表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬嵐記  作者: 槐
第八章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

239/308

39-1

 原、久野両家の当主と嫡男が拘束され、取り調べを受けるのをその目で確認してから、井伊殿は急ぎ曳馬まで引き返した。

 出立を見送ることはできなかった。

 勝千代はそれよりずっと早くに、さっさと軍議の場から遠ざけられていたからだ。

 福島家の本陣がある庄屋の屋敷では、同行できなかった者たちが安堵の表情で出迎えてくれた。

 夜番の南と木原も起きていて、勝千代の無事な姿を見てあからさまにほっと表情を緩める。

「ご無事で」

「……うん」

 だが疲れた。

 何より、子供にまで殺意を向けられたという事実が心底堪えた。

 部屋に上がる前、少年たちを一晩吊るしていた柿の木が目に止まった。

 真冬の一晩、寒空の下で吊るされるのはさぞ屈辱的だったろう。もしかするとそれも、動機のひとつになったのかもしれない。


 この件は、事情がはっきりするまで公表は控えられるだろう。庇うとか忖度とかそういうものではなく、全軍の士気にかかわるからだ。

 他の国人領主たちも、ひどく神妙な顔をしていた。

 地元の国人領主たちは婚姻同盟なども盛んだというから、中には彼らと血のつながりのある者もいたはずだ。

 しかし庇おうにも、嫡男どもが毒物を持ち込み、それに手を伸ばしたところを皆が見ていた。

 誰の目にも明らかに、少年たちの勝千代に対する害意はあからさまで、言い訳のひとつもできないだろう。

 更には興津の激怒を目の当たりにして、状況は真摯に受け止められていると思う。


 部屋には火鉢が三つほど置かれ、ほのかに暖かかった。

 整えられた上座の席に腰を下ろし、改めてほっと息を吐く。

「お顔の色が優れませぬな」

 そう言ったのは、軍議の席からぴたりとついてきている逢坂老だ。

 彼自身、福島家の騎馬隊を率いる立場なので、ずっと勝千代の面倒を見ているわけにはいかないはずだが。

「……寒かったから」

「それはいけませぬ。もう少し着こまれませ」

 とってつけたような言い訳に、ひどく優し気な口調で応えてくる。

 悟られているのだろうな。いくら口賢しく弁をたれようとも、心は日和った令和の人間だ。

 暴力沙汰は本当に苦手だ。


 勝千代はため息をついて、火鉢で指先をあぶった。

「元服しているといっても、まだ子供だ」

「さようですな。ひな鳥です」

 逢坂老の目からみても、少年たちはまだ嘴の黄色いひよっこなのだろう。それでも、元服している以上扱いは大人だ。

「ここで口を挟んではいけないのだろうな」

「もちろんです」

 勝千代のちょっとした言動で、福島家の嫡男は軟弱だなどという風潮ができてしまうだろう。

 明らかに害されそうになったのに、諾々と許すようでは武家の体面にもかかわる。


「おそらく今日は陣を動かさず、ここにとどまるでしょう。ゆっくり休まれませ」

「そうする」

「本日の膳にはヤマメが上がるそうですぞ」

「うん。楽しみだ」

 あきらかに元気のない勝千代の様子に、周囲から心配そうな視線が寄せられる。

 駄目だな。しっかりしないと。

 なんとか笑みらしきものを唇に浮かべ、「本当に寒くて」と小さく身震いして見せる。

 いくら年端もいかぬ少年だろうが、元服している以上大人同様の扱いをされるように、どれほど幼い童子だとて、福島家嫡男としてこの場にいる以上、配下の者たちを不安にさせるわけにはいかない。

 

 すっと襖が開いて、弥太郎が部屋に入ってきた。

 その傍らには、いつもと同様に、薬湯入りの湯呑みが置かれている。

 そう言えばこの男、毒をひと舐めしていたな。忍びは毒に身体を慣らしているというし、大丈夫なのだとは思うが……

「弥太郎」

「はい」

 普段通りの顔色だ。毒に害されている形跡はまるでない。

「チン毒というのは何だ? 初めて聞いた」

 素直に大丈夫なのかと聞くのも、弥太郎のプライドに障る気がして、さりげなく別方面から尋ねてみる。

 弥太郎はひとつ頷いて、隠し立てする様子もなくあっさりと答えた。

「なんでも、毒鳥由来のもののようです」

「……鳥?」

 口ぶりからいって、詳しい成分などわかっていないのではないか。

 急に不安に感じて眉を寄せると、ぐいと湯呑みを差し出された。

 いつもの草臭い、苦そうな薬湯の匂いが鼻を突く。

「古くから大陸で秘伝の毒として作られているもので、製法などはわかっていません。言い伝えに寄りますと、毒蛇を主食とする鳥がいるそうで、その鳥の羽を用いるとか」

「羽が毒になるのか?」

「あちらも商売ですから、製法は明かしませんよ。もちろん他にも混ぜるものもあれば配分などもあるでしょう。ですが、極めて強力です」

「高価なものか?」

「値段よりも、希少性のほうが先に来ます」

「……つまり、銭を積んでも手に入らないものだという事か」

 弥太郎が再び頷くのを横目に、思案する。

 井伊殿が言っていたように、入手経路を調べるのは有効かもしれない。


 ふと、敵か味方かも曖昧な、日向屋の副番頭の顔を思い出した。

 あの男なら、何か知っているかもしれない。いや知らずとも、調べることができるかもしれない。

 だが、勝千代がそういう動きをすると、味方とも言えないあの男にこちらの動向が筒抜けになってしまう。

「ところで」

 考え込んでいると、急にずしりと肩に重みを感じた。

「軍議の場は寒う御座いました」

 羽織らされたのは、数枚重ねの小袖だ。

 重い。

「お風邪を召される前に、温かくしておきましょう」

 勝千代にそれを羽織らせたのは弥太郎だが、追加の着物をスタンバイしているのは三浦だ。

 ちょっと待て。それも全部着せる気か?

 暖かくなる前に、圧死しそうだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

i000000 i000000 i000000
― 新着の感想 ―
[一言] 暑い日は、やっぱりこの本だ 脳みそをクールダウンしてくれる ありがとうねぇ
[一言] 愛されてますね。微笑ましい。
[良い点] 日向屋の副番頭さんもいましたね たしか兵糧の流通経路を調べたらどこに隠れてるやつがいるかをこっそり誘導して教えてくれてた人ですな たぶん敵方の諜報員でしょうし、抱き込むにしても未来知識チー…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ