37-3
予約投稿の設定が一日遅れていて、本日の投稿ができていなかった事に今気づきました。
遅くなりました。
野営二日目。今日は天幕もなく、本当に野営だ。
叔父たちは、このあたりの村の庄屋に一晩泊めてもらうつもりでいたようだが、こういう状況で別行動をとるのは怖い。
身を守るすべもなかった赤子の頃ならまだしも、今ならAルートBルートの選択ぐらいはできる。
自身だけではなく、まわりにも危険の少ない道を選ぶべきだろう。
叔父たちが気にしているのは、勝千代の体調の事だろうが、寝床に油を撒かれて屋敷ごと始末されそうになるよりは、最初から皆の目の届くところにいたほうがいい。
特にこの辺りは、小規模の所領もちの領主が多く、いちいちどこの陣営なのかと見極めていく暇などない。
やはり最も安全なのは、本陣のど真ん中で大将を務める志郎衛門叔父にぴったりくっついていることだ。
皆が顔見知りで、長い付き合いだというのは、敵の入り込む隙が少ない重要な要素だと思う。
「だからすまぬと申しておろうが!」
「夕刻には戻ると言っていただろう」
謝罪しているのか逆切れしているのかわからない口調でそう言うのは、誠九郎叔父だ。
むっつりと不機嫌そうな表情で、怒りもあらわに眉間にしわを寄せているのは源九郎叔父だ。
二人が何を揉めているのかと言うと……昼過ぎに大量捕獲したヤマメの件だ。
結構な数が取れたので、皆で塩焼きにした。骨までがりがりいけるほど美味かった。
それを、道中の安全を確認しに行っていた源九郎叔父の分残しておかなかったのが、揉め事のはじまりだ。
「お前はいつもそうだ! 小さい事をブチブチと」
「小さなことではないぞ!」
いや、かなり小さな魚の事だからね。
志郎衛門叔父は口を挟まないどころか、目もくれない。
普段から慣れた諍いなのだろう。喧嘩するほど仲が良いとはよく……ああっ、取っ組合いになってしまったぞ。
「放っておきましょう」
大丈夫なのかとハラハラしているのは勝千代だけだった。
志郎衛門叔父はもちろんのこと、側付きたちの誰も慌てる様子はない。
「そのうちおさまります」
「……明日の朝用に残してある分を出して差し上げたら」
勝千代の言おうとした言葉を遮って、志郎衛門叔父は素早く人差し指を唇に乗せた。……こっちも大人げないな。
背中を押されて、叔父たちの食意地の張った争いから遠ざけられる。
今夜の寝床は、焚火の側に用意されていた。
忍びという天敵に頭上から狙われないよう、開けた原っぱの真ん中である。
このあたりの平らな土地は農作に使われているので、原っぱとはいえそこそこ斜面である。
点在している、地面から顔をだした岩場ごとにグループに分かれ、夜間の暖を取るために焚火をし、朝にはそこで煮炊きもするそうだ。
まだ明るいうちから野営の準備をはじめ、すっかり日が暮れる頃には方々にキャンプファイヤのごとく炎が上がって、なかなかに見ごたえのある情景だった。
もちろん、雨が降っておらず、風もほとんどないから選ばれた野営地だ。
毎回その日の気候と状況に応じて、しのぎやすい場所を選ぶのだそうだ。
まだまだ知らなかった事、学ぶべき事は多い。
「叔父上」
あえて人払いはしていない。
近くには長めの枯れ枝で焚火をつついている三浦がいるし、どうにか五徳を立てようと悪戦苦闘している土井もいる。
谷は岩に背中を預けて半開きの目でじっとこちらを見ているし、そのほかにも、勝千代がまだ名も知らぬ者たちも幾人かいた。
谷以外は誰もこちらを見ていないが、おそらく耳はそばだてているだろう。
聞かれて困る内容でもないから構わないが。
「何の問題もない、きれいな経歴の者を見て、その者を怪しいと感じるのはおかしいでしょうか」
叔父は驚いたように勝千代を見て、目をしばたかせる。
「榊原某の経歴には、何も問題はないようです。曾祖父の代から駿河に住み、下級武士から上り詰めてきた男だそうです。派手さはないものの、兵站をやらせればなかなかうまいようで、幾度か戦場にも出ているそうです」
「ほう。ならば怪しいところはなく、よかったではありませんか」
「下級武士だというのに、曾祖父の代までたどれることに違和感があるそうです」
誰がその違和感を覚えたのかは口にはしないが、叔父ならば察しただろう。
「……長年の潜入者だということですか?」
思いっきり苦い顔をした志郎衛門叔父に、勝千代は緩く首をかしげる。
「実際のところ、その者が駿河の出であろうが、三河の出であろうが、甲斐や信濃から来たものであろうが構わないのです。信頼がおけるか、裏切らないでいてくれるか、きちんと仕事をこなしてくれるか……これに尽きます」
「それはその通りです。現に今川館にも他国の者は幾らかおりますよ」
だがそれは、遠国あるいは友好国の出身者のはずだ。
バチバチにやりやっている敵国の出だと知られてしまえば、どういう扱いをされるか想像はつく。
榊原という名前が珍しくもなく、どこにでもあるのならいいのだ。
例えば本当に三河の出であろうとも。
しかしもし、奥平が怯えて逃げ出したくなるほどの「何か」が榊原で、ただ敵国出身だから隠していた、などではないのだとしたら……
「兵の数が少なくなるここ数日、動きを見せるかもしれません」
勝千代はぽつりとつぶやき、顔を上げ、周囲の大人たちの思いのほか深刻そうな表情を見回した。
「井伊殿にこのことを話しておくのは、余計なお世話でしょうか」
そもそも井伊殿は奥平を警戒しているから、本陣の動きには目を配っているはずだ。
「そんな訳ないだろう!!」
遠くで、タイムリーに誠九郎叔父が叫ぶ声が聞こえた。
あまりにもタイミングが良かったので、その場にいたすべての人間がぐるりと首を巡らせて双子の方を見る。
真っ赤な顔をして怒っている誠九郎叔父と、がっつり四つに組んでいるのは、もちろん彼の双子の片割れ。
「思いつかなかったものは仕方がないだろうが!!」
源九郎叔父が小声で何かを囁き、さらにますます煽られて激怒する。
「わざとではないって言ってんだろう!」
ああ、まだヤマメの話が続いているのか。
呆れたらいいのか、ほほえましい気持ちになればいいのかわからず、志郎衛門叔父にならって微妙な表情で双子を見る。
「戻ると考えて確保しておいてくれても良かっただろう」
「何度も言うけどな、思いつかなかったんだよ!!」
そこは思いついてやれよ、と源九郎叔父の肩を持とうとして、ふと、榊原の件もこれと全く同じだと気づいた。
残念ながら、源九郎叔父のヤマメを残しておこうという考えは、当時の勝千代にもなかった。
しかし榊原が三河の出で、何か企んでいるのかもしれないということには気づいてしまった。
そうとも、そのことに気づいたからこそ可能性は潰せるのだ。
源九郎叔父にヤマメを取りおいておくという配慮ができていれば、揉めることはなくむしろ感謝されていただろう。
残しておいて翌日に食べても全く問題はないのだから、事前に手を打っていたか否かの問題、つまり源九郎叔父のことを思い出すか思い出さないかの差だった。
「……配慮しておいた方がよさそうです」
「用心しすぎても害にはならないでしょう」
志郎衛門叔父も同意見のようだった。
たとえ余計なお世話でも、無駄だったとしても、やらない後悔よりはましだろう。
まさかヤマメと同レベルの心配だったのかと、笑いそうになった。
 





 
  
 