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こんな言い方では納得しないだろうな……と、更に言葉を続けようとした矢先。
さっと逢坂老の手が伸びてきて、少年Bの腕を掴んだ。
丁度勝千代の視線の高さにあったので、見えてしまった。
この子、いま懐に手を突っ込もうとしたな。
何を出そうとした?
その場の空気にピリリとしたものが混じり、少年Bの父親が床几を倒しながら腰を浮かせる。
「原殿」
硬直したわずか数秒。微妙にタイミングを外し、勝千代はことさらにのんびりとした声を発した。
「御子息はわたしを殺したいのだろうか」
苦も無く少年Bの抵抗を封じた逢坂老は、素早くその懐に隠し持っているものを探った。
まだあどけなさを残した少年は、十二、三歳といったところか。大柄で、組み合っている逢坂老よりもむしろ背は高いし、身体はぶ厚い。
それでも、少年Bは抵抗することが出来ず、されるがままに拘束された。
逢坂老は無手だ。
だがその代わりに、谷がまったく感情を伺わせない顔で刀を抜き放ち、切っ先をその首に据えていたのだ。
「お、お待ちを! これは何かの間違いにございますっ」
「うん。そうであればいいと思うよ」
必死に詰め寄ってくる少年Bの父に向って、のんびりと答える。
いや内心、驚いてはいる。やはり……という思いはあったが、こんな子供を使おうとするとはという驚きのほうが強い。
「父上!」
少年Bは引きつった表情で原に救いを求めた。
「違うのです! 小童があまりにも」
なおも首を激しく左右に振る少年だが、逢坂老が引っ張り出したよく正体のわからない細長い物体を見て、顔面から血の気を失せさせた。
「これはなんだ?」
逢坂老が不穏な口調で問う。
少年の首筋に剣先を付きつけた谷が、思いっきり鼻を鳴らしてぐっと手首をひねった。
「うあっ」
切っ先が喉に食い込んだのが勝千代の位置からよく見えた。
ぷつりと皮膚が切れ、真っ赤な血が一筋流れ落ちる。
この男、もうちょっと愛想よくすれば女子供から人気が出そうな面相をしているのに、あいにくと常に鼻頭にしわを寄せた狂犬なのだ。
気をつけろよ、少年B。そんじょそこらの犬じゃないぞ。飼い主にボコボコに殴られても嬉しそうに尻尾を振る、ちょっと普通では理解不能なヤツだ。命じられた「勝千代の安全」を脅かすものを、断じて許さない。
答えを間違えるなよ。
「す、少し脅すだけのつもりで」
ああ、それじゃあ駄目だ。
刀を付きつけている谷だけではなく、逢坂老の目も暗くギラリと光ったぞ。
怖いって、お前ら。
「弥太郎を呼べ」
志郎衛門叔父の命令に、強張った顔で頭を下げたのは叔父の側付きだ。
やはり叔父も、少年Bが持ち込んだものは毒物ではないかと疑っている。
不意に興津が立ち上がった。
大将席に堂々たる風情で腰を下ろしていたのだが、そんな仮面をはぎ取って手を伸ばし、呆然と立ち尽くしている原の胸ぐらをつかむ。
「……お、おまちくださ」
う、うわー
人が殴られるのを見るのはもちろん初めてではないが、いつも引く。かなり引く。
普段の人のいいおっちゃん風な面相をかなぐり捨て、真顔で数発殴り、ホールドアップの姿勢で無抵抗を主張している原に更に追撃を加えようとしている。
こういう身分に生まれついておいてなんだが、暴力はやはり精神衛生上よろしくない。
「興津」
あ、殿をつけ忘れたが……まあいいか。
勝千代は窘める口調で興津の名前を呼んだ。
「……そこまで」
ちょっと言葉のチョイスを間違えた気がする。
なんだか犬にマテを掛けた感じがするんだが。
頭に血が上ったら、周囲の声は聞こえないだろうに、興津は勝千代の頓珍漢な呼びかけにぴたりと動きを止めた。
「それ以上殴ると話が聞けなくなる」
再び大人たちの視線が勝千代に集中した。
何故か信じがたいものを見るような、驚愕の凝視だ。
仕方がないなぁ。
少し溜息をついて、立ち上がる。
ちなみに今回勝千代が座っていたのは、もちろん足踏み台ではなく、子供用のちんまりとした床几だ。わざわざ気を利かせて興津が用意してくれていた。
まだ原の胸ぐらをつかんだままの興津に、大人たちの背後を回るようにして近づく。
……うん、あまりじっと見ないでくれるとうれしい。
どう頑張っても、とてとてとてという擬音がつきそうな足取りにしかならないんだよ。
「原殿」
興津に殴られ、派手に鼻から出血した原は、中肉中背の興津よりもはるかに恵まれた体格をしていた。
対抗する気持ちがあれば競り負けていたのではないか。それほどに堂々たる体躯の武人らしい男だ。
青ざめて震えている少年Aの父親との類似は頭の寂しさだけだろう。……もしかしてそれで親しく?
「どうやらあれに見覚えがあるようですね」
内心くだらないことを考えながら、無意味な共感を面には出さずに問う。
あんな子供が、毒まで用意して勝千代を殺害しようとするとは思えない。
くだらない悪戯を仕掛けてくるような子供が、毒をつかうというイメージもわかない。
悪意があったにしても、人を殺すとなればまた別の次元の話になる。
「知っていることを今すぐすべてお話しください」
おそらく、毒の出どころは父親の原だ。
逢坂老が引っ張り出したものを見て、一瞬で顔色が悪くなったところを見るに、息子がそれを持っているとは思わなかったのだろう。
「さもなくば、非常にややこしい事になりますよ」
いや、すでにもう軍議などと言っていられる状況ではなくなっている。
毒。また毒だ。
敵のやり口が、ますます謀略と呼ぶにふさわしいものになってきた。




