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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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37-5

 結果をいうと、掛川城の井戸は厳重に管理されていて、毒を入れるような隙は見せていなかったし、実際に投げ込まれてもいなかった。

 興津にどうやって毒を盛ったのかはさておき、その理由はわかる。

 つまりは、曳馬へ向かう足止めだ。

 毒を使うということが、曳馬城を落とした方法を連想させるし、実際に関係があるのだろうと思う。

 今川の総大将である興津が狙われた意味は大きい。

 勝千代の案では、穏便に引いてもらおうという算段だったのだが、このままでは収まらないだろう。


「いや、御心配をおかけ申した」

 まだ起き上がるのもつらいのだろう、真っ白な顔色の興津がそう言う。

 死体のような顔色だ。

 いや、そういう連想をするのは良くないな。


 「ご無事で」も「よかった」もこの場に相応しい言葉ではない。

「どうされますか」

 志郎衛門叔父が選んだ問いかけに、興津の配下たちが鋭い視線を向けてきた。

 それは、今後の進退という意味でも、報復という意味でもあった。

 確かに酷な質問かもしれない。

 興津はひどい顔色のまま、努めて普段通りに笑おうとした。

「やはりそれがしには、総大将は少々重荷だったやもしれませぬ」

「重かろうが軽かろうが、興津殿が背負ったものです」

「……これは手厳しい」

「皆が支えになるでしょう。どうされたいかおっしゃってください」

 叔父の言葉に、興津は黙る。

 理性的な男だから、総大将の交代を言い出すかもしれない。いや、普通であればすでに代理が立っているだろう。

 それを今の今まで引っ張り、興津が意識を取り戻すまで待っていたという事だけでも、彼の人徳がうかがい知れる。


「弥太郎」

 勝千代が声を上げた。

「どういう毒だ」

 この場にいるのは、多かれ少なかれ勝千代について知っている者ばかりだ。

 しかし、大柄な男たちが居並ぶ場で、四歳の子供のあどけない声はひどく場違いなものだった。

 興津の傍らに控えていた弥太郎が、丁寧に勝千代に頭を下げてから口を開いた。

「微量で命を絶つことを目的にしたものですので、極めて強い効果があります。生き延びたとしても後遺症が出てくる可能性は高いです。例えば手足のしびれ、ろれつが回らない、足腰が立たない」

 勝千代は本人を前にしての容赦のない告知に顔を顰めた。

 もっとオブラートに包んで言えよ。

「毒消しは」

「直後でなければほとんど効果はありません」

「治療の目途は」

「毒を抜く方法はいくつかあります」

 はっと鋭く息を飲んだのは、勝千代たちを迎えに出てきた親族の男だ。

「つまり、後遺症が出るだろうが、抜けやすい毒ということか?」

「そうです。致死性の高いものではありますが、幸いにも御命を奪う程の量ではなかったようです。早急に抜けば症状の緩和は見込めます」

 この時代だから、精製薬ではなく生薬だ。現代においても詳細を調べつくせない分野だと聞いたことがある。

 弥太郎の知識は相当なものだ。


「もちろん既に治療は始めているのだろう?」

「試せるだけの事はしてみます。あとは、薬浴ですね」

 薬湯ではなく、薬浴?

「湯治場で汗をかき、毒素を流します」

 湯治?!

 

 いや、そんな場合ではもちろんないのだ。

 興津の身体の事が今は一番重大事だ。

 だがしかし、それでも気になる「湯治」つまり温泉?

 それはそうだ。日本には全国に温泉場がある。このあたりにもあるのかもしれない。

 どうしてこれまで思いつかなかったのだろう。

 ずっとずっと湯舟に浸かっておらず、頭も洗っていない。

 思い出してしまえば、頭がかゆくてたまらない。こんなところでボリボリ掻くわけにはいかないのに。


「このあたりに湯治場は?」

 必死で真顔を保ったが、弥太郎は少し訝しげな顔をしていた。

 咳払いして問いかけると、この辺りでは聞かないという返答。

 興津は今はまだ動かせる状態ではない。つまり湯治場行きは無理ということだ。

 代わりに城の風呂を使いましょう、と弥太郎。

 え、掛川城には風呂場があるの?!

 興奮して大声で尋ねそうになって、ギリギリ堪えた。

 勝千代の中での風呂とは、湯船に浸かるものだ。

 だがこの時代の風呂とは、いわゆるサウナ、蒸気風呂のことだった。

 そりゃそうだ。上下水の問題も解決していないのに、大浴場があるわけがないよな。

 ちょっとがっかりしたのは仕方がない。


 今のこの状態から、興津がどれだけ回復できるかで方向性を決めようということになった。

 それほど長い時間はとれない。せいぜい三日四日だろう。

 それまでは、興津側と福島側の代表が代理で仕事をする。

 補給などの実務と、あとは掛川にあつまってきている北部中央部の遠江領主たちの相手だ。

 膨れ上がる大軍の仕置きをするのは、健康に問題がないとしても激務なのだ。


 勝千代は叔父たちの邪魔にならないように、静かに過ごした。

 興津の治療に付き合ったり、寒月様と碁を差したり、東雲が酒を飲みたがるのを鵺と一緒に止めたりもした。

 蒸し風呂?

 もちろん体験してみたよ。でもね、この時代……着衣で風呂に入るんだ。

 身体の隅々までごしごし擦って、泡だたなくても良いから頭皮がひりつくまで頭を洗いたかったのに。

 いろいろとカルチャーショックだよ。

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福島勝千代一代記
「冬嵐記3」
モーニングスターブックスさまより
2月21日発売です

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― 新着の感想 ―
[一言] 毎日楽しく読ませてもらっております。 出版された本がお有りとのことですが教えていただくことは可能でしょうか?
[一言] 樋箱ぎらいの、手洗いと風呂が好きな4歳児…と、弥太郎には認識されただろうなぁ。 こんなに前のめりなのは、胡麻豆腐以来? 令和なら、掛川市に温泉はたくさんあるのに。勝千代くん、残念! 気にな…
[気になる点] 掛川だと…倉見温泉?
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