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冬嵐記  作者: 槐
第八章

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224/308

37-2

 だ、駄目だ。無駄に特徴的なフレーズが頭にこびりついて離れない。

 川の側に腰かけ、ぶるっと首を振って払いのける。

「握り飯です」

 志郎衛門叔父が用意してくれたのは、本陣から持ってきた昼食だ。

 代り映えなく玄米の握り飯で、味は塩と味噌のみ。

 この時代は食のレパートリーよりも口にカロリーを入れる方が優先なので、出先では毎度同じものしか出て来ないが苦情は言わない。

 そういえば、興如が作ってくれたゴマ豆腐は実にうまかった。

 やはり和食は精進料理から来たものなのだろう。


「……ヤマメがいますね」

 包みを開けて遠慮なく握り飯を頬張っていると、何故かずっと黙っていた叔父が不意に言葉を発した。

「えっ」

 ヤマメ! おさかな?!

「本当だ! おい、早く仕掛けを作るぞ!」

 側にいた土井が素っ頓狂なほどの大声を出した。

 びっくりして、危うく握り飯を膝から落としそうになった。

「時期的にはまだ早いですが」

 叔父が、興奮する若い武士たちと同じように川を覗き込む。

 勝千代もまたそれにならって水辺リまで寄り、底までくっきりとよく見える、濁りのない冬の小川に目を向けた。

 なるほど、複数の群れが頭を上流に向け泳いでいるのを見つける。

 確かサケみたいに遡上するのは、もっと暖かくなってからだった気がする。

 長雨の影響だろうか。

 最近は険しい表情をすることの多かった側付きたちが、やけに年相応にはしゃいでいる。

 そうか、魚は彼らにとってごちそうなのか。


 昔京都で食べた塩焼きを思い出した。

 釣り堀でちまちま釣って、その場で食べたこともある。

「どうでしょうね。少し水位がありますから、うまく追い込めるでしょうか」

 常に眉間にしわを寄せている志郎衛門叔父も、心なしか表情がほころび、楽し気だった。

 魚と言えば釣としか思い浮かばなかったのだが、連中は追い込み漁をするらしい。

 手慣れた様子で川の浅いところに岩で囲いをつくり、あっという間にそこに魚群を誘導しはじめた。

 水を叩く音に驚いた魚たちは岩の囲いのある方に逃げまどっていく。

 

 すごい。めちゃくちゃ手馴れている。

 きっと小さな頃にはそういう遊びをして過ごすのだろう。

 見とれているうちに、他の者たちも我も我もと生け簀になった浅瀬に足を濡らし、手づかみでヤマメを取り始めた。

 普段は取り澄まし、武士でござい、と几帳面な者たちまでも、袴の裾をまくり上げて水につかっている。


「……なりませんよ」

 見ているうちにそわそわしてきた勝千代の肩に、そっと手を置かれる。

「川の水は冷たいです」

 それはそうだろうけど!

「ヤマメか!」

 誠九郎叔父がそう大声で叫びながら近づいてきて、がばっと着ているものを脱ぎ始めた。

 ふんどし一枚という非常に寒そうな恰好で、ばちゃばちゃと脛の半ばほどまである小川に踏み込み、誰よりも熱心に魚を追い始めた。

「あれを真似できるとはお思いにならないように」

「……はい」

「おお、勝千代殿! この誠九郎が勝千代殿のぶんも捕まえてさしあげますからな!」

 あっという間に両手にヤマメをつかんだ誠九郎叔父の姿に、さすがに真似するのは無理だと納得した。

 水着じゃなくて、ふんどしが似合う叔父だ。

 真っ白な布が眩しい。


「叔父上」

 偶然にも、ものすごく気になっていたことが目前で露わにされ、さすがに聞いてもいいよな、と口に昇らせる。

「……あの火傷は」

 源九郎叔父の、無念にも頭髪を諦めざるを得なかった顔面の火傷と遜色ないほどに、誠九郎叔父の上半身を埋め尽くすケロイドもひどい。

「寝ているところに油を掛けられ、火をつけられ申した」

 志郎衛門叔父の声は淡々としていた。

「勝千代殿のお身体に残っている傷跡と同じ日にできたものです」

 これまでの楽しい気分がすべて吹き飛ぶほどの衝撃だった。

 事故でもなんでもなく、付け火で負った火傷なのか?

 ………いやちょっと待て。「寝ているところ」をと言っていた。勝千代が既に生まれている頃、つまりは数年前だ。叔父たちは身体に油を掛けられて気づかなかったのか?


 はっと息が詰まった。

 察してしまった。

 油を掛けられたのは勝千代だ。殺されかかったのは彼自身だ。叔父たちはそんな勝千代を救うべく、あんな酷い火傷を負ったのだ。

 とてつもない罪悪感に見舞われる。

 武人として、あれだけの火傷を負ってしまえば、皮膚の引き攣れなどで復帰も危うかっただろう。

 何より源九郎叔父。まだ若いのに、髪をすべて諦めなくてならないなど、なんと非情な。


「何もおっしゃいませんよう」

 勝千代が気づいた事を察し、叔父がこちらを見下ろしながら言った。

「笑顔でヤマメを受け取ってやってください」

「……はい」

 伸びてきた手が、頭部を撫でる。

 込み上げてきたものをぐっと飲み込み、父よりも上手に撫でるその手を甘受する。


 守られている。

 福島勝千代という童子を、ただの主家の嫡男としてではなく、甥として愛してくれている。

 ひしひしと伝わってくるその思いを、しっかりと受け止め胸に刻む。

 叔父たちのためにも、福島家を守らなければならない。

 幼過ぎ、脆弱すぎる勝千代だが、唯一使えるものがあるとすれば、それは過去の経験であり知識であり、考える事の出来る頭だ。

 そう、力ではまだ役には立たないのだから、頭を使うのだ。

 幸いにも、時間はまだある。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 勝千代くんの智謀が唸るか!? [気になる点] 気になる単語があちこちに散りばめられていて、妄想が凡ゆる方向に加速してしまう・・ 北条からの間者と榊原の姓を持つ人から伊勢宗瑞の三河遠征を連想…
[気になる点] まってまってまってどういうこと火をつけた下手人の黒幕は誰だ!? 24-2の志郎衛門の謝罪&勝千代への虐待は段蔵がおとんにチクるまで叔父達も気づいていなかった(気づいてたら助けてくれる…
[良い点] ニャルほど、1話目は邪魔な叔父たちを退けて意気軒昂に勝千代を拷問して酒の肴にしてた状況か ただ寝込みを襲うなら刺殺しそうなものだから説明がないと納得がいかんな 正直、寝所から攫われた勝千代…
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