39-1
原、久野両家の当主と嫡男が拘束され、取り調べを受けるのをその目で確認してから、井伊殿は急ぎ曳馬まで引き返した。
出立を見送ることはできなかった。
勝千代はそれよりずっと早くに、さっさと軍議の場から遠ざけられていたからだ。
福島家の本陣がある庄屋の屋敷では、同行できなかった者たちが安堵の表情で出迎えてくれた。
夜番の南と木原も起きていて、勝千代の無事な姿を見てあからさまにほっと表情を緩める。
「ご無事で」
「……うん」
だが疲れた。
何より、子供にまで殺意を向けられたという事実が心底堪えた。
部屋に上がる前、少年たちを一晩吊るしていた柿の木が目に止まった。
真冬の一晩、寒空の下で吊るされるのはさぞ屈辱的だったろう。もしかするとそれも、動機のひとつになったのかもしれない。
この件は、事情がはっきりするまで公表は控えられるだろう。庇うとか忖度とかそういうものではなく、全軍の士気にかかわるからだ。
他の国人領主たちも、ひどく神妙な顔をしていた。
地元の国人領主たちは婚姻同盟なども盛んだというから、中には彼らと血のつながりのある者もいたはずだ。
しかし庇おうにも、嫡男どもが毒物を持ち込み、それに手を伸ばしたところを皆が見ていた。
誰の目にも明らかに、少年たちの勝千代に対する害意はあからさまで、言い訳のひとつもできないだろう。
更には興津の激怒を目の当たりにして、状況は真摯に受け止められていると思う。
部屋には火鉢が三つほど置かれ、ほのかに暖かかった。
整えられた上座の席に腰を下ろし、改めてほっと息を吐く。
「お顔の色が優れませぬな」
そう言ったのは、軍議の席からぴたりとついてきている逢坂老だ。
彼自身、福島家の騎馬隊を率いる立場なので、ずっと勝千代の面倒を見ているわけにはいかないはずだが。
「……寒かったから」
「それはいけませぬ。もう少し着こまれませ」
とってつけたような言い訳に、ひどく優し気な口調で応えてくる。
悟られているのだろうな。いくら口賢しく弁をたれようとも、心は日和った令和の人間だ。
暴力沙汰は本当に苦手だ。
勝千代はため息をついて、火鉢で指先をあぶった。
「元服しているといっても、まだ子供だ」
「さようですな。ひな鳥です」
逢坂老の目からみても、少年たちはまだ嘴の黄色いひよっこなのだろう。それでも、元服している以上扱いは大人だ。
「ここで口を挟んではいけないのだろうな」
「もちろんです」
勝千代のちょっとした言動で、福島家の嫡男は軟弱だなどという風潮ができてしまうだろう。
明らかに害されそうになったのに、諾々と許すようでは武家の体面にもかかわる。
「おそらく今日は陣を動かさず、ここにとどまるでしょう。ゆっくり休まれませ」
「そうする」
「本日の膳にはヤマメが上がるそうですぞ」
「うん。楽しみだ」
あきらかに元気のない勝千代の様子に、周囲から心配そうな視線が寄せられる。
駄目だな。しっかりしないと。
なんとか笑みらしきものを唇に浮かべ、「本当に寒くて」と小さく身震いして見せる。
いくら年端もいかぬ少年だろうが、元服している以上大人同様の扱いをされるように、どれほど幼い童子だとて、福島家嫡男としてこの場にいる以上、配下の者たちを不安にさせるわけにはいかない。
すっと襖が開いて、弥太郎が部屋に入ってきた。
その傍らには、いつもと同様に、薬湯入りの湯呑みが置かれている。
そう言えばこの男、毒をひと舐めしていたな。忍びは毒に身体を慣らしているというし、大丈夫なのだとは思うが……
「弥太郎」
「はい」
普段通りの顔色だ。毒に害されている形跡はまるでない。
「チン毒というのは何だ? 初めて聞いた」
素直に大丈夫なのかと聞くのも、弥太郎のプライドに障る気がして、さりげなく別方面から尋ねてみる。
弥太郎はひとつ頷いて、隠し立てする様子もなくあっさりと答えた。
「なんでも、毒鳥由来のもののようです」
「……鳥?」
口ぶりからいって、詳しい成分などわかっていないのではないか。
急に不安に感じて眉を寄せると、ぐいと湯呑みを差し出された。
いつもの草臭い、苦そうな薬湯の匂いが鼻を突く。
「古くから大陸で秘伝の毒として作られているもので、製法などはわかっていません。言い伝えに寄りますと、毒蛇を主食とする鳥がいるそうで、その鳥の羽を用いるとか」
「羽が毒になるのか?」
「あちらも商売ですから、製法は明かしませんよ。もちろん他にも混ぜるものもあれば配分などもあるでしょう。ですが、極めて強力です」
「高価なものか?」
「値段よりも、希少性のほうが先に来ます」
「……つまり、銭を積んでも手に入らないものだという事か」
弥太郎が再び頷くのを横目に、思案する。
井伊殿が言っていたように、入手経路を調べるのは有効かもしれない。
ふと、敵か味方かも曖昧な、日向屋の副番頭の顔を思い出した。
あの男なら、何か知っているかもしれない。いや知らずとも、調べることができるかもしれない。
だが、勝千代がそういう動きをすると、味方とも言えないあの男にこちらの動向が筒抜けになってしまう。
「ところで」
考え込んでいると、急にずしりと肩に重みを感じた。
「軍議の場は寒う御座いました」
羽織らされたのは、数枚重ねの小袖だ。
重い。
「お風邪を召される前に、温かくしておきましょう」
勝千代にそれを羽織らせたのは弥太郎だが、追加の着物をスタンバイしているのは三浦だ。
ちょっと待て。それも全部着せる気か?
暖かくなる前に、圧死しそうだ。




