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早朝だが、急遽軍議が行われた。井伊殿が前線まですぐ戻らねばならず、ほぼとんぼ返りの予定だからだ。
参加者は興津と福島の両家と、井伊殿、そのほか主だった国人領主の少数。
問題の少年ABの親も来ていた。
北部の方で大きな勢力を持つ、わりと早期から今川家の味方をしてきたところだが、息子がああれだということは、家での親の態度も推して知るべし。
興津に対してものすごく低姿勢だが、内心ではどうだか。
そう言ううがった目で見てしまうのは、やはり勝千代の背後でそわそわしている二人の少年の存在があるからだ。
例えば、戦に来ている幼児への反発があるのだとしても、こうも執拗に悪意を向けられるのは不自然すぎる。
井伊殿は、そんな二人にちらりと目を向けて、いぶかしげな表情をした。
その目が軍議場の片隅で静かにしている親の方に向き、すっと細まる。
だけどね、井伊殿。井伊殿だって最初あの短気な次男をぶつけてきただろう?
遠江の国人領主にとって、今川家への心象は複雑で、表面上は従っていても、困らせてやれだとか、好意的にはなれない部分があるのだと思う。
軍議はほぼ井伊殿と興津間の情報共有で終始した。
朝比奈軍はまだ東三河にいて、今回あげた武功は彼らによるものだ。こちらは起こったことへの対処、これから起こりうることへの準備のための相談をする。
主目的は曳馬城の奪還だ。
そろそろ戻ってくる朝比奈軍の帰還の手助けをする必要もある。
「引きこもってしまった曳馬の三河者たちをどうすればよいでしょう。このまま籠城するつもりでしょうか」
井伊殿は勝千代の方を見ながらそう言った。
勝千代とは初見の国人領主たちが、ものすごく複雑そうな表情をしている。
たった四歳の幼い子供に対しても、おもねる姿勢を見せねばならないのかと。
もちろん井伊殿は率直に勝千代の意見を求めているのであり、今川への忖度などはそこにはない。
興津にも福島側にもそれはわかっていたが、あえて口を挟まず勝千代の答えを待っている。
「それがしが考えますに!」
唐突に、食い気味の声色で発言したのは少年Aだ。
ぎょっとしたのは興津の配下の者たちで、当の総大将はぎゅっと眉間にしわを寄せ、不快の表情を見せる。
「いっそ総攻撃を仕掛け、三河者を蹴散らしてやるのがよいかと!」
「もはや戦意は失せていると推察します」
続けたのは少年Bだ。
「今であれば攻め込んでもたいした抵抗はないのでは」
すごいな、少年AB。
この面子の前で堂々たる意見、よく発言できたものだ。
だが、鼻の穴をふんすと広げながら自信たっぷりに言っているが、まわりの大人たちの表情をよく見るがいい。
……いや、Aの父親と、Bの祖父あたりと思われる二人は、しきりに頷きながら誇らしげな顔をしているな。
「まずは大手門から攻め込み、搦手門への牽制を……」
親の顔を見て威勢を強めた少年たちは、更に持論を展開しようと声を張った。
……まあ、悪くはないと思うよ。
教科書通りと言うか、ありきたりな作戦だけど。
その鼻息の荒い解説に待ったをかけたのは井伊殿だった。
「すまぬがおぬしら」
少年たちは発言を遮られて不服そうな顔をしたが、片手をあげているのが井伊殿だとわかると殊勝に口をつぐむ。
「その話は、あとで聞こう」
きわめて穏やかな声で、「ここは軍議の場だから」と、誰でも思いつくような案を出すなと言い捨てたが、伝わらなかった。
「ならばなおのこと、この作戦しかないと思うのです!」
「五千の兵があれば、曳馬城に籠城したとてたいした事はございません!」
おーお、自信たっぷりだな。
まあいんじゃないだろうか。
勝千代はぴったりと口を閉ざしたまま、自身の左右から放たれる威勢のいい声を聞いていた。
次第に、それでもいいのではないかと思えてくる。
それほどまでに、五千という数字は大きい。
曳馬がどれほどの堅城だとしても、これだけの兵差があれば負ける目はほとんどない。
「……黙れ」
ふと、地を這うように低い声がした。
誰かと思ったら井伊殿だった。
面相はまだ穏やかなままだが、吐き捨てた声は低く重い。
「鼻たれ小僧の持論を聞くために馬を飛ばしてきたのではない」
びっくりした。 堪忍袋の緒が切れた感じか?
井伊殿らしくない、といってもいいのだろうか。食わせ物で腹の中を見せない男なので、ここまで怒りをあらわにするからには、少年たちが垂れ流した言葉の中に、なにかよほど気に障る言葉でもあったのだろう。
「勝千代殿」
己もその地雷を踏みたくはないと、少年たちの台詞を思い返そうとして見るが、たいして聞いていなかったことが判明。ほとんど覚えていない。
「ご意見をお伺いしたい」
「井伊殿! たかが数え六つの童子に何を……」
「黙れと申した」
怒られたことが理解できていないのか、愛想笑いのような表情でなおも言いつのろうとした少年A。
軍議の末席にいた父親が中腰になったぞ。
寂しい頭部から更にはらりと髪が散っていく幻影が見える。南無。
個人的には、いたずら者の悪たれどもより、その父親たちのほうに同情心を抱きつつ、「勝千代殿」と念押しするように名前を重ね呼びされてようやく我に返った。
「……はい」
ぱちくり、と一度瞬きしてから、少しタイミングをずらして返答する。
「勝千代殿の策で、三河は曳馬から出てくることが出来ず、朝比奈が牧野を討つことが出来ました」
「……ああ、はい」
「そうですね」とも「違います」とも言えず、曖昧に頷く。
「気をつけねばならぬのが、奥平とその陣代です」
「そうですねぇ」
辛抱強く促されて、ようやく滑らかに回り始めた頭で奥平のことを考える。
小さな手で顎を撫でて、数秒間思案して。
相手の出方の云々よりも、相手がどう出ようとも小動もしない状態に持って行くことが肝心だと呟いた。
「前にも申し上げましたが、わからない事をいくらあれこれと考えても無駄です。それよりも、いかに味方に被害を与えず、敵に敗北を受け入れさせるかを考えるべきです」
「……ふん」
どこまでも勝千代のことが気に食わない少年Aが鼻を鳴らし、少年Bが「臆病な」と吐き捨てた。
なんとでもいうがいい。
武威を誇るのは、他の人に任せる。
勝てればいい。少しでも多くの者が生き残ればいい。
突き詰めれば、勝千代の目指すところはそこだと思う。




