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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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37-6

 身体が弱い子供だが、やはり若いというのはいいものだ。

 筋肉痛も長引かず、腰の痛みもすっかり良くなった。

 擦り傷になった内ももはまだ皮膚が変色しているが、触れても痛いということはない。

 

 興津については、楽観できる症状だと思う。

 もともとの体力があるからだろう、毒を抜いてから比較的すぐ食欲も戻り、手足の震えも緩和してきた。

 今日でちょうど四日目。弥太郎曰く、しっかりと養生すれば完治する見込みは高いとのことだ。とはいえ、曳馬攻めに総大将として立てるのかと問われると、不安しかない。


「……心を決めました」

 すでに病床にはなく、小袖に袴という簡易な服装の興津が言う。

「そうか」

 答えたのは勝千代ではなく、寒月様だ。

「色々とお気遣いいただきまして、ありがとうございます」

「なんの。礼など言わんでええ」

「行かはるんやろなぁと思うとりましたよ」

 続いてそう呟いたのは、興津より回復が遅い東雲だ。

「はい」

 興津は頷き、落ち着いた表情で笑った。


 この部屋に公家組が集まっているのは、勝千代が誘ったからだ。

 体力は戻りつつあるが、焦りと手持ち無沙汰で苛立っている興津を見て、碁か将棋でもどうかと聞いてみた。

 丁度見舞いにきていた寒月様が参戦し、この頃退屈しているという東雲も呼ばれた。

 興津は寒月様相手にも物怖じすることはなく、そういう相手は寒月様もお好みになるようで、勝千代と対戦するより寒月様と向き合っている局の方が多かったのではないか。


 面白い組み合わせだ。

 片や摂家の公家。片や今川の陪臣。

 片方は真っ白の髪もふさふさなダンディ爺。もう片方は若干頭皮が寂しい丸顔の中年。

 あまりにもちぐはぐな取り合わせだが、気質はしっくり合うらしい。

 こういうのを見ると、人は身分ではないと思う。

 ……まあ、寒月様がそういうことをあまり気にされない方だということもあるのだろうが。


「お勝も行くのやろう」

 もちろん、一日でも早く曳馬に戻らなければ。

 寒月様の問いかけに苦笑しながら頷くと、「こないな童子が」と太く長い溜息をつかれた。

 ここ数日、何事もない穏やかな日が続いている。

 刺客が来ないことを「穏やかな日」と表現してしまうあたり、随分と暗雲たちこめる日々を送っているものだ。

 確かに、たった四歳の子供のいる環境ではない。

 この数日のように、遊び、学び、心穏やかでいるべきなのだ。


「寒月様」

 勝千代は苦笑を収め、努めて満面の笑みを浮かべた。

「すべてが終わった折には、是非高天神城にいらしてください」

「そうよな。伊勢に湯治に行くというのはどうや」

「伊勢ですか?」

 一瞬思い浮かべたのは、幕府の伊勢氏だ。鏡如関連を連想してしまったが違ったらしい。伊勢志摩の伊勢か。

 伊勢湾の口の部分を渡って行けば、それほど遠くはないのかもしれない。

「興津もな」

 それは別れの言葉でもあった。

 次に会う事を、ともに湯治に行くことを約す。

 これから戦へ向かう男へ向ける、武功ではなく無事の帰還を願う言葉だ。

 公家である寒月様にとっては、精いっぱいのはなむけだったのだろう。

 興津もそれを受け取って、穏やかに微笑み、深々と頭を下げる。


 その夜、就寝する前の勝千代のもとに、寒月様から届け物があった。

 美しい漆塗りの小箱に入れられたその品は、真っ白な扇子だった。

 白い扇子に何か意味でもあるのだろうか。広げてみると、ただの真っ白な紙扇子ではなく、美しい手で描かれた和歌の短冊が張られたものだった。

 少し年季が入った、謂れのある品に見える。

「……これは?」

 問いかけた勝千代に、寒月様の侍従がしっかりと低く頭を垂れる。

 この人に礼を取られるのは初めてかもしれない。

「大殿様が下向される際、恐れ多くも御上おかみより賜りました品に御座います」

 ひっくりかえりそうになった。

 

 え? 御上? 今上陛下?

 侍従殿は勝千代に頭を下げたのではなく、扇子に下げたのだろう。

 いやそんな事よりも。

「な、何ゆえにそのようなものを」

 勝千代は手に持っていた扇子を丁寧に閉じ、もはや危険物扱いでソロソロと漆塗りの箱に戻した。

 危ない、もう少しで放り投げそうになった。

「大切な下賜品でございますので、お預けするだけにございます。次にお会いする時まで、大切にお持ちください」

 いやいやいや。

 とんでもない! と突き返すわけにもいかず、対処に困っているうちに、侍従殿はさっさと退出していった。

 どうしろと?!


「必ず生きて戻るようにとのお心遣いでは」

 やけに感動した表情の三浦が、しんみりとした口調で言った。

 それはそうかもしれないが、物が物だ。勝千代如き年端もいかぬ童子が所持していい品ではない。

 ここはせめて興津へではないのか?

 勝千代が当惑も隠せず側付きたちを見回すと、皆が皆何故か目元を潤ませており、なかには「ようございましたな」とつぶやいている奴までいる。

 なんでだよ。よかないよ。返品したいよ!


 間違って壊したり、破いたり、濡らしたり。火に巻かれて燃えてしまうだなんて可能性もなくはない。

 そんな事になろうものなら、勝千代の命ひとつで贖えるだろうか。

 改めて漆塗りの小箱を眺めて、寒月様の意図するところを推察する。

 三浦が言うように、この小箱に傷ひとつつけないよう十分に気を配りつつ、無事再会しましょう、という意味なのだろう。

 理解はできるよ。できるけど……重い。重すぎる鎖だ。

 これをネタにいくらでも福島家に瑕疵を作る方法を思いつけてしまう。

 対処法のほぼないこの難物をどうするべきか……

 明日は出立だというのに、今夜はしばらく眠れそうにない。

 念のため、皆への口止めが第一かな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寒月さまが勝千代を可愛がってるのは、 初対面の時に眼力+ぶっきらぼうに怯えず、その後の会話の際も本当に怖がらっていないから? きっと東雲も似たような経緯で長年可愛がられているのかな? など…
[良い点] いつも楽しみにしております。毎日更新がこれだけ続いているのは圧巻というほかありません。 [気になる点] 「行かれはる」という表現ですが、「はる」が京都弁では尊敬語なので、重なってしまいます…
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