。

 榊原が陣代として指揮権を保持していたのは、奥平率いる今川の軍なのだ。最悪の場合、今川対遠江国人領主という目も当てられない状況になっていたかもしれない。


 榊原は事が露見したとわかるとすぐに投降し、素直に取り調べを受けていた。

 だがタイミングが悪い。今にも本隊が到着し、曳馬城攻めが始まる直前だった。

 井伊殿によると、かなり厳重に拘束していたにもかかわらず、本隊が到着する前に逃亡されてしまったらしい。

 しかも、同時に数十もの奥平配下の武士たちがいなくなったそうだ。

 それだけの人間が工作部隊として潜入していたという事実が、なんとも恐ろしい。


 なんにせよ、気づけて良かった。

 奥平は、裏切り者を重用していた事実を挽回しようと必死だが、それがこちらの情報を詳細に収集する、というのはどうなのだろう。

 奥平を送り込んできているのは、間違いなく井伊殿を警戒している勢力だ。

 あの男が必死に耳を澄ませて聞きかじった情報は、逐一その「誰か」に送られるのだろう。


 ……大丈夫かな。

 できるだけ情報はコントロールしておきたいのだが。

 再びドスン、と重いものがぶつかるような音がした。

 同時に、言い争いがエスカレートした、ほぼ怒声といってもいい口論。

 こんな夜中に何をしているのだ。


 勝千代はため息をつきながら、夜具をめくった。

 途端に冷えた空気が布越しに入りこんできて、ぶるりと身震いする。

「止めてくる」

「その方がよろしいかと」

 弥太郎の淡々とした口調に、なにやら含むものを感じて、見えはしないが声がする方向に顔を向ける。

「なんだ? まだ何かあるのか?」

「お二人が揉めているのは、勝千代様のことです」

「……は?」

「どうやら今川側の条件が、勝千代様の首だったようで」

 しばらく思案し、「ああ、牧野が兵糧を受け取った見返りか」と理解する。

 理解したはいいものの、さっぱりわからないのは変わらない。

 何故、たった四歳の子供の首が条件なのだ?

「本来、高天神城まで攻め込む予定だったそうです」

「……まさかと思うが、東三河と遠江の国人領主たちを戦わせるつもりだったのか?」

「そのついでに、邪魔で邪魔でしかたがない勝千代様を処分してしまえば、一石二鳥だと考えたのでは」

 二回も言わなくてもいいだろう。 ……邪魔で悪かったな!

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちゃんと取り調べの成果は出てるようで何よりですね。ただ出てきた内容が良くないので駿府根絶やしのついでに今川の係累は勝千代ちゃん以外族滅させましょう。 [一言] 幼子の眠りを妨げるのは良くあ…
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