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冬嵐記  作者: 槐
第八章
229/273

37-7

 考えても仕方がない事を延々と考えてしまうのは悪い癖だ。

 志郎衛門叔父にたしなめるような目で見られて、眦を下げた。

 眠れなかった。

 これからまた数日、曳馬までの復路が待っているのに。

 往路とは軍勢の規模が違う。もともとの興津の兵と福島の兵、遠江の国人領主たちすべてを合わせて三千だ。

 曳馬城前で展開しているのと合わせると、五千。

 集まったな。

 父と朝比奈殿が対甲斐で率いている兵数よりも多くなってしまった。

 

 これだけの兵が集まって、しかも半数は遠江の国人領主たちの手勢だ。いかに遠江がまだ潜在的な余力を残していたかわかる。

 今川館が警戒するわけだ。

 彼らが一斉に蜂起すれば、かなりきわどい事になるだろう。

 勝千代が生まれる前の事なので、今川がどのように遠江を支配するに至ったのかは知らないが、かつて守護であったという理由からの悲願の奪回だったと聞いている。

 それが遠江の国人領主にとってどれだけの意味があったのか、多少なりと引け目負い目があるから、今川館が警戒するのではないか。


 いや、今さらそんな事を考えても仕方がない。

 彼らにどれほどの反発心や対抗心があろうとも、今川が強くあるうちは理性を働かせていてくれる。

 三河の侵攻という国難に、今川に合力しても良いと兵を出したことを評価するべきだろう。


「出立!」

 興津の太く堂々たる声が響き渡った。

 遠目には、寸前まで病床にいたとは思えない。

 だが気丈に振舞おうとも、いまだ箸を持つ手が震えていることを知っている。

 

「そんな顔をなさると、悟られてしまいますよ」

 勝千代の表情筋はゆるゆるなのか、叔父はすぐに興津の心配をしていることに気づいた。

 そうだな、まだ毒が身体をむしばんでいるのだと気づかれるわけにはいかない。

 総大将としての権威を保たなければ、全軍の士気に障るからだ。


 もともと興津は、寒月様の護衛のため兵を率いて掛川に来た。

 一度だけ叔父にこぼした、「総大将は荷が重い」という言葉は、興津自身には全軍を率いた経験がないからだ。

 総大将をつとめるには、それなりの家格か実績かが必要であり、そのどちらも興津には欠けている。

 彼が任されたのは、あきらかに適任者の不在によるものだろう。

 朝比奈殿なり父なりがこの国に居れば、何の不服もなくその下知に従い、一武将として存分にその力を振るっていたに違いない。


 だからといって、任されたからには失敗するわけにはいかない。

 毒とはいえ自身の体調不良が理由で、全軍に不安を抱かせ、士気の低下を招くわけにはいかないのだ。

 幸いにも、今回の行軍には負ける要素が少ない。

 三河の全軍をあげたとしても、五千もの兵には対処できないだろう。

 勝千代にできることがあるとするなら、いかにその勝利をスムーズに成し遂げるかだ。


 そこで問題になるのは、何をもって勝利とするか。

 先にもいったが、勝千代自身は、三河勢が曳馬から引き揚げてくれればそれでよし、と考えていた。

 だが、興津に狙いを定めてきた質の悪いやり口を、見過ごしてしまえば沽券にかかわる。

 甘さを見せれば、そういう手段をこれからも取ってくる可能性が高く、それを防ぐためにもしっかりとした報復が必要となるだろう。


 報復、報復か。

 随分と考え方がこの時代に染まってきたものだ。

 だが幸いにも、この先の事を考えるのは勝千代ではない。

 興津がどのような仕置きをするのか、それを見守り、必要であればフォローできればいい。


 全軍が動き始め、ではそろそろ福島軍もと思うだろう?

 遠足で全校生が列をなして歩くことを考えてみてほしい。先頭組が出発してから最後尾が動き出すまでに、かなりの時間がかかるのはわかるだろう。

 それの五倍十倍の人数がいるのだから、すぐには出発にはならない。

 退屈とまではいわないが、随分と間延びした、拍子抜けする時間だった。


「……それで、奥平の様子は?」

 意外な事に奥平は、ぴったりと陣代榊原の側に張り付いて、その動きを邪魔しているらしい。

 数日前から変わらずその報告を受けており、どういう意図があるのか不明ながらも、奥平なりに榊原を牽制しているつもりなのかもしれない。

「真面目に本陣を守っているようです」

 答えたのは弥太郎だ。

 興津の治療については、あとは日にち薬だといつもの口調で言ってのけ、自分の居場所はここだとばかりに勝千代の側にずっといる。

「真面目に……ねぇ」

 興津の周囲は、引き続き弥太郎に診てもらいたそうだったが、ほかならぬ興津本人が、「総大将が医師を張り付けておくと目立つ」と言い切ったので、それ以上の問題にはならなかった。


「榊原のほうは」

 榊原については、かなりの情報があつまってきた。

やはりあの男は食わせ者で、ただのたたき上げではなく、忍びを巧みにつかっているらしい。

「尻尾を出しません」

「だが、本隊が曳馬に到着するまでには動くはずだ」

 間違いなく三河の手の者だと言い切れるネタがない。

 忍びを使うからといって、敵だとは言い切れないのだ。

「奥平様はともかくとして、井伊様の目が離れないので動けないのかもしれません」

 ちゃんと怪しいって忠告しておいたからね。

「井伊殿はどうされている」

「手筈どうり、西三河の者を抜けさせました」

 勝千代はこっくりと頷いて、飲み干した湯呑みを弥太郎に返した。

「朝比奈との連携はとれるかな」

 志郎衛門叔父と、双子の叔父たちが話しながら近づいてくる声が聞こえる。

 勝千代はそろそろ出立かと立ち上がり、頑是ない子供の表情で叔父たちを出迎えた。


 さて、ここから先は井伊殿のお手並み拝見だ。

 上手く事が運べば、本隊が到着する前に曳馬にいる三河軍はひねりつぶされているだろう。

 勝手な事をしたと言われるような方法はとっていない。

 あくまでも、仕掛けられたから対処したという形をとるようにと言ってある。

 なんなら、興津の手を煩わせず、すべて終わらせてくれてもいい。

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