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もの凄く不服そうな顔をしている少年たちの様子に、焦って物申そうとしたのはその親たちだ。
だがしかし、息子たちよりよっぽど空気が読める二人は、真っ青な顔になって口を閉ざした。
ちょっと勘弁してほしいほど怒りのボルテージが上がっている。
もちろん勝千代のではなく、その周囲の。
ひと際ぞわりと、多分これが殺気なのだろうものを発散しているのは谷だ。
横目で見ると、無表情を保ちつつ刀の柄をもてあそんでいる。
その隣で直立不動の姿勢で立っているのは逢坂老。勝千代の視線に気づいて眦を緩めるが……いや騙されないからな! 一瞬迸った邪悪な何かはお前の気配だろう。
そしてさらに問題なのは、赤黒い激怒の表情を隠そうともしない誠九郎叔父だ。
お願いだから、その握り締めたこぶしで子供を殴るのはやめてよ! 大問題になるから。
とりあえず危ういと感じたのはその三人だが、残りの者たちが怒っていないかというと、そうでもない。
普段は冷静な志郎衛門叔父でさえ、眉間の皺が深い。
なんなら総大将の興津でさえ、不快感を隠さない。
勝千代は咳払いをして、気を取り直した。
早いとこ終わらせてしまおう。
ついでに問題児たちは親にひきとってもらおう。
「松平の反応如何によってこちらのするべき事は違ってきます」
つい早口になってしまって、これではいけないと再び咳払いする。
プレゼンでは、焦りを見せてはいけない。
さもこれしか真実がないかのように話すのだ。強い口調は要ない。
丁寧に、理路整然と。
「要請に応じ兵をあげ、東三河に攻め込むようならこちらは手を引きます」
松平が自領に攻め込んできたと聞けば、なにもしなくても大慌てで三河に戻っていくだろう。
「さらに傍観の姿勢を見せるようなら、朝比奈軍の帰還に合わせて曳馬城を攻めます」
コクコクと首を上下させたのは、まだ名前も知らない国人領主のひとりだ。
ちなみに少年たちの親ではなく、彼らより十歳ほど若い。
「以前に井伊殿が飯尾に聞こうとした抜け穴の件、まだ使えそうだとうちの者が言っておりました。気づかれずに抜け穴を通れそうなのはせいぜい百人ほどでしょう。その百でまずは抜け道の保全。退路の確保」
朝比奈の軍勢が攻めてきたと、注意はそちらに向いているはず。
うまくすれば気づかれず、城への侵入経路を確保できる。
気づかれたとしても、外からの猛攻に手いっぱいだろう最中、かなりの錯乱を狙えるだろう。
「本隊は通常通りの城攻めですが、特に落城まで追い込む必要はありません」
要は、行動に迷い閉じこもろうとしている敵を、任意の方向に誘導してやるのだ。
「三河勢の引き口は常にあけておく事。深追いはしない事」
逃げていく三河勢は、おそらくボロボロの態だ。
ようやく生き延びて戻れたと思うのだろうが、例えばそこに松平の軍勢が待ち構えていたとしても、そんな事はこちらのあずかり知るものではない。
「我らの目的はあくまでも曳馬の奪還であり、三河勢の殲滅ではありません」
「だが、朝比奈軍がそれでは納得しないのではないですか? 牧野の首を取ったのです、東三河を幾らか切り取れば、今川の殿も御悦びでしょう」
おお、外見にそぐわない酷い濁声だな。
見た目は育ちがよさそうな雰囲気なのに、そのガラガラ声が印象的なのは、井伊殿の隣に座っていたまた別の国人領主だ。
勝千代はその男の目をまっすぐに見つめ、相手が少し怯んだのを確認してから、頷き返した。
「朝比奈軍の本来の目的は、東三河の後押しによる西三河への牽制です。その東三河が裏切ったのです、彼らの戦略は破綻しました、追加の指示がない限り、帰還するのは当たり前の事です」
今現在も、何故か今川館から朝比奈軍への指示が出ていない。
忘れているわけではないと思う。
派手に味方のはずの東三河を猛攻して、日和見な態度でいた者たちにさえも牙をむいたのだ。あちこちから苦情の報が届いているだろう。
だが、言えるわけがないとも思う。
今川館は朝比奈軍を見殺しにしようとした。
兵糧を断ち、孤立するのが分かっていて最前線の砦に放置した。
これは明確な悪手だ。
「せっかく敵の大将首を取ったというのに」
口惜しそうな口調で、朝比奈を気の毒がるのは少年Aの父親。
彼らは何のためにこの軍に参加したのかな。三河侵攻が目的じゃないんだけど。
「興津殿、興津殿が受けている指示は何でしょうか」
「三河勢を遠江から追い返し、曳馬城を奪還することですな」
興津の返答は明確で、余人の介入を許さないきっぱりとしたものだった。
この男ならこう答えるだろうとわかっていた。
特に余計な野心もなく、おそらくは今の今川総大将の立場すら不相応に感じている。
勝千代の目から見ると、そういうところも評価されての抜擢だろう。
勝手な動きをしそうにない。今川館からの指示を忠実に叶えてくれる。
結構使い勝手がいい男だと思う。
勝千代は頷いて、興津のその言葉を是認した。
「ではそのように」
そもそも、ここに集まってきている半数が遠江の国人たちなのだ。
今川に征服されたという苦しい身の上で、自領を守ることが最も優先されるはず。三河侵攻は華々しく聞こえるが、今の彼らがするべき行動ではない。




