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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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37-4

 掛川城が見えてきた時、勝千代は久々に腰痛なるものを身をもって体験していた。

 長時間同じ姿勢、しかも身体に負担がかかる乗り方だ。逢坂老に教わったように骨盤を立てていられず、叔父に頼りきりになっていたので変なところを痛めてしまった。

 痛い。

 四歳児でも腰痛になるんだな。

 いや、今からこんな調子で、大人になった時ヘルニアにでもなってしまったらどうしよう。

 病院に行って外科手術などできないので、子供だからと油断していてはいけない。

 もはや目的地はすぐそこだが、今さらながらに背筋を伸ばして姿勢を保持してみる。

 とたんにグキッと背骨が鳴った。折れたかと思った。


 痛い。

 つらい。

 これは勝千代の根気の問題ではない気がする。

 馬という乗り物に乗って楽をするというものではそもそもなく、それなりに体幹を鍛えて筋肉量をつけなければ長距離は無理だ。

 馬を休ませ休ませ、歩兵たちと同じ速度でパカパカ歩くだけなのに、腰だけではなくあらゆるところが痛い。

 意地でも痛みは口にするまいと耐えていたのだが、丸わかりだったらしい。

 最後に馬から降ろしてもらいながら、「よくがんばりました」と言う風に頭を撫でられる。


 かつては乗馬など、お上品なお金持ちの道楽だと考えていた。

 これはあれだ。水面の下は必至でバタ足をしている白鳥の例えと同じだ。

 しっかりトレーニングしなければ、そもそも美しい姿勢で馬に乗ることはできない。

 ちゃんとしたスポーツなんだな。


 叔父は勝千代がまともに歩けもしないと察しているのだろう。

 地面には下ろさず片腕に抱き、出迎えの者たちと向き直る。

 そこに興津の姿がない事に、ようやく気付いた。

 さっと周囲を見回してみて、見覚えのある男を見つける。

 声を掛けようとしたが……言葉が出て来なかった。

 興津と似たような顔立ちだから、親族なのだと思う。以前見た時は、彼を一回り猛々しくしたような、猪のような男だった。

 それが、まるで一気に精気を吸い取られたかのように真っ青だ。

 聞かずとも、非常によろしくない事が起こったのだろうと察しがついた。


「状況は」

 志郎衛門叔父が、前置きもなく尋ねる。

 男はきゅっと唇をかみしめ、「今のところ命に別状はございません」と細い声で言った。

「ただ、御倒れになってからなかなか目を覚まされません」

 勝千代はさっと、弥太郎に目を向けた。

 毒か。負傷か。

「この者に診せても?」

「勝千代様のお抱え医の方ですね。駿府と違い土地勘がないので良い医師をすぐに呼べず………こちらこそ、お願いします」

 志郎衛門叔父の腕に抱きかかえられたままという、非常に気まずい体勢だったが、誰もそのことについて触れようともしないし、そもそも気になってもいないようだった。

 それはそうだ。彼らの主君が倒れたのだ。

 出迎えはひっそりと少人数で、このことが周囲に悟られないようにと一応気を付けてはいるのだろう。

 だが、彼らの顔色を見れば、おおよその状況は察しがつく。


 興津が動ける状態ではない……というのが、この先の戦況にどうかかわってくるのかよく考えなければならない。

 混乱している興津の家臣たちは、一応気を使って客間に通してくれたが、彼ら自身もこれ以上どうすればいいのかわからないようで、二言三言もぞもぞと口上を述べてから、しばらく時間をくれと言って下がっていった。

 興津が生きるか死ぬかはっきりわかるまでの間、ということか?

 勝千代は案内された畳敷きの部屋で、イライラと唇を噛んだ。

 考えをまとめなければならないのに、この状況の不安定さに気持ちがそぞろだ。


「お勝」

 もやもやとした気持ちに歯噛みしていた勝千代は、名前を呼ばれてパッと顔を上げた。

「寒月様」

 しまった。まったく周囲が見えていなかった。

 お行儀悪く足を延ばして座り、イライラと髪を掻きむしっていた。

 慌てて胡坐の形に足を組み、ぼさぼさの頭を手で整える。

「よい」

 我に返って挨拶しようとして、首を左右に振られる。

 寒月様のその表情を見てはじめて、叔父や側付きたちがきちんとわきまえた位置に腰を下ろし、丁寧に床に手をついて頭を下げていることに気づいた。

 恥ずかしさに顔が赤らみ、すぐに血の気を下げた。

 まずい。恥ずかしい云々どころではない。


「よいとゆうておる」

 寒月様は大股に部屋に入ってきて、勝千代の向かいに腰を下ろした。

お互いに上座でも下座でもない部屋の真ん中、公の場ではありえない位置だ。

「東雲の脈を取らせとる者は、毒だという事はわかるが、何の毒かはわからないというておる。そなたの忍びが知っておればええんやが」

 思いっきり作法に外れた状況でも、寒月様はそこにいるだけで何故か格式張って正しいように見える。

 その変わらぬ落ち着いた低音を聞いて、急に滑らかに思考が回り始めた。

 それまでは、混乱してうまく考えがまとまらなかったのだ。


「……毒ですか」

「そうや。食べ物やのうて、水か酒か飲み物やろうと思う」

「何故ですか?」

「興津は皆と同じ場所で同じものを食べて、その時はなんともなかったようや」

 それでは、その後に飲んだ水、あるいは酒。


 ふと思い出したのが、曳馬城の件だ。

 井戸に毒が投げ込まれたと聞いた。

 井戸と言えば水。生活用水でもある。まさか掛川でも?

「……叔父上、井戸に目を配るべきかと思います」

 志郎衛門叔父ははっとしたように息を飲み、膝を浮かせた。

 それはつまり、曳馬同様、無差別に皆を殺そうとしているかもしれない、ということだ。


 勝千代は、先ほど出された白湯に目を向けた。

 皆が同じものを見ている。

「安全とわかるまで、何も口にしないように」

 勝千代の言葉に、皆が一斉に首を上下に振った。 

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― 新着の感想 ―
[一言] 眼鏡の小学生探偵のように行く先々で事件が起こりますな~勝千代ちゃんの引き寄せ体質にも困ったもんですw
感想一覧
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