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父は夜着の着流し一枚、防具どころか、この寒空にまともに服も着込んでいない。
槍を握る腕は袖がまくり上がり、踏ん張る足もまた脛をさらした素足である。
……前から見てないからわからないけれど、帯も緩いから下帯までむき出しかもしれない。
しかしそんな状態でも、勝千代の前で仁王立ちになる姿は圧倒的で、この場にいる誰よりも存在感があった。
大きい人だとは思っていた。
重そうな槍を振り上げ構えるその姿は、まるでアニメかゲームの強キャラのように、言葉では言い表せない強烈なオーラのようなものを放っていた。
槍を握る腕はパンプアップし、血管が浮いている。
ギリギリ見える背中から首筋の筋肉も、大きく膨らんでいる。
かがり火を背景に、獣のような声を上げ敵を威嚇する様は、もはや人間の範疇にいないようにすら感じられた。
これは……怖い。
岡部が眠り薬という手段に出た理由も、わかる気がする。
「ま、待たれよ福島殿!」
案の定、岡部は太刀の柄から手を離し、両手をこちらに向けて宥めようとする。
たとえ着流し姿だとしても、力で父と勝負して勝てる気がしないのだろう。
「黙れぇぇ! 裏切者がっ!」
しかし勝千代は気づいてしまった。
その、腕に。
足に。
着物から出ている部分にある、無数の古傷に。
父は不死身でも無敵でもない。
薬を盛られたら眠ってしまうし、油断したら怪我もする。
どんなに強そうに見えたとしても、数の暴力には勝てないだろう。
今岡部の背後にいるのは、数名の武士たちだ。
しかし城中には、この男の配下がまだ何百といる。
そのすべてと敵対して、はたして無傷でいられるか?
父は今目覚めたばかりだ。体調は万全とは言えないだろう。武装もしていないから、直接攻撃はまだしも、遠方から矢を射られたら負傷してしまうかもしれない。
勝千代は大きく息を吸った。
「父上」
頭に血が上っている状態で、果たしてこの声が届くだろうか。
「城が攻められています。サンカ衆とのことです」
父が目を覚ましてしまった今、岡部に両方に対処する余力はないだろう。
そしてどちらを先に、となれば、サンカ衆を選ぶに違いないのだ。何故なら……
「火矢を射られたぞ! 消火せよ!!」
先ほどから、木材が燃える燻ぶった臭いが漂ってきているのだ 。
勝千代なら、そちらを先に対処し、改めて軍勢を整えて父に向かう。
今の岡部はたった数人の手勢しか連れておらず、明らかに父の武威に手を出せない雰囲気なのだ。
「いったん下がり、対策を」
「お勝」
父の太い声が、ずしりと耳に届いた。
「ようがんばったな。さすが我が息子だ」
「……え」
「問題ないゆえ、少し下がっておれ」
「若君」
肩に手を置かれ、振り返ると、目覚めている父の配下の者たちがずらりとそこに居た。
皆それぞれ軽装のままだが、手に手に武器を持ち、油断なく岡部らを睨み据えている。
ひょいと彼を腕に抱えたのは、細目の男だ。
「待って、父上が」
抵抗はあっさり無視された。
しかしそれは正解だったと思う。何故なら、父が「ぶぅん!」と物凄い風切り音を立てて長槍を振り回したからだ。
岡部は無言で逃げ出した。
勝千代でもそうする。
父はふん、と鼻を鳴らしただけで深追いしなかった。
かがり火の横にいた二人に、目前の木戸を封鎖するように命じる。
「父上」
勝千代は、がっつり細目の男に抱え込まれたまま手足をパタパタ動かした。
「今のうちにここから出ねばなりません。サンカ衆の襲撃が収まれば、手勢を連れて戻ってきます」
こちらの手勢は約二十数名。本丸の曲輪どころか、奥御殿を占拠しきるにも数が少なすぎる。
父は振り返り、一生懸命そう訴える勝千代をまじまじと見下ろして破顔した。
「お勝」
傍らの男に長槍を預けてからこちらに手を伸ばし、細目の男からひょいと奪って高い高いをするように持ち上げられた。
「そなたは実に賢いのう」
いや、今はそんなことを言っている場合では……
「だがこの父が、岡部程度におくれを取ると思うてくれるな」
「ですが、眠り薬にやられたではないですか」
「……う」
「いくら父上がお強くても、窮鼠猫を噛むと申します。足元から大量の鼠が這い上がってきては、怪我のひとつぐらいなさいましょう」
少し言葉の使い方が違う気もするが、意味は伝わると思う。
たった二十数名で、数百人、もしかするともっと大勢の敵と戦うのは、勇敢ではなく蛮勇というのだ。
「ふはははっ!」
堪えきれない様子で笑ったのは、細目の男だ。
いや、彼だけではない、太刀をもって集まってきていた男たちもまた、口元を押さえて肩を揺らしている。
父もまた、息子の言葉にへにょりと眉を垂れさせてから、小さく噴き出した。
「……鼠か」
笑われてむっつりと顔をしかめた勝千代の頭を、父はその大きな手で何度も撫でた。




