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何が気に入らないのかと真正面から聞いたら、逆に怒り出すのは目に見えている。
だが、発言を終え口を閉ざした勝千代に向かう敵意は、もはや憎悪の域だ。
何故たった四歳の幼子にこれほどの対抗意識をもつのか。歳の開きは十近くあり、同世代と呼べるかも微妙なところなのに。
予想をするならば、勝千代のことは「親に捨てられて養子に出された子」だとでも思っていたのではないか。
まあ、ふたりも必要でないから片方が母方に戻された形なので、あながち「いらない子」だというのも間違いではない。
たとえ御屋形様の実子であろうとも、新興の国人領主の養子。しかも病弱で扱いは軽い。……などという前情報があったのだろう。
遠江の国人領主としてなら、己らの方が立場は上だという自負から、何故か手厚い扱いの勝千代本人に対抗意識を燃やしたのか。
いや、こういう事は考えても答えは出ない。
「おそらく」を並べた考察は、白黒はっきりするような類のものではないので、執拗に答えを求めるのは無意味だ。
勝千代はまだ何か言いたげな少年たちをちらりと見て、「もういいだろう」と得心した。
興津の思惑は理解できなくはない。
だが、悪意しか向けて来ない相手と「仲良く」できるものか。
いやむしろ、無理なものは無理と切り捨てる。
今の勝千代には背負っているものがあるのだ。
福島正成の嫡男として、家中の者たちに不安な姿ばかりを見せるわけにはいかない。
こういう時の心の支え、東雲の扇子だ。
同時にふっとよみがえってきた寒月様から託された『御品』のことは、考えないようにする。
もちろん今握っているそれとは違う。すでに愛着すら抱いている東雲扇子。二木の鼻の穴に突っ込んだ例のブツだ。
直垂の腹の前に差していた白い扇子は大人用なので、小柄な勝千代が握っていると、まるでおままごとの様だろう。
だが、そんな傍目など気にしない。
取り出した扇子をさっと広げ、パチリと鳴らす。
そうそうこれ。この音。
他のも試してみたけれど、東雲の扇子ほどいい音が鳴るものはない。
「少年たちの」というオブラートに包まれた、悪意という鬱々としたものを捨てると決めた。
その爽快感で、無意識のうちに唇がにこりと笑みの形にほころぶ。
「興津殿」
危ない。普段通りに呼び捨てにするところだった。
勝千代は真顔でこちらを見ている興津と視線を合わせ、一度だけ首を横に振った。
興津は少し残念そうに、だがたいして固執してくることもなく頷き返してくる。
「彼らを小姓としてお預かりするには、福島家ではいささか不相応なようです」
「不相応なのはそこな鼻たれどもだろう」
もの凄く不機嫌そうな声でそう言ったのは井伊殿だ。
やはり先ほど「言ってはいけない何か」を漏らしたんだろうな。
その地雷が何なのか、あとでこっそり誰かに聞いておこう。
この場にいる誰もが、何が始まるのだと言いたげに勝千代を見ている。
場の空気をつかみ、気持ちの流れを誘導することは、かつての勝千代にとって日常業務だった。
あいつら本当に人の話聞かないからね。
あいつらというのは生徒だけではなく、その保護者や諸々地域のやかまし方も含む。
今さら取り繕うのもなんだから言うけど、教師というのは勉学を子供に教えるだけではなく、動物園の飼育員さんと似たようなところがある。
さっと気を引いて、ぱっと背中を押すのだ。
もちろん物理的にではないぞ。心理的に、そっちが正しいと思わせる。
大抵の人間は、最終的には自分でその道を選んだと考えるけど違う。
戦国時代の命がけの戦場とは違い、右に左に行こうが、結局のところ大きな差などない場合が多いのだ。
第三者の目で見ると、悩んでいる時点で答えはほぼ出ていると言ってもいいからね。
まあ、理系を選んで日本史に疎くなってしまったことは、今となってはかなり後悔しているが。
かつての諸々を思い出しながら、扇子を再びパシリと開閉する。
一瞬、その場の空気が止まった。
少年ABを含め、皆がこちらを見ていることを肌で感じながら、もう一度ニコリと微笑む。
「実際に敵と接する時には、戦況はすでに決しているべきだと考えます」
勝つか負けるかわからない、いわゆる「生き物」と言われる勝負がある。
将棋やチェスや囲碁がそうだ。
だが、実際の戦でそれはよろしくない。
奇襲でもない限り、実際に槍の穂先が触れ合うまでに相応の時間があったはずで、そこで何の対処もとれていないのなら、指揮官失格だ。
負けると分っている戦いは、極力するべきではない。
勝てると分っているなら、次はできるだけ味方の損害を減らすことを考えるべきだ。
「今回の曳馬戦、どのような策を取ろうとも、今の状況から盤面をひっくり返されることはないでしょう」
パチリ、と再び扇子を鳴らす。
それにピクリと反応をしたのは福島陣営、それから興津だ。
「よほどに戦下手な者が指揮をとっても負けはしない。そういう戦況に持って行きましたので」
「おのれ! 我らを愚弄するか!!」
「……愚弄?」
少年たちの、言質を取ったとばかりの罵倒に、きょとりと目を見開く。
「そうなるよう地ならしをするのは当然では?」
むしろそうでない戦に、皆を連れて行くことなどできない。
 





 
  
 